Coffee Break Essay


 「宅建への挑戦」

 (九)

 試験の数日前から、私は問題集を開けなくなっていた。受験自体をやめようか、という考えもよぎる。だが、ここまでやってきたのだから試験だけは受けよう、そう強く自分にいい聞かせていた。奇跡が起こるかも知れないと考えたのだ。ここに至って「奇跡」という言葉を持ち出さなければならないことが、情けなかった。

 私は、前年の受験時の八〇パーセントほどの仕上がりで試験に臨んだ。一年間も時間があったのに、同じレベルにすら到達できなかったのだ。信じ難いことである。

 試験当日、私は完全に開き直っていた。緊張は一切なかった。前の年とは大違いである。試験会場でもテキストを開かなかった。冷めた目で他の受験生を観察していた。ただ、試験だけは全力でやろうと思っていた。一年前の宴席で、宅建コンパニオンから伝授された教えを反芻(はんすう)していた。

「一問目から解いちゃダメよ。民法は後回し。時間配分を見失うのよ、焦っちゃって。(宅建)業法までダメになっちゃうから」

「引っかけ問題じゃないかって疑心暗鬼になって、必要以上にその裏をかこうとするでしょ。それって過去問のやりすぎ、弊害なのよ。予想問題をちゃんとやらなきゃダメ。独学は難しいの。本当はスクーリングに参加するのが一番なんだけど……自分を信じること。直感って、結構、大事よ」

 五十問ある宅建の試験は、一問目から十四問目までが民法の権利関係で、二十六問目からの二十問が宅建業法、といった具合に出題分野が決まっていた。なかでも民法が最も難解とされ、民法から問題を解き始めると、後の問題を解く時間配分が狂うのだ。それで痛い目に合ったのが去年だった。思い起こせば、一時間もたたないうちに後半の問題にとりかかっている受験生を何人か目にし、それも焦りになっていた。彼らは問題を解く順序を知っていたのだ。

 今回、試験開始と同時に、私は十五問目から問題にとりかかった。三十分ごとに通過すべき目安の問題番号にあらかじめ印をつけた。四択の問題を解いて行く中で、確信をもって答えた問題はほんのわずか。二択までは絞れたが、どっちが正解かはわからなかった。じっくり問題を解きながら、最初のインスピレーションを信じて答えを塗りつぶした。書き直さなかった。去年の轍(てつ)は踏むまいと思っていた。

 一二〇分の試験は瞬く間に終わった。昨年ほどの焦(あせ)りははかったが、相変わらず五十問をギリギリの時間で解いていた。「出来た!」という感触はなかった。出来たのか出来ていないのか全くわからない、それが正直なところだった。どうせダメだろう、という極めてネガティブな諦念が私を支配していた。

 室蘭に帰り着いて、すでに発表されているであろうネットの速報を見る気にもなれず、そのまま風呂に入った。さっぱりした気分でパソコンを立ち上げた。一縷(いちる)の望みはあったが、それは宝くじの当選番号を照合するのに似た気分だった。

 持ち帰った試験問題には解答を記していた。それだけは間違いないよう、試験の最後に見直していた。答え合わせを始めると、意外とマルがつく。「アレ? マルだ」「エッ! これもマル? ラッキーだな」そんなことを思いながら、次第に心拍数が上がり始めていた。

 全ての照合を終え、急いでマルの数を数える。「もしや……」という思いがあった。再度、マルを数え直した。いずれも三十八個。合格だ。まさか……

 この試験、上位得点者の一五パーセントが合格になるのだが、過去三十年間で三十六点以上の点数で不合格はなかった。

(ウソだろう……。信じられない)

 奇跡が起こった。 (つづく)

               平成二十四年二月立春  小 山 次 男