Coffee Break Essay


  『梅崎さんの酒』

私の会社には東北、北海道出身者が多い。
そのせいかどうかは知らぬが、酒豪がやたらといる。
一升を空けてケロッとしているのがザラなのだ。

何年も前のことだが、盛岡で社内の野球大会があった帰り、新幹線の中で大宴会が始まった。
総勢二十数名、私は不幸にもその引率幹事。要するに、つかいっ走りである。

缶ビールの二本も与えておけば、みんなコロッと寝てしまうだろうという算段は、
あっけなく吹き飛び、持ち込んだビールはあっという間に底を尽く。
慌てて車内販売の酒を買いに走った。

出発前、ほかのお客さんもいるから、あまり車内では飲ませるな、
と上司からしっかりと釘を刺されていた。
ゆえに、この予定外の出費に冷や冷やしていたのだ。
ところが、当の上司、アルコールが入ってすっかり気が大きくなり
「ケツの穴の小せいヤローだな。ケチケチしないでドンと買って来い」と豹変した。
実は、その言葉を待っていたのだ。

それからはアルコールの大量供給となり、
二時間ちょっとの間に日本酒、ウィスキー、ビールと飲みに飲んで、
とうとう新幹線の酒を全部飲み干してしまった。
ビュッフェの責任者が、東北新幹線開業以来の快挙ですと目を丸くした。
上野でやっと開放されたと思いきや、
オーイ、飲みに行くぞの大号令、卒倒するかと思った。

私も酒はひとなみに飲むが、強くはない。すぐ顔に出てしまう。
しかも、しばらくすると強い眠気に襲われて、どうにも耐え難くなる。
酔い潰れるどころか、その前に具合が悪くなってしまうたちである。
前後不覚になるまで酔える人に、羨ましささえ感じる。

お酒に強い人と飲んでいると、時にペースを乱される。
相手のペースにつられることもあるが、酔っ払いは酔っ払いなりに気を遣っていて、
こちらの飲むスピードが遅いと、執拗に勧めて来るのだ。
だからつい飲み過ごしてしまう。

あるとき、前後不覚とまでは行かないが、それに近い経験をしたことがある。
したたかに飲んだ帰り路、会社近くの駅の階段を下りながら、
足がひどくふらつくのを感じた。
翌日、二日酔い気味のだるい体調を感じつつ玄関を一歩踏み出した途端、ガクッとなった。
よくよく見ると革靴の踵が片方なくなっている。
前夜のふらつきは、酒よりもむしろこの踵のせいだった。
どこで落としたのかは定かでないが、それに気づかずに歩いて帰って来たのだ。

他の靴を……と思ったが、みんな汚れた中古品ばかり。
仕方なくピョコタン、ピョコタン歩いて会社に着いて、一緒に飲んだ同僚にその話をしたら、駅の階段に踵が落ちていたという。
しかも私のではないかと話しあったという。私にはピンときた。
こんなふざけた物を遺失するのはあのトンマ野郎に決まっている、と話し合ったに相違ない。
ともかく問題はその遺失物だ。「で、その踵どうした」と訊いたが、万事後の祭りだった。

酒での失敗といっても人様々だろうが、そのユニークさでは、梅崎さんの右に出る者はいまい。
梅崎さんは当時、五十を過ぎていた。
江戸っ子で話し振りはベランメー調、飲むほどに饒舌になる。
ふと気づく。彼は無類の酒好きというより、芯から酒を愛していた人かも知れない。
昼食もソバしか食べない。酒がまずくなるというのだ。
会社帰り、ひとりで一杯引っかけて帰るのが楽しみで、
そのために会社に来ているような人だった。

梅崎さんは神奈川県の三浦市に住んでおり、始発の三崎口から会社のある人形町まで、京浜急行で一本なのだが、一時間半の通勤距離。
それを飲み過ぎて寝てしまい、折り返して戻って来ても泰然としている。

あるときハッと気づいたら、葛飾区の青砥で終電がなくなった。
泊まるしかない。ビジネスホテルへ行ったが、お金が足りない。
が、財布の底に競馬の当たり馬券が入っていた。
それで泊まった。泊めたホテルも凄い。
梅崎さん曰く、どうせなら、もっといいホテルに泊まるンだった。
その馬券、三万円近い大穴だったらしい。

あるとき、珍しく梅崎さんに誘われた。
梅崎さん、実は大の読書家で、文学好きなのである。
文学談義に花が咲いた。咲き過ぎた。大ファンの太宰治がいけなかった。
梅崎さんの舌に火がついた。その舌が空回りし出して、
何を喋っているのか分からなくなってきたところで、お開きとなった。

駅に着くや「オッ、小便!」と言う。二人でトイレへ。
トイレには我々しかいなかった。小便をしながら、なおも熱弁を振っている。
だが梅崎さん、なかなか小便の音がしない。
おかしいなと思い、チラリと見ると、確かに両手で握っている格好をしている。
だが、肝心なものが出ていなかった。
どうなっているンだと思ってよく見ると、梅崎さんの足許から私の方に向かって、水が流れて来るではないか。
その水は紛れもなく梅崎さんのズボンの裾から出ているものであった。

「梅崎さん、チンポ、出てない!」
「えーっ、何だって」
「小便が……ズボンの裾から出てますぅ」
「あ、あっ、いけねぇ。おめぇ、何でそれをもっと早く言わねぇンだッ」

その後、梅崎さん、革靴に溜まった小便を便器に空けながら、
年取ると小便もどっから出て来るかわかりゃしねぇ、と息巻いた。

歩きながら、何だかグチャグチャしやがるといいながらも、後出に手を振って平然と改札に消えて行った。

二年前、その梅崎さんの訃報を受け取った。どうしても都合がつかず、葬儀には行けなかった。
あの世でも豪快に酒を飲んでいることだろう。
今でも人形町駅の便所に入ると、梅崎さんの小便を思い出し、思わず頬がゆるんでしまう。


                    平成十六年三月  小 山 次 男