Coffee Break Essay




 『我が青春のESS』

 (四)

 ESSでは春と夏に合宿(セミナー)があった。本当の英語の実力は、この合宿に備えた事前準備と合宿を通して身に着けたように思う。普段はそれぞれのセクションで活動しているのだが、合宿ではセクションの垣根を取り払って、ディベート、ディスカッション、ドラマ、ガイドの全部をこなさなければならず、かなり負荷のかかる行事であった。特に春合宿は新一回生の入部を控え、現一回生が二回生になるための試練であり、また二回生にとっても三回生として部を牽引してゆくための総仕上げという意味合いがあった。合宿が近づいてくると、連日徹夜の様相を呈してくる。

 合宿は、五、六泊でアメリカ人留学生の男女一名づつを伴い、長野や兵庫の山中の民宿を貸し切って行われた。和気藹々(わきああいあい)としていたのは、行き帰りのバスの中と、最終日のレクリエーションだけだった。終始緊張感を強いられる合宿であった。

 合宿中は「キープ・イングリッシュ」といって日本語を禁じられる。もちろんテレビもダメ、民宿の関係者との接触もコミッティー以外は許されなかった。最初の三日は言葉を喪失し苦痛に身悶えるのだが、後半になってくるとそんな環境にも順応してくる。そんな我々に、

「俺はこの歳まで、いろんな学生を相手にしてきたけど、あんたらのような部は初めてだ」

 宿泊した先々の民宿のオヤジから一様に驚かれた。最後の日を除いて、毎朝外でラジオ体操をする以外は、一歩も外に出ないのである。

 一回生の初めての夏合宿は、長野県の戸狩高原であった。高速のサービスエリアでトイレ休憩をとった際、駐車場で五、六名がフリスビーを始めた。私も参加していた。誰かが投げたフリスビーが、スローモーションのようにゆっくりとバスのフェンダーミラーに向かって行った。ミラーがいとも簡単に割れてしまった。電話で業者を呼んで、ミラーを交換するのに一時間ほど時間を取られて民宿に入った。

 フリスビーをやっていた者たちは、到着後すぐにコミッティーの部屋に集められ、県警本部の企画から大叱責を受けた。その中に三回生が一人いたのだが、その彼が集中砲火を浴びた。私は反省の色を示しながら、感心しながら怒られていた。全部英語だったのである。怒られていることだけは表情や、声の高さから分かったのだが、内容はまるで理解していなかったのである。

 三回生の夏合宿は、兵庫県の鉢伏高原だった。そのとき私の友人の実家が、近くで民宿を営んでいた。友人は同じ大学で、スキー部のキャプテンだった。彼は気を利かせて一升瓶を差し入れに来てくれた。ESSの連中が山の中にまで来て、一日中部屋にこもって新興宗教の修行まがいのことをやっていると、彼は思っていた。その偵察も兼ねて夕食時にやってきたのだ。

「おお、近藤、元気でやっとぅか。どうや合宿は楽しいか。みんなでやってくれ」

 といって持ってきた二本の一升瓶を差し出した。玄関に出た私の傍らにはコミッティーもいたため、やむなく、

「オー・センキュー・ソー・マッチ。バット・ナウ……アイ・キャント・スピーク・ジャパニーズ……」

 と困った顔でいったら、友人がギョッとしている。周りの張り詰めた空気に、彼はそそくさと退散してしまった。後日、活動内容をねほりはほり訊かれたたのだが、あまりよくわかってはもらえなかった。彼は典型的なスポーツマンで、兵庫県代表の国体選手であった。

 合宿が終わった帰りのバスでは、派手なドンチャン騒ぎをするのが常だった。フォークソング歌手ふきのとうの「雨降りの道玄坂」(一九七六年)のフレーズを延々と歌うことが、そのころの慣わしになっていた。

 数年前の合宿の帰り、誰かがバスの中でこの歌を歌ったところ、歌の終わりがわからなくなり、エンドレスになったのがきっかけである。以来、合宿の帰りは、高速を走っているバスが京都に近づきだしたころから歌い出すのだ。

「あの日雨降りの道玄坂/バスを待つあなたの/寂しさに声かけたのは/気まぐれじゃなかったわー、あの日雨降りの……」

 三回生での合宿の帰りには、このフレーズを七十数回繰り返した。毎回、前年の記録を更新させる。不思議なもので、このフレーズを繰り返しているうちに感極まってくるのだ。涙を隠すのによけい大声を張り上げた。女の子たちはみんな泣いていた。バスの運転手が我々のバカ騒ぎに発狂しなかったのが不思議なほどだった。

 就職して初めて渋谷を歩いて、偶然にもそこが道玄坂であることを知ったとき、感慨深い思いが沸き起こった。道玄坂が東京にあることすら知らずに歌っていたのだ。今でもたまに道玄坂を歩くと、「あの日雨降りの道玄坂……」というフレーズが蘇ってきて、ついつい口ずさむ。坂道を登りながら、鼻腔の奥がツーンとしてきて、涙が滲んでくるのである。

           (つづく)


                平成二十年八月 立秋  小 山 次 男