Coffee Break Essay




 東京が遠のいていく


 東京を離れて六年になる。最近は、年に一度しか上京する機会がなくなった。長年住み慣れた街も行くたびに様相を変え、着実に私の知らない土地になりつつある。とりわけオリンピックが決まってからは、変貌のギアがトップに入り、街中、どこもかしこも工事中だ。年に一度、しかも一泊二日の滞在では、行動範囲が限定される。私の東京感覚がすっかりダメになってしまった。

 東京にいた二十八年の間、小金井市、川崎市、杉並区、練馬区と住む場所を変えながら、会社のある日本橋まで通勤していた。当然、あのカラフルな線が絡み合うメトロネットワーク(地下鉄路線図)やJR、他の私鉄との接続が頭に入っていた。その範囲は都心だけではなく、横浜などを含めた首都圏に及んだ。東京でサラリーマン生活をしていると、自然と身につくものである。その回路が六年を経て、ズタズタに寸断されつつある。

 今回、有楽町へ行こうとJR新橋駅のホームで電車を待っていたら、池袋で人身事故が発生したというアナウンスが流れた。山手線が全線で運行を見合わせているという。よくあることだ。山手線と並走している京浜東北線も、駅工事の関係から新橋駅に止まっていなかった。有楽町は次の駅である。

 実はこのとき、私は大きな勘違いをしていた。有楽町が三駅ほど先だと思っていたのだ。ここ数年品川近くのホテルを利用していたためである。だから、都営浅草線や都営大江戸線あたりに乗って、どこかで有楽町線か日比谷線などに乗り継ぐと、有楽町に行けるんだろうなと漠然と思っていた。ただ、何に乗ってどこで乗り換えるのかが判然としていなかった。

 次第にホームに人が溢れてきてマズイなと思い始めたところ、同じく並走しているJR東海道線で東京駅まで行き、そこから歩いて戻ることを思いついた。東海道線は、有楽町駅を通過してノンストップで東京駅まで行くのだ。つまり私は新橋から歩いて有楽町まで行けばいいものを、東京駅まで行ってわざわざ一駅歩いて戻るというバカげたことをやってしまった。その愚行に気付いたのは、しばらく後になってからである。かなりの重症だ。

 歩き疲れ、しかもスマホのバッテリー残量もわずかになったので、充電しながらコーヒーを飲もうとスタバ(スターバックス・コーヒー)を探した。そのとき私は銀座にいた。歩いている間、何度か目にしていたスタバなのに、いざ見回してみると見当たらない。

 スマホで検索してみたら、銀座周辺のスタバが十五軒も出てきた。目の前のビルにあるはずのスタバがないので、近くでティッシュを配っていた女性に訊いてみると、

「あ、ここのスタバ、この間、ギンザ・シックスに移転しましたよ」

 と言う。(ギンザ・シックス……)おそらく誰もが知っている施設なのだろうなと思いつつ、礼を言って女性から離れた。

 ギンザ・シックスとは、四月下旬にオープンした「GINZA SIX」のことだった。以前の私なら、「シックス」だから、銀座六丁目のことか? 六丁目なら松坂屋があったあたりだろう。松坂屋は長年工事用のフェンスとシートに覆われていたよな、とおおよその見当がついたはずだ。それが皆目わからなかった。そのことに、少なからぬショックを覚えた。

 次第に東京が遠のいていく。東京が私の街でなくなっていく。心がスカスカしてくるような寂しさを覚えた。私がふるさと北海道の様似(さまに)で暮らしたのは中学までの十五年だが、東京ではその倍近い歳月を過ごしている。気づかぬうちに私のホームグラウンドになっており、娘にとってはふるさとだ。熱心な鉄道ファンではないが、山手線のホームで電車の発車メロディーを耳にしたとき、体中の血液がそれまでの倍の速度で駆け抜けていくのを覚えた。懐かしい思いが胸に溢れ、思わず胸がキュンとなった。そんなふうに感じること自体、東京が離れている証拠だ。

 私は東京が好きだ。新橋、有楽町、神田などの猥雑さが心地いい。渋谷ハチ公前交差点からセンター街を抜け、いわゆる奥渋谷と称されるようになったあたりに至る雑踏が好きだ。四方八方から人が湧き出てきて、それぞれの方向に消えていく。そんな雑踏に紛れていると、妙に落ち着くのだ。多くの人が嫌うゴミゴミとした都会、そんな大都会の喧騒が心地よく、好きなのだ。

 私の街が知らぬ間に遠のいていく。やがて目を凝らしても見えなくなってしまうのだろう。二十三歳から五十一歳まで、人生の旺盛な時期を過ごした場所がフェードアウトしていく。得もいえぬ寂寥感が、私をすっぽりと包みこむ。


                  平成二十九年八月  小 山 次 男