Coffee Break Essay



この作品は、20149月発行の同人誌「随筆春秋」第42号に掲載されております。


 「忘れられない結婚記念日」


 四月九日は、結婚記念日である。だが、残念なことに、二十一年間の結婚生活に終止符を打ち、平成二十二年に離婚した。だから結婚記念日など、どうでもいいのだが、困ったことに忘れられない。

 結婚して三、四年目だったろうか、会社帰りに、誘われるままに飲みに行った。その日が結婚記念日であることを、コロッと忘れて。

「ホーント疲れたよな。ちょっとだけいくか」

 上司が、お猪口を口に運ぶ仕草をした。何日も前から会議の資料を作っていて、その一連の作業が、やっと一段落したのだ。

「いいっすね。軽くやりますか、たまには」

 結婚記念日のことは、数日前まではしっかりと覚えていた。毎年、この日だけは、律儀に早めに帰宅していたのだ。それが、面倒な仕事をやり終えた安堵感から、スッポリと抜け落ちた。油断だった。

「ちょっとだけ」に、「軽く」と「たまには」が加わった結果、二軒のハシゴとなった。

 遅い時間にグデングデンになって帰ったら、テーブルの上には豪勢な料理が並んでおり、桜島のようになった妻が座っていた。私が玄関のドアを開けた瞬間、起爆装置が作動し、大爆発が起こったのだ。私は、一瞬、何が起こったのか理解できなかった。

 イヤ、違う。正確に言うならば、テーブルに並んでいる料理と、まるで表情をなくした妻の顔を見た瞬間、異常事態であることを察知した。頭の中をいろんなことが駆け巡った。(どうした。何が起こった)

「知ってるよね、今日、何の日か」

 妻が、静かな声で言った。

(何の日って……)

 酔いは一瞬で吹き飛んだ。百キロぐらいの重い現実が、私の脳天を直撃した。

 何通りかの言い訳を瞬時に思い浮かべた。ときどき使わせてもらっている常套句、

「ゴメン、ゴメン遅くなっちゃった。○○課長がさ……」

 そんな小細工は通用しない。

 だが私は、「ゴメン、うっかり忘れていた」と素直に言えなかった。それは、テーブルの上の料理のせいだった。私を驚かせようと、一生懸命料理を作る妻の姿が浮かんだ。小さなお尻を振りながら、ときに鼻唄まじりに。

 彼女は密かにサプライズを企てていた。決して料理が得意とは言えない妻が、見たこともないような凝った料理に挑戦していたのだ。メイン料理の肉の周りには、赤や緑、黄色といった色鮮やかなパプリカが散りばめられていた。出来上がったときは、小さなガッツポーズを作ったに違いない。その料理の表面が乾いて、パサパサになっていた。だから、うっかり忘れていた、とは言えなかった。それで咄嗟に言い訳を探したのだ。彼女はそれを許さなかった。

 女の怖さを、改めて知らされた出来事だった。そして、女の面倒くささというものも。携帯電話のない時代である。

 以来、結婚記念日を忘れたことがない。平成元年(一九八九)に結婚したので、四月九日、八九年ということで「シ・ク・ハック」と覚えた。我ながら上出来の語呂合わせに、これなら絶対に忘れない、と胸を張った。その結果、本当に忘れられなくなってしまった。

 その後の妻との生活は、四苦八苦どころか塗炭の苦しみの中で七転八倒、辛酸を舐めることになる。

 結婚八年目、妻は精神を病んだ。人格障害に加え、重度の鬱病を発症した。妄想に自殺未遂、そして長期間にわたる暴力。そんな十二年半の闘病生活を経、入退院を繰り返す同じ病気の入院仲間の男性のもとに走った。

 結婚の宣誓式で、「その健やかなるときも、病めるときも……その命ある限り、真心を尽くすことを誓いますか」と牧師に問われ、胸を張って「ハイ」と答えた。緊張のせいもあってか、自分の声の大きさに我ながら驚いた。聖書の上に二人、手を重ねていた。もっとも私はクリスチャンではなかったのだが。

 披露宴のスピーチで耳にした「人生の荒波」は、想像以上だった。私の舟は、もののみごとに転覆した。救難信号を発し、八方手を尽くしたが、妻を救い出すことはできなかった。

 離婚の報告をすると、周りからは「よかったな」「本当によかったね」と、しみじみ言われた。結婚した時よりも大きな祝福をもらったような気がし、複雑な気分になった。

 私は妻の病気を憎んではいるが、妻を恨んではいない。妻のおかげで、ものを書くことに目覚めた。そして多くのかけがえのない人々に出会った。人間って、こんなにも温かかったのか、そんな思いをもらった。とてつもなく大きなものを失った。だが、それと引き換えに、得たものも少なからずある。

 今度は、結婚記念日を間違えても、あまり気にしない、そんな都合のいい女性がいないものかと、密かに探している。


               平成二十六年八月  小 山 次 男