Coffee Break Essay




 『我が青春のESS』

 (十)

 私がファイナル(決勝戦)のクロージングの司会を託したのは、産大(京都産業大学)のデリゲ(派遣委員)で、将来、産大のディベートの一翼を担うだろうと目していた女性である。彼女は、前回の五人制ディベートの大会で大きな失態を演じていた。

 大会関係者が定刻どおり全員そろっていた中、パンツの一人であった彼女だけが来ていなかった。産大のチーフと幹事長が私のところにそれをいいにきて、初めてそれがわかった。当時は、携帯電話がなかったので連絡のとりようながい。アパートにはすでにいないという。定刻になり、オープニング・セレモニーを予定どおり行い、各大学はそれぞれの試合会場に散っていった。

 産大の幹部二人が、なんとか頼むと頭を下げてきた。ディベートのパンツにとって、大会へ出場するまでの努力は並大抵なものではない。試合開始の数分前、私はジャッジ・ルームに行って、パンツの一人がそろっていない旨を報告し、全体の試合開始時間を少し遅らせてもらいたいとお願いし、了承をもらっていた。試合開始は、十五分後ということになった。

 だが、その十五分が近づいても彼女の姿はなかった。産大の関係者は、手分けして玄関や門の前に張り付いていた。二回生まで親しくしていた産大の幹事長が、これ以上みんなに迷惑をかけらない、うちは棄権するから試合を開始してくれといってきた。彼の顔は蒼白で苦渋の色に満ちていた。私は心配するなという意味をこめて彼の肩に手を回し、トントンと叩いてやると、深々と頭を下げた。

 私は運営委員長に試合のスタートを指示し、産大の会場である教室に向かった。教室に入ると、産大の四人のパンツが一斉に哀願するような目を向けてきた。そこにいたジャッジは、R・マクドーナルである。冷徹なジャッジとして恐れられていた女性で、大会の運営の時間にも厳しく、これまでにも何度か小言をいわれたことがあった。私は試合スタート時間ぴったりに教室に入ってからアシスタントの女性に、幹事長と副幹事長を呼んでくるようお願いした。できるだけゆっくり来いと耳打ちしていた。

「ただ今、幹部が参りますので、お待ちいただけますか」

 R・マクドーナルと相手チームにお願いした。マクドーナルは、神戸から来ていたので、ホテルを予約している。幹部が来るまでの間、私はマクドーナルのかたわらへ行き、いつものホテルの予約が取れなかった話をし、ミスター大越がホテルまで案内するといった雑談をし、時間の引き延ばし作戦に出た。マクドーナルの付き添い役の大越は、甘いマスクの龍大の男で、マクドーナルのお気に入りの学生だった。

 幹部がそろったところで、私は、マクドーナルと相手チームに、時間が来たのでこの試合を不成立としなければならないが、今日の日を目指してみんな頑張ってきたので、もう少し待ってはもらえないだろうかとお願いし、全員で深々と頭を下げた。同時に産大のパンツと応援に来ていた者がみんな起立して頭を下げた。産大の女の子の鼻をすする音が聞こえていた。本来のスタート時間が九時二十分でそれから十五分遅らせて、さらに五分が過ぎていた。運営時間的に大丈夫なのかと訊かれたので、あと十五分は待てると答えると、マクドーナルはすんなりと了承してくれた。

 私は運営委員長に他の大学のスタート時間を二十分遅れの、九時四十五分にするよう指示していた。二日目の試合なら、新幹線や飛行機の予約時間があり、定刻どおりに終わらせなければならないのだが、初日はその心配がいらない。だが、午前十時までは待てるが、それ以上の引き伸ばしは難しかった。

 しばらくして、玄関で待っていた産大のメンバーが息を切らせて教室に駆け込んできた。

「今、来ました。すいません」

 と肩で息をしながら頭を下げた。その知らせに、会場から安堵のため息が漏れた。真っ赤に上気した顔で彼女が教室に入ってきたのは、間もなくである。時間切れだと半ば諦め、みんなが腹を括っていたときであった。大変お待たせをしました、ではお願いしますと、マクドーナルにいうと、

「もう少し待ってあげましょう、見てご覧なさい。この状態じゃ無理よ」

 遅れて来た彼女の息が上がっていた。

「おかーあちゃん、電話やで」といって電話を繋いでくれたマクドーナルの幼い子の顔が脳裏をよぎった。産大の試合は、全体から遅れること十五分、午前十時に開始された。試合開始を見届けた私は、幹部控え室に戻る途中、産大の幹事長に、

「あんまり怒らんときぃ、彼女のこと」

 と耳打ちすると、うっすらと目に涙をためていた。

 彼女が遅れたのは、前日まで徹夜に近い練習をしていて、目覚し時計が鳴らず、目が覚めたらオープニングの時間だったという。産大から会場の京都教育大学までは、京都盆地を南北に結ぶ端から端までの距離であった。彼女はタクシーで駆けつけていた。試合後、私の元に来て、

「すんまへんでした」

 と涙ぐむ彼女に、

「俺に謝らんかてええ。産大にはいい仲間がいっぱいおるな」

 といったら、彼女の涙は嗚咽に変わってしまった。その後、幹事長やチーフから、しこたま怒られたであろう彼女のことが気にかかっていた。

  (つづく)



                平成二十年八月 立秋  小 山 次 男