Coffee Break Essay



この作品は、室蘭民報(201619日)夕刊「四季風彩」欄に掲載されました。


 「追体験の旅 ― 増穂の小貝」

 
 にしき、さくら、むらさき、わすれ……そんな名を目にすると、遠い記憶が甦える。

 三十四年前、能登半島西岸の富来(とぎ)という小さな漁村を訪ねたことがある。そこに作家福永武彦ゆかりの宿、湖月館(こげつかん)があった。当時学生だった私は、気まぐれの旅の途中、大女将に無理をいって泊めてもらったのだ。

「夜もすがら春のしるべの風ふけど増穂(ますほ)の小貝くだけずにあれ」とは、福永武彦が湖月館に投宿したおり、大女将に贈った歌である。

 この一帯は増穂浦(ますほがうら)といい、古くから三十六歌仙貝で有名な地である。「汐(しお)染むるますほの小貝拾ふとて色の浜とはいふにやあるらむ」と西行が歌ったように、毎年十一月から翌三月にかけて「貝寄せの風」が吹き、歌仙貝が打ち寄せる。鎌倉の由比ヶ浜(ゆいがはま)、紀州の和歌浦(わかのうら)とともに日本小貝三名所の一つになっている。

 当時の想い出をつづった拙作「増穂の小貝」が、〇九年版『ベスト・エッセイ集』(文藝春秋)に収録され、二〇一二年十月に文庫化された。そのとき、室蘭民報が取り上げてくれた記事の写真に、三十六歌仙貝の標本が写り込んでいた。

 新聞の写真を目にした伊達市の貝殻研究家吉野克氏から、ぜひその標本が見たいとの連絡があり、一度だけお会いしたことがある。

 この十月、その吉野氏から思いもかけぬ手紙をもらった。かねてからの念願であった増穂浦を訪ねてきた、という内容だった。

 吉野氏の旅は、かつての私の足跡をたどる旅だった。金沢からバスで富来へ。私が到着したのは十二月の冷たい雨の夜だったが、吉野氏は夕方で、それでも旅館が見つけられるのか不安だった、と。私は駅前から旅館に電話し、近所の食堂に立ち寄っているのだが、もうその電話ボックスも食堂もありませんでした、といった具合に手紙が進んでいく。

 吉野氏はあらかじめ旅館に電話し、私のことを話していたので、大女将から歓待を受けたという。翌日は増穂浦を歩き、時間を忘れて貝殻拾いをした、という文面からは喜びが溢(あふ)れていた。今回の吉野氏の旅は、まさに「増穂の小貝」の追体験の旅であった。

 二〇一一年七月、福永武彦展が札幌の北海道立文学館で開かれた。そのとき札幌を訪ねてきた大女将と、私は三十年ぶりに再会している。昨年、池澤夏樹氏がこの文学館の館長になった。池澤氏の実父は、福永武彦である。

 昨年の秋、たまたま社内旅行で金沢・能登方面へ行った。そのとき、能登金剛の巌門(がんもん)で昼食をとることになり、大女将が出向いてきてくれた。思いもかけぬ再会となった。

 ご本(文庫)を読んだ方が各地から宿を訪ねて来てくれた、と語る大女将の目から涙がこぼれた。学生時代の無茶のご恩返しが少しはできただろうかと思ったとたん、私も涙を堪えることができなかった。

 吉野氏の手紙は、「拾ってきた貝殻は整理せずに少しそのままにしておき、増穂浦の余韻を楽しんでいる」と結ばれていた。


                平成二十八年二月  小 山 次 男