Coffee Break Essay




この作品は、平成26年度札幌市民芸術祭の随筆部門で優秀賞となり、「さっぽろ市民文芸」第31号(20141031日発行)に掲載されております。


 「雪の匂い」


 十月半ば過ぎ、おびただしい数の雪虫が舞い始めた。ああ、今年もまた雪がくる……。

 あたり一面、どこもかしこも雪に覆われ、すべてが閉ざされる。融けては凍り、降って、積って、凍てついて……雪はやがて花崗岩のようにびくとも動じない氷になる。ツルハシをも跳ね返す。それが「冬の決意」とでも言うように。

 二十八年暮らした東京を離れ、北海道での生活を再開した。

「ごらんあれが竜飛岬北のはずれと……」

 石川さゆりが指さして、情感たっぷりに熱唱する青森の竜飛岬が「北のはずれ」なら、さらにその先にある北海道の立場はどうなる。そんなことを言っても仕方ないのだが。

 五十歳を過ぎた体が、環境への順応を拒む。無類の寒がりが、それに加勢する。かつて私が身に着けていた寒冷地仕様の痕跡は、もうどこにもない。退化してゼロになってしまっている。

 私が北海道に戻ったのには理由がある。

 妻が十二年半の闘病生活を経たのち、家を出た。平成二十二年の春である。妻は長年、精神疾患で入退院を繰り返していた。そんな病院で知り合った男性のもとへ走ったのだ。男もまた同類の病を患っていた。

「この気持ち、健康な人にはわからないわ」

 娘と二人、言葉を尽くして説得したが、結局、徒労に終わった。

 それより先、平成二十年、北海道で一人暮らす母が脳梗塞に倒れ、その二年後、母を介護していた独身の妹が病に陥った。当時大学生だった一人娘を東京に残し、転勤希望を出して北海道へやってきた。東日本大震災のあった三月のことで、妻が家を出て一年後のことである。これも人生の新たな転機と、力ずくで割り切った。人生を受け入れる術は、妻との生活の中で嫌というほど身に着けている。

 札幌の冬は寒い。厳寒期といわれる一月中旬、日中の最高気温が氷点下五度を下回る。最低気温は当然氷点下二桁だ。そんな中、みんな平気な顔で生活している。

「旭川や名寄(なよろ)に比べれば天国だべさ」

「だって冬だもの、しかたないっしょ」

 雪の中で倒れたら、東京・築地市場に並ぶカチカチのマグロ同然になる。

 そんな寒空の下、大通公園の啄木像の前で奇声を上げている一群を目にする。台湾からのツアー客だ。雪が珍しいのだろう、パウダースノーなので雪合戦にもならず、雪を蹴散らし、雪の中にダイブして戯れている。

「なぜ、オレはここにいるのだろう」

 街を歩きながら、ふとそんなことを考える。「そうか、ここは札幌なんだ」幾度そう思って立ち止まったことか。最近、やっとそんなこともなくなった。だが、季節の感覚にはいまだ順応し切れていない。十月下旬に初雪が降り、降雪を見なくなるのは四月上旬である。東京の感覚では、一年の半分以上を冬の中で過ごすことになる。風土があまりに違う。

 春先、どこからともなく漂ってくる芳香に、ふと足を止める。無意識のうちに香りの先を追っている。沈丁花(ジンチョウゲ)は遠くから香ってくる花である。それが春の先触れだ。

 十月初めの晴れた日、金木犀(キンモクセイ)が静かに香りだす。ほのかな香りが漂う公園で、どちらからともなく歩み寄りキスをしたあの日。香りが呼び覚ます秘めやかな記憶がある。

 沈丁花や金木犀、声もなく散っていく山茶花(サザンカ)、そんな街が懐かしい。六月の雨に輝く紫陽花(アジサイ)も、もう目にすることはないだろう。

 この街では街路樹もきれいさっぱり葉を落とす。箒(ほうき)のようになって素知らぬ顔を決め込んで。寒さの中で身を固くし、死んだように呼吸を止めて、ひたすら沈黙を守りとおす。冬はこうして過ごすものだと言わんばかりに。

 ひどく冷え込んだ雪の朝。鼻腔(びくう)の奥にツーンとした冷たい感触と同時に、雪の匂いを覚えた。その瞬間、はるか彼方に忘れ去っていた遠い記憶が蘇った。

 幼い日の冬の朝。丹前に包まれたまま母に抱きかかえられ、まだ暖まり切らない薪ストーブの前に下ろされる。隣の妹と歯をカチカチ鳴らして震えながら、ストーブが暖まるのを待つ。いつの間にか隣には父の姿も。母はすでに忙しそうに朝食の準備に取りかかっている。そんな光景が突然、蘇った。香りに閉じ込められた古い記憶。忘れていた雪の匂いだ。

  家ごとにリラの花咲き札幌の 人は楽しく生きてあるらし

 大通公園に、歌人吉井勇の歌碑がある。

 その碑文を指でなぞりながら、この歌碑の前で幾度となく佇(たたず)んだ十代の自分を思う。

 そして今。私が差し出す手を母が握る。子供のように素直に。こんなに小さかったんだ、母さんの手は。来年は八十だ。苦労、かけたね、母さん。そんな思いをかみしめながら、新しい生活の感触を少しずつ確かめている。


                平成二十六年五月  小 山 次 男