Coffee Break Essay



 
「たばこをやめた」


 以前からたばこはやめたいと思っていた。だが、積極的にやめようと努力したことは一度もなかった。必然性がなかったのだ。十九歳から三十年間吸っていた。

 たばこを吸うきっかけは、一浪で迎えた大学受験の合否発表にあった。受かっているだろうと思って見に行った掲示板に、自分の受験番号がなかった。いくら探してもない。そんなバカな……目の前が真っ暗になった。場所は京都である。

 帰り道、市内までのバスにも乗る気になれず、私は茫然と自失しながら鞍馬街道をトボトボと歩いていた。途中、歩き疲れて入った喫茶店でたばこを買い求めた。それが初めてのたばこだった。だが、あまりのマズさに一、二本吸っただけで、あとはゴミ箱に放り投げた。

 その後、大学生活の中で自然とたばこを吸い始めた。当時、「禁煙」という言葉はどこにも存在せず、一人前の男ならたばこを吸う、それが当たり前の時代だった。その学生時代からの習慣を、昨年(平成二十二年)まで続けていた。

 喫煙者にとってたばこは、日常生活においてのアクセントである。目覚めて一服。ひと仕事を終えて一服、作業の合間にまた一服。食後の一服は、何にも代えがたい至福のひと時である。私は元来胃腸が弱く、一日に十五、六本しか吸えなかった。だがたばこは、ひとつの行為から次の行為へ移る際の改行のようなもので、これがヘビースモーカーともなると、生活の句読点なのかも知れない。

 そんなわけで、たばこは日常生活の大切な必需品であった。とりわけ文章を考えたりする際は、なくてはならないものだった。ニコチンの持つ発想の転換を促す作用や鎮静効果、リラックス効果を大いに享受していた。だから、「禁煙」などありえなかった。

 そんなある日、たばこを吸う人が、「ニコチン依存症」である、という新聞記事を目にした。「ニコチン依存症は慢性的な疾患で、本人の意志のみでは克服が困難で……」、という内容が記してあった。ほんの数年前の記事である。

 たばことがんとの因果関係が長年議論されてきたが、たばこイコール発がん性物質という構図は、すでに認めざるを得ない段階になっていた。それに「ニコチン依存症」が加わった。改めて「ニコチン依存症」をパソコンで検索してみると、

「薬物依存症の一つであり、たばこの主成分であるニコチンによって得られる心身的安息に囚われるあまり、自らの意思で禁煙をする事が不可能になり永続的に喫煙を繰り返すという精神疾患を指す」

 精神疾患とはまさに、トドメの一撃である。「愛煙家」という言葉を秒殺するに足る、圧倒的な粉砕力のある言葉が使用されていた。精神病者だといわれては、もともこもない。

 それでも私はたばこをやめられずにいた。やめなければならないものであることは、年を追って過激になるたばこのパッケージの言葉に現れていた。加えて「嫌煙権」や「受動喫煙」という言葉が台頭し、東京ではたばこの吸える場所が目に見えて減少し、パブリックスペースでは、すでにまったく吸えなくなっていた。

 JTによると、一九六〇年代八〇パーセント台だった男性の喫煙率が、現在、四〇パーセントを切っているという。喫煙者は、いつの間にか少数派に転落していた。スタバは最初から喫煙者を拒絶し、気がつくとドトールの喫煙席の面積が思いのほか小さくなっており、喫煙者が押し込められているという状況が出来(しゅったい)していた。

 そんな中、私にも「禁煙」の最後通牒(つうちょう)がチラつき始めていた。昨年になって、やめなければダメだと思う要因が次々に出てきたのだ。

 まず、昨年三月に妹が乳がんになった。喫煙女性の発ガン率は、吸わない人の四倍だという。妹はたばこを吸っていた。

 翌四月、妻と離婚した。妻はかねてから精神を患っていたのだが、同じ病気の男性のもとに走ったのだ。妻は病気とも相まって、一日に三箱を超えるヘビースモーカーになっていた。妻がいなくなったのを機に、これまでの自分とは違った自分、妻の知らない自分になりたいという思いが芽生え始めていた。そして私に禁煙を踏み切らせた最大の要因は、「もうたばこを吸う時代は終わった」と周りからより強く感じさせられたことにある。

