Coffee Break Essay

この作品は、室蘭民報(2018128日)夕刊「四季風彩」欄に掲載されました。


 田中クンのりんご


 昨年末に田中クンからりんごが届いた。田中クンは、高校からの四十年来の友達である。

 五年ほど前から、岩手県花巻市の農園経由でりんごが届くようになった。だが、私の住所の番地が間違っているので、毎回宅配便のドライバーから確認の電話が来ていた。

 最初の年は、そのままにした。親友とはいえ、もらい物をして、誤りを指摘するのがはばかられたのだ。だが、翌年も間違っていた。言おう言おうと思いながら、ついつい機会を逸し、さらに二年が過ぎた。

 一昨年、田中クンと飲んでいる最中、突然、住所のことを思い出した。そしてついに誤りを伝えた。だが翌年、またドライバーから電話がかかってきた。田中クンも酔っ払っていたので、住所変更を忘れたのだ。私の住所は農園に登録されているのだという。

 その日、私はたまたま留め置きしていた荷物をヤマト運輸の営業所で受け取っていた。それから一時間もしないうちの電話だった。私は外出していたので、帰りに営業所に立ち寄ることをドライバーに伝えた。

 帰り。小さな営業所で一人留守番していたおばちゃんにその旨を告げた。するとおばちゃんがあちらこちらを探し始めた。事務所の棚には荷物がなく、バックヤードを出たり入ったりしながら、首をひねっている。そして、ドライバーにも電話をかけ始めた。だが、荷物の所在はわからなかった。外は雪なのに、おばちゃんの額には大粒の汗が浮かんでいた。見ていて気の毒になってきた。私も約束が控えていたので、次第に気が急()いてきていた。

 そのうちにおばちゃんが、閃(ひらめ)いたとでも言いたげな顔で、

「お客様のスマホに着信、ありますよね。電話番号、教えていただけますか」

 と言った。電話番号簿をしばらく睨んでいたおばちゃんの顔が、パーッと明るくなった。そして、うちのドライバーではないと断言した。その瞬間、おばちゃんと私の形勢が、逆転した。送り状の番号を確認してみますからと言って、私は慌てて田中クンに電話した。

「田中、オマエ、オレに何を送った?」

 と訊くと、意外な答えが返ってきた。りんごだというのだ。私はのけぞった。りんごは、毎年佐川急便が運んできていた。ヤマト運輸を出たばかりで電話を受け取ったので、私はヤマトだと思い込んでしまったのだ。しかも、田中クンのご母堂が最近亡くなっていた。私は田中クンが香典返しを送ってよこしたのだと思い込んでいた。りんごは頭になかった。

 私は潔く敗北を認め、平謝りに謝って、営業所を後にした。後味の悪さが残った。

 佐川の営業所は近所にあった。荷物を受け取った私は、その足でヤマトへと向かった。何事かと怯(ひる)むおばちゃんにりんごを押し付け、足早に車に乗り込んだ。玄関先に立つおばちゃんの姿がミラーにあった。よく見ると涙を拭っていた。手元にあったりんごを齧(かじ)ると、口の中一杯に甘味が広がった。冬の味がした。

                    平成三十年四月  小 山 次 男