Coffee Break Essay


 『私の肉』




 肉と魚どちらが好きか、と訊かれると考え込んでしまう。

 私は、北海道の田舎の海育ちなので、豊富な海産物文化の中で育って来た。だが、幼いころから好んで食べていたのは肉である。最近になって、サメの煮付けやキンキ、ハタハタやババガレイの煮付けなどが無性に食べたくなる。これも年齢なのだろう。

 肉といえば、牛か豚か鶏だろうが、田舎で育った私には、もう少し選択肢があった。牛を全く食べなかった代わりに、羊をよく食べた。ジンギスカンである。炊事遠足や屋外のバーベキューは、ジンギスカンと決まっていた。ほかにエゾシカ、ヒグマ、キジ、ヤマドリなどがあった。クジラは、せいぜいベーコンで、肉はほとんど口にする機会がなかった。馬は、競走馬の産地であるがゆえ、身近すぎて誰も食べなかった。

 肉のなかでも、ヒグマとエゾシカはよく食べた。ヒグマの肉は黒くて、しかも独特の癖がある。家族では私しか食べなかったが、あの癖があるといわれる臭いが、たまらなく私の食欲をそそった。高校時代から故郷を離れていた私にとって、ヒグマの肉を食べるのが帰省の大きな楽しみだった。当時、クマを持って来てくれたひと達はみな高齢化して、そんな肉を食べる機会はなくなった。

 スーパーやデパートの食肉コーナーへ行くと、大量の肉がずらりと並んでいる。店によっては肉の色がきれいに見える照明を使っていて、美味そうに見せている。同じ動物の肉でも、産地によって随分と値段が違う。

 牛では和牛が飛びぬけて高い。国産牛と和牛は同じだと思っていたら、国産牛の中でも特に厳選されたものを和牛というらしい。中でも黒毛和牛といわれる松坂牛とか神戸牛、近江牛、米沢牛などは最高級の食肉である。いわゆる和牛霜降りステーキというやつだ。確かに外国産のオージービーフなどとは、消しゴムを食べているんじゃないかと思うほど硬い。アメリカンビーフも似たり寄ったりである。同じ牛肉と考えてはいけないのかも知れない。

 豚肉では黒豚が高級である。調べてみると、黒豚とは純粋バークシャー(英国のバークシャー州原産)種同士をかけ合わせた豚のみを黒豚といい、日本では鹿児島黒豚が有名である。残念ながら食べたことはない。

 鶏では、名古屋コーチンや秋田の比内地鶏などが有名だ。いわゆる地鶏というやつで、ブロイラー(若鶏)に対して古くからの国産種のものをいうのだそうだ。これが美味いらしいが、これも食べたことがない。

 デパートの食肉売り場を歩いていると、こだわりの肉というか、食通の肉、つまり高級肉というものがズラリと並んでおり、見ているだけで面白い。

 今日は、豚にしようかといえば、普通の豚肉だし、若鶏の何とかとなると、若いのだから美味いかなと思いながら買っている。我が家の場合、味にはあまり頓着がない。

 ある日、デパートの食肉売り場に並べられた高級肉を見ながら、ふと考えた。私の肉はいくらぐらいだろうか、と。

 現在の私の年収は、約五五〇万円弱である。そこから通勤定期代を差し引き、現在の体重六二キロで除すと私の肉は、一〇〇グラムあたり約八五〇〇円という計算になる。つまり、あの霜降り和牛よりも高い。この電気の下に並べたら、私の肉も美味そうに見えるだろうか。

 二十代ならまだしも、私もはや四十二なので、もはや味には自信がない。ヒモで縛ってダシをとったところで、たかが知れている。ビーフジャーキーよろしく、干物にしてむしって食べるしかないだろう。「かめばかむほどいい味がでます」と添え書きでもするか。誰がそんなものを買うか! 妄想は広がるばかり。

 サラリーマンの場合、年に二度、人事考課がある。賞与の査定のことである。自己評価の数値を見ながら、上司との面談がある。この際、そんな面倒くさいことは止めて、年収と体重から評価するのも一考の余地があるのではないか。つまり自分の単価を上げるには、額に汗して一生懸命仕事をするしかない。汗をかくと体脂肪が燃える。必然的に体重が減り、結果として年収の単価も上がる。あいつは、年収はいいのだが残念ながら太っている分、一〇〇グラム当たりの評価は落ちる、といった具合である。

 牛肉が危ないとか、肉をゴマかして売っていたとか、最近、肉に関するくだらないニュースがやたらと多い。国産牛だと偽って、高い値段で外国産の肉を食べさせられていたのである。

 だが、ほとんどの人は、さすが○○牛は美味いといいながら、高い料金を払って満足していたのである。要するに腹が減っていると、なんでも美味いということか。

                     平成十四年五月  小 山 次 男

 追記

 平成十九年六月 加筆