 私は、エッセイがとりもつ縁で、近世史を研究しているメンバーとの知遇を得ている。ときに七、八人が集まり都内を散策し、その後一杯やるという機会が何度かあった。そのメンバーが時に入れ替わるのだが、誰一人としてたばこを吸わないのだ。肩身の狭い思いを何度かした。そしてその年の十月からのたばこの値上げが発表された。「ここだ!」と思った。

 ためしにたばこを吸うのをやめてみた。二時間、三時間と経つに従い、次第に落ち着きを失い、集中力も低下して行く。根性でやめるのは無理だと早々にあきらめた。禁煙に挑戦してニコチンシールを貼ったり、禁煙パイプをくわえている人をよく見かけたが、そんなことでは禁煙は難しいだろうと容易に想像ができた。

「禁煙? たばこ、やめるのなんか簡単だよ。オレなんかもう二〇〇回もやめてンだから」

 禁煙の難しさを揶揄(やゆ)する笑い話である。そこで、思い切っていきなり投薬治療をすることにした。会社の近くに禁煙外来を行っている病院があったのだ。

 この薬、チャンピックスというのだが、たばこに代わってニコチンを補充するのではなく、脳内のニコチン受容体にフタをするというのだ。しかも禁煙に伴う離脱症状やたばこへの切望感を軽減する作用がある。同時に、服用中に再喫煙した場合、喫煙から得られる満足感を抑制する効果があるのだという。いいことづくめ、マインドコントロールのような説明を医師から受けた。

 まず、最初の一週間は服薬しながら喫煙してよいという。服用を始めてすぐに、たばこがおいしくないことに気がついた。風邪で高熱を発した時に吸うたばこの味と同じ感覚になっていた。それでも身についた習慣で、ついついたばこに火をつける。そんなことを五日も繰り返すと、もうたばこはいらないと、いやが応にも思うようになっていた。服用は三カ月間だが、胃の弱い私は二カ月で投薬を打ち切った。五月から始めた禁煙治療、七月にはすでにニコチン依存症からの離脱が叶ったのである。信じ難いことである。

 たばこを吸う場所を無意識に探す、そんな行動が不要になった。あれほど快感だった食後のたばこも、必要なくなった。依存症からの離脱が、こんなに楽なものだとは思ってもいなかった。考えてみると、生活の中心にたばこがあった。だが時折、たばこを挟んだ形の人差し指と中指が無意識に唇に行き、大きく息を吸いこんでいる。三十年来の習慣が完全には抜けていないのだ。

 私はこの(成二十三年)三月に北海道の小さな街へ転勤になった。東京では少数派の肩身の狭い喫煙者が、こちらではそうではなかったのだ。七〇パーセント、いや八〇パーセントに近い人がたばこを吸っているのではないか、と思わせる喫煙者の数である。どこでも喫煙できるという気安さが、禁煙意識を遠ざけているのだろう。時代を逆戻りしてしまったという感覚に陥ってしまった。女性の喫煙も目立つ。調べてみると、北海道は女性の喫煙率がナンバーワンだという。

 そんなある日、会社で新聞を見ていると、東京電力の福島第一原発から飛散した放射性物質の記事が載っていた。セシウムが中国や四国地方、北海道にまでも飛散し、それが検出されたとあった。

「これ、セシウム……、やばいよな」

 同じく新聞を眺めていた同僚が記事を指差し、渋い顔でつぶやいた。彼の周りにはアンドロメダ星雲のような煙が渦巻いていた。

(その煙の方がよっぽどヤバイだろう。お前の肺から放出された大量の煙を、オレはいや応なく吸わされてる。その煙、セシウムどころの濃度じゃないだろッ!)といいたいところをぐっと飲み込んだ。私も一年半ほど前まで平気で吸っていたのだから、そんなことをいえる立場ではない。

 残念ながらこの街には、スタバもドトールもなかった。多くの人がやめる必然性を身近に体験できずにいるのだ。大都市以外では、どこも同じような状況だろう。そういう意味では、更なる増税は必至である。ただし、増税とセットで禁煙外来の普及とそれに対する助成がなければならないだろう。そうしなければ、ただの弱い者いじめになってしまう。

 たばこをやめたから他人事のように大きな顔でいえるのだが、

「もう、たばこを吸う時代は終わったのだ」と。


              平成二十三年十一月 小雪  小 山 次 男