Coffee Break Essay




 『通勤生活』

 

 東京に暮らして二十六年、毎朝、人の波にもまれながら通勤している。

「――うぢの息子、会社、東京なんだわ」

「へー、トーキョーがい、たまげだもんだなぁ」

「だけどさ、住んでるどこ、神奈川県なんだわ」

「……」

 独身のころ、北海道の実家に帰省したおりに耳にした母と近所の人の会話である。そのころ私は川崎の独身寮にいたのだが、田舎の年寄りには会社が東京にあって神奈川県に住んでいるということが理解できなかった。とりわけ北海道の人にとっては、都府県を横断しての通勤が想像できないのだ。

「なーんも、会社が東京にあるんだら、東京に住めばいいっしょ」

 といわれると、いちいち説明をするのが面倒になってしまう。

 この二十六年の間に、私は小金井市(東京)、川崎市(神奈川)、杉並区(東京)、練馬区(東京)と大きく四回転居している。いずれも会社までの距離は一時間程度であった。それでも私は恵まれている方で、かなりの人が一時間半前後の通勤を強いられている。家賃やマンションが高額で、普通のサラリーマンには手が届かないため、やむなく郊外に住んでいるのである。私はボロ屋ながら、民間の狭小な一戸建てを会社から貸与されている。

 私を含めたサラリーマンの多くが、毎朝都心を目指して乗り入れてくる。おもに渋谷、新宿、池袋、上野、東京、品川などが、郊外と直結している駅であり、数百万の人が限られた時間帯にドッと押し寄せてくる。

 現在、私は電車と地下鉄を三本乗り換え、会社に通っている。そのうちの一本、西武池袋線が池袋につながっている。池袋には各駅停車、通勤快速、通勤準急、急行、特急と様々な形態の電車を駆使して埼玉方面の人が乗り入れてくる。

 最も混む時間帯のときは、電車がホームに到着しても、乗客の圧力でドアが開かないのである。そのドアを手でこじ開けて無理やり乗り込んでくるのだから、たまったものではない。

 超満員の車両には、約三百人を超す人が乗っている。つまり、十両編成の車両から一度に三千人あまりの人々が駅のホームに吐き出されることになる。数十秒間隔で電車が到着するので、広い駅のコンコースは床が見えないほどの人でごった返す。そこからJRや地下鉄など、それぞれの方向に人の流れができる。みんな先を急いでいるので、結構な速度の流れである。それぞれが見知らぬ他人同士なので、無言である。

 この人の流れに馴れるということが、ある意味東京に馴染むということなのである。最初のころは人酔いして気分が悪くなったりしていたのだが、今は濁流にうまく乗って会社までたどり着いている。

 最初のころ、車内やホーム、コンコースを歩いている無言の大混雑が不気味でならなかった。眼に入るのは無数の人々の頭である。ふさふさとした黒髪の中に、白髪混じりや禿頭が見え隠れする。そんな頭を眺めながら、それぞれの人がそれぞれのことを考えているのだろうな、と思うことがある。

 恋人ができて、結婚したばかりで幸せの絶頂にいる人。約束のお金が今日中に入手できなければ破産してしまう人。人生を左右するような試験に臨もうとしている人。訃報を受けて先を急いでいる人。今日定年退職を迎える人。数十年ぶりの友人との再会に胸を躍らせている人。社運をかけた商談が待ち構えている人。女の子の尻を触ってそ知らぬ顔で改札を抜けようとしている人。脳内出血で数時間後にこの世を去る運命にある人。無数ともいえる人々の後姿を眺めながら、それぞれの背負っている人生に思いをめぐらす。

 また、電車に乗っている人には、同じようなパターンが見られる。携帯電話を眺めたりメールを打ったり、本を読んでいる人もいれば、音楽を聴いている人など様々なのだが、圧倒的に多いのが寝ている人である。電車の中の半数の人は眠っている。それは立っている乗客も例外ではない。東京の人はみんな疲れているのである。

「まだ寝てる帰ってみればもう寝てる」

 こんなサラリーマン川柳があったが、東京のサラリーマンのあらかたは、仕事をしているか寝ているかのどちらかであろう。私もそんなサラリーマンのひとりである。そして、人混みにまぎれて見えなくなってゆく者のひとりでもある。

 

                平成二十一年三月 啓蟄  小 山 次 男