Coffee Break Essay


 『野球』

 

「四対四の同点で迎えた九回裏、いよいよ大詰。ツーアウト満塁! カウントはツー・スリー。さあ、泣いても笑っても最後の一球……」

 実況するアナウンサーのボルテージが最高潮に達し、スタンドの大観衆も固唾を飲む。今年(平成十三年)の夏の甲子園で目にした光景である。

 守る方にとっては絶体絶命、打つ方にとっては、願ってもないチャンスだが、これを逃すと断然相手が優位に立つ。延長戦でもう一度攻撃の機会が回ってくるが、精神的な痛手は大きい。ピッチャーは何としてもストライクを投げなければならず、バッターはそれを打たなければならない。日本中の視線が二人に集まる。こうなれば技量よりも精神的な問題となる。数ある野球の試合の中でも、こういった場面は滅多にない。選手も観客も祈る思いである。手に汗握る瞬間だ。

 ツーアウト満塁なれば 人生の一大事のごと 君は構える

 とは歌人俵万智の歌であるが、たかがゲームとはいえ、横になってテレビを見ていても、思わず正座してしまう。ことに試合が高校野球の場合は、特別な感情が入る。

 試合が終わり、ホームベースを挟んで一列に整列する。挨拶が終わるやいなや、例のサイレンが鳴る。決して今風とはいえないあの音。物悲しい響きが、「ああー、終わったー」という気持ちを喚起し、負けた選手たちは、ドーッと泣き崩れる。それまでの辛かった数々の練習の光景が甦り、感極まるのだ。

 女の子と遊び惚けていた友達や、夏は海、冬は山と浮かれ騒ぐ仲間が、どれほど羨ましかったか。勉強は嫌いでも、勉強する時間をもてる友達をうらやんだに違いない。そんな級友を横目に、泥にまみれ汗だくになり、しごかれ倒れ、罵声を浴びながら立ち上がる……何度辞めようと思ったか。こんなにまでして続ける意味があるのかと。カッコイイことなど決してなかった、楽しいことなどひとつもなかった。辛いばかりの練習の日々だった。

 青春の凄まじいエネルギーをただ一点に集中して、全てを野球にささげてきた。やっとの思いで手にした夢の甲子園。それまでの光景が、サイレンの音とともに一気に噴き出す。どんなに辛い練習でも泣いたことのなかった彼らが、外聞もなく泣き崩れる。

 一生懸命やって流す涙は、崇高な輝きがある。人間の美しい姿である。勝った喜びに小躍りして騒いでいる選手よりも、グラウンドにうずくまって泣き崩れている姿に、私は強く惹かれる。

 彼らは、試合には負けた。だがその瞬間、かけがえのない宝を得たのだ。遊びたいときに遊べなかった、辛い思いに耐え忍んだ、そんな思いと引き換えに、獲得したものは計り知れなく大きく、重いものである。

 これからの人生の中で待ち受けているだろう幾多の困難も、越えられぬような大きな壁にも、ひるむことなく立ち向かって行く力を得たのだ。鍛え上げたのは肉体だけではない。強靭な精神力を身につけたのだ。まだ、彼らはそれに気づいていない。将来改めて気付き感謝する日が訪れる。あの辛い練習に耐えたことを思うと、乗り越えられないものは何一つない。そういう思いで頑張っている自分の姿に出くわすときがある。

 泣いて泣いて思う存分泣いた後に、それまでにない静寂が訪れ、輝かしい笑顔が戻ってくるのだ。

 「日本では、試合を正選手の特権としてのみ扱うきらいがある。スポーツをする喜びはゲームの中に一番詰まっている。ゲームから遠ざけた選手に球拾いをさせ、それを縁の下の力持ちのように美談に仕立てるのは、体育であっても、スポーツではない」

 こんな記事を新聞のコラムで読んだことがある。

 私は、中学生のときに野球をやっていた。

 グローブもはかせてもらえず、バットも握れず、来る日も来る日も草むしりやグラウンドの石拾いばかりだった。練習とは名ばかりの球拾いの日々。大声を出しながらのランニング。訳もわからず上級生に殴られたこともあった。

 三年になり、窮地の試合で初打点を挙げたとき、ベンチから真っ先に飛び出してきたのは、則夫だった。野球にまつわる想い出はいくつかあるが、則夫のことは今も鮮明に焼きついている。ずっと控えであった彼は、一度も試合に出たことはなかった。そんな彼が、言葉にならないワァーという声を上げながら、泣き出しそうな顔で私に抱きついてきた。どんな声援よりも嬉しかった。

 正式に野球をやったのはたった三年、それも軟式野球である。その経験は、今も私の中で重く生きている。

「バッター一番、ファースト近藤クン、背番号三」

 困難な場面に遭遇するとき、当時のアナウンスが私の背中を後押ししてくれる。

 

                    平成十三年十一月  小 山 次 男

 

 付記

 平成十八年十一月 加筆