Coffee Break Essay



 『書類のゆくえ』



 遠い昔のことでも、数日前のことのように蘇る記憶がある。それが刺激的な出来事だったとしても、時間の経過とともにほどよく醗酵し、懐かしい想い出に変化しているものだ。

 恥かしいという感情は、必ずしも本人が直接の当事者でなくてもよい。他人が恥ずかしい思いをしたことが、自分のことのように感じることがある。家族のことであればなおさらである。

 昭和四十年代の後半、私が中学生のころのこと。

 父がめずらしく書類を持って帰ってきた。夕食後、さっそく食卓の上で書類の記入にとりかかっていた。私と妹はその傍らでテレビを見ていた。食事の片づけを終えた母も父の隣にいた。

「ネーム。アドレス……住所でしょ、エイジは年齢……」という母の声がした。それから短い沈黙があった。母は、中学生程度の英語ならわかる。

 母が読み上げた英単語に、私と妹が反応した。ザラ半紙を半分に切ったような粗末な用紙を前に、父と母が頭をつき合わせている。私も妹も自然と覗き込むかたちになった。何かの申し込み用紙なのか、何枚かある書類の中で、その書類だけ英文で書かれている。といっても、住所や氏名、年齢を記入するだけの簡単な書類である。

 突然、妹が「風呂に入る」と言って、勢いよくその場を離れた。その行動があまりにも唐突だった。妹の顔が少し上気して見えた。

 妹はいつもこの時間のテレビ番組を楽しみにしており、番組が終わらなければ決して風呂には入らない。どうしたのだろうと思ったとき、妹の行動が理解できた。その書類の中に違和感のある文字があったのだ。私も反射的に書類から目をそらせた。同時に、母があわてて書類を隠すような素振りをした。私は何事もなかったかのような顔で、テレビを見続けた。だが、気持ちは別の場所にあった。

 父のペンがしばらく止まっていた。書類を前にして二人で考え込んでいる様子。ひそひそと話している気配を感じたが、しばらくして父が意を決したかのように、何かを書き込んだ。

 父の書いた文字が気になり、立ち上がりざま書類を一瞥した。

 書類には、NAMEADDRESSAGE、そしてSEXとあった。それぞれの単語の横に父の端正な筆跡で名前、住所、年齢が書き込まれていた。そしてSEXと言う文字の横には、雄渾な文字で「有り」と。ギョッとした。かなり強いショックであった。動揺を悟られぬように私は足早にその場を離れた。

 一体、セックスの有無を問う書類とは何なのか。悶々とそれを考えつつ、自室に引き上げたとたん、私はアッ! と叫んだ。急いで居間に戻ったが……書類はすでに返信用封筒に入れられ、しかもしっかりと封がされていた。封書には宛先が印字されていて、札幌の何とかトラベルと読めた。封書を卓上に、父は悠然と煙草をふかしている。大きな仕事をやり終えたような、充足した顔に見えた。

 とんでもないことになってしまう。どうしよう……。この書類を受け取るひとの顔が浮かんだ。のた打ち回って笑うだろう。当然、まわりの人にも見せるはずだ。父は、不名誉な有名人になってしまう。

 覗き見たとはいえない。まして、セックスという言葉を、私の口から両親に向かって発音することはできなかった。小学校六年の妹に相談することもできない。妹は、知っていたのだ。ついこの間まで、くっついて離れられなくなった犬のことをしきりに訊ねられ、答えに窮したばかりなのに……。あれこれ逡巡したが、結局、そのままになった。

 家族全員がSEXの意味を勘違いしていたこと。父と母の間に、やはりSEXがあったこと。(当然なのだが、当時の私はそれを認めたくなかった)。妹がその意味をすでに理解していたこと……。すべてがショックであった。母は、英語ができると自負していたのに、どうしてこんなことになってしまったのか。誰もが知っている簡単な単語ではないか。

 住所、氏名、年齢、職業と続くと、次は性別に決まっている。SEXの有無を尋ねる書類などあり得ないではないか。当時、SEXという言葉は、それほど刺激的で冷静さを失わせるものだった。

 この日のショックは長く続いた。その後、あの書類はどうなってしまったのか、知る由もない。

                   平成十二年五月   小 山 次 男

 追記

 平成十八年三月加筆