Coffee Break Essay


この作品は、
北日本石油株社内報「きたにほん」65(2005年1月発行)及び、
アポイ岳ファンクラブ会報「アポイマイマイ」51(2007年10月10日発行)に掲載されております。
 


 『闇に包まれて』



 数年前の夏、故郷北海道の様似に帰省した。夕食を終え、ぼんやりと星空を眺めていると、久しぶりに夜の山へ入ってみたいという衝動が沸き起こった。人家の灯に邪魔されずに、夜空を眺めてみたいと思ったのだ。

 山あいの道を、行けるところまで車を走らせる。エンジンを切り、ライトを落としたとたん、漆黒の闇に包まれた。突然の闇の出現に戸惑い、肌が粟立つような恐怖を覚えた。長い都会生活の中で、夜の暗さをすっかり忘れていたのだ。

 何万何千万という虫の声が、深沈とした闇の中で犇(ひしめ)いている。街灯やネオンといった夜の明かりに慣れ切った目に、突然現れた闇であった。

 人家から何キロも離れたところではないのだが、山影が家の灯を遮り、どこを見回しても光がない。低い山が両側から迫り、そのわずかな空間に採草用の牧場が広がっていた。夜間に人が立ち入る場所ではなかった。山葡萄の季節になると、ヒグマが出没する危険な所である。

 私は意を決し車を降り、懐中電灯を片手に歩を進めた。道はひどく荒れ、轍(わだち)の痕跡がかろうじて道路の名残を留めている。ほどなく山に挟まれ、行き止まる道だった。

 月はなく、空には満点の星がきらめいていた。月明かりとは違い、星の光は周りを照らしてはくれない。原始の闇が広がっていた。

 漠とした夜気に乗って、森の中から甘酸っぱい香りが漂ってくる。懐かしい夜の匂いだ。虫の声にまじって、意表をつく鋭い鳥の声。ビクッとして立ち止まり、そのたびに懐中電灯を向ける。光が届く距離ではない。そろそろ戻ろうかと思いつつ足を進める。不意に出現する何かに怯える。動物よりも人が出てくる方が怖い。

 闇に慣れてくると、夜の神秘性を恐る恐る楽しむ余裕が出てきた。私は懐中電灯を消し、闇に同化しようとしていた。

 五感を研ぎ澄まし、夜の深さを聴き、暗さを視る。森厳な暗闇の中で、犇くものの気配を感じる。ときおり、サアーッという羽音が夜空を横切る。ヨダカだろうか。常に何かに見られている気配がある。踏み入ってはいけない場所に、不用意に入り込んでしまったのか。

 草むらの中に寝転んでみる。降り注ぐ星々のきらめきの中を、乳白色の天の川が流れている。自分が宇宙空間に漂っているような錯覚に陥る。底知れぬ夜の深さである。

 しばらく夜空を見入っていると、すぐ耳許で虫が鳴き出した。用心深く一匹が鳴き出すと、たちまち大合唱が始まった。

 森の奥のどこか小さな広場で、宴や集会が行われていても何ら不思議はなかった。この地には古くからコロボックル伝説がある。コロボックルとは、先住民のアイヌが語り伝える小人の妖精である。私たち人間の世界と一線を画する世界の存在を感じる。

 そろそろ戻ろうと立ち上がり、懐中電灯のスイッチを入れた途端、目の前を大きな光が横切った。レンズのような二つの光は、息を飲む間もなく草むらに消えた。キタキツネの眼光だ。不意の出来事に心臓が萎縮した。

 私が暮らす都会にも暗闇がある。だがその闇は、ここの暗闇とは異質なものである。それは人間の心の中に潜む闇、邪悪な闇といってもいい。私たちはその闇にたえず怯え、警戒しながら暮している。

 深い森の懐で、闇に抱かれている心地よさは何ともいい難い。少なくともここには「邪悪」はない。

 森の芳香に包まれながら星を眺め、虫の声を聴いていると、ささくれだった心がしっとりと和んで行くのを覚えた。

                   平成十六年十二月  小 山 次 男

 付記

 『闇』(平成十四年八月)を加筆し改題

 平成十九年六月 再加筆