Coffee Break Essay




 『遠い家路』




 東京に住んで二十六年になる。その間、高層ビルが次々と建ち、東京の街並みは変貌した。未曾有の不況とはいうものの、今もなお建設中の高層マンションをいたるところで目にする。東京が変わったのは、建物ばかりではない。地下鉄が次々と延長され、あちこちから電車が乗り入れてくるようになった。

 私がふだん使っている西武池袋線には、頻繁に地下鉄有楽町線が走っている。昨年、副都心線が開業し、渋谷まで乗り継ぎなしで行けるようになった。数年後には東急東横線と直結し、横浜中華街まで乗り換えなしで行くことができるという。先日、北千住の駅で小田急のロマンスカーを見たときには、ひっくり返るほど驚いた。

 地下鉄の延長は、利便性の向上をもたらす。誰もが認めるところであるが、私としては、手放しで喜べないものがある。

 私は酒に酔うと、電車の中で寝るくせがある。しかも、うとうととするのはまだいい方で、時に熟睡してしまう。会社帰りにしたたかに飲んで、パッと目が覚めたら、目の前に山が見えたことがある。慌てて電車を飛び降りたが、頭は混乱し、状況が把握できない。何だ、この山は。練馬には山がない。しかも結構雪が積もっている。駅名を探すと「橋本」――八王子の近くまで行っていたのだった。都営新宿線が京王線に乗り入れているため、そんな珍事が発生したのだ。終電でなかったことが、不幸中の幸いであった。この都営新宿・京王線ラインには、これまでにも何度か痛い目に合わされた。

 私は結婚して二年ほど杉並にいたことがある。最寄り駅は、京王線の明大前駅であった。会社へは都営新宿線乗り入れで一本で行けるようになった。それは便利な半面、危険でもあった。

 ある月曜の夜のこと。その日はいつも以上に疲れていた上に、会合が二次会にまでおよび、したたかに酔っていた。なんとか乗り越すことなく無事に明大前にたどり着いてホッとした。だが、アパートまで歩いて十分ほどの距離が辛かった。ひどい千鳥足で、画に描いたようなジグザグ歩行だ。自宅までいつもの倍近い時間がかかった。いつもアパートの二階の私の部屋の明かりがみえるのだが、その日は電気が消えて真っ暗だった。遅く帰っても明かりが消えていたことは今までになかった。娘に何かあったかと心配になった。そのころ娘はまだ二歳で、夜中に高熱を発することがしばしばあった。まだ携帯電話のない時代である。

 嫌な予感がして足を速めたのだが、急ぐほどに足が絡まる。転びそうになるほどよろけ、左右の住宅のブロック塀にぶつかりながら、やっとの思いでアパートにたどり着いた。階段を駆け上がり、ドアの前に立って衝撃で棒立ちになった。ドアに貼紙がしてあり、「転居しました」と。干からびた糸ミミズのような字は、紛れもなく私の字だった。なぜだ! と思った瞬間、頭を抱えて蹲った。状況が呑み込めたのだ。

 二日前の土曜日に、練馬に引っ越していたのである。その日から、都営新宿線の浜町駅から三つ目の小川町で丸の内線に乗り換えなければならなかったのだ。電車に乗った直後に熟睡してしまい、飛び降りた駅が偶然にも二年間かよい慣れた明大前だったという不運。酔っていたこともあり、いつもの感覚で電車に乗ってしまっていた。

 休み明けの月曜日、ただでさえ疲れるところに、土、日の引越しが加わっていた。しかも二次会……。その泥酔が一瞬に醒めてしまった。長居は無用、顔見知りの住人に見つかったら言い訳の言葉が見つからない。親しかった人たちに見送られて転居したのである。

 階段の降り口まで戻ったところで、背広姿の男が上ってくるのが目に入った。眼を凝らすと隣のご主人ではないか。逃げ場がない。相手もかなり酔っているようだ。急ぐふりをして駆け降りるのが得策と判断し、数段駆け降りたところで、ご主人が顔を上げた。

「ああ、コンドーさん」

 ひどくロレツが乱れている。

「ああ、どうも。それじゃあ、行ってきまーす」

 私、咄嗟に叫んでいた。

「いってらっしゃーい」

 なんともトンチンカンな声が返ってきた。ホッと胸をなでおろした。振り返るとご主人は階段の上り口で大きく手を振っている。部屋に入ってから、「今、そこでコンドーさんに会ったよ」と遅くなった絶好の口実に、私のことを引き合いに出しているに違いない。とたん、奥さんがテーブルを叩く。「なに寝ぼけてるの! あなた。一昨日引っ越したでしょ、コンドーさんは。しっかりしてよ」そんな夫婦の会話を想像しながら、家路を改めて辿ったのであった。



                平成二十一年六月 夏至  小 山 次 男