Coffee Break Essay


 『ディズニーランドのスズメ』



 浦安のディズニーランドは苦手である。

 ディズニー物には私なりに高い評価を持っている。つい先日も映画「モンスターズ・インク」を見てきたが、ディズニーの一大テーマでもある「愛と感動のファンタジー」が期待通り盛り込まれている。「美女と野獣」「白雪姫」「シンデレラ」「ピーターパン」、たくさんの映画があるが、ディズニーは決して見る者を裏切らない。

 特に、女・子供がこぞってディズニーランドへ繰り出すのは、そういう映画や幼いころ読んだ絵本の中にいつしか入り込んで、その登場人物たちに会えるからだ。また、何も期待しないで行ったひとでも、ファンタジーな気分を堪能して帰ってくる。たとえ着ぐるみだと分かっていても、イメージを壊さぬ演出で、見事に幼い日の記憶を喚起させる。そのファンタスティックな光景に、彼女らの瞳孔は大きく開くのだ。

 だから高額な入場料にもあまり文句をいわない。そればかりかまた行きたいとなる。だが、私の場合は違う。

 確かに、あそこで働く従業員は厳格に教育されており、マクドナルドの数段上を行く笑顔をふりまいている。お客の夢を壊さないための努力では、他の遊園地の追随を許さない。しかし、高い入場料を払って、ひたすら並ぶ。人気のパビリオンなら一二〇分待ちは当たり前である。現在では、スーパーパス(整理券)を発行しているが、それでも並ぶ。

 喉が渇いて何か飲みたくても、腹がへって飯を食うにも、お土産を買う(私はディズニーランドへ行ってきたのだというあかし)にも、とにかくひたすらマヌケな顔をして並ばなければならない。女性用トイレにもファーストパスが必要なのでは、と思うほどだ。一日に何万人来ているか知らないが、ひとり一回はトイレに行く。いや、少なくとも三回は行くはずだ。そうすると、何リットルの小便がここから排出されるのか、バカな心配をする。

 とにかく一日の大半を蛇行しながら並んで過ごすところなのだ。それが嫌なのだ。並ぶことにかけては、一流のロシア人でも閉口するに違いない。

 ディズニーランドへ連れて行ってくれと四年前から娘にせがまれ、小学校の卒業を機に、とうとうこの春行って来た。

 前回行った時は、待っている間の時間つぶしに、ひたすら本を読んでいた。

「そんなものを読んでいるひとはだれもいないわよ、せっかく行くんだからもっと楽しんで」

 と妻から太い釘を刺された。確か、荷風か露伴に夢中になっていた。

 春休みのディズニーランドは、気候のいいことも手伝って、一段と凄まじい人混みである。相変わらずアジア人と関西人が目立つ。

 昼のパレードを見ていると、ダンサー達が大汗をかきながら、こちらの方が恥ずかしくなるほどの笑顔を振りまいている。とにかく一生懸命、よくやるなあと感心していたら、アメリカ人と思しき白人の男女が山車(だし)に乗って現れた。優雅に手を振っている。女性は白雪姫らしい。男も女も人形のような、同じ人間とは思えない美男・美女である。前に座っていた男の子が大きな声で「オカーさん、ホンモノがきたよ」と目を丸くしている。日本人だって頑張ってチョコチョコ踊っているのに、白色人種にはどう頑張ってもかなわない。子供はズバリとその本質をいい当てた。

 私はスピードものには、まるっきり弱い。ビッグ・サンダー・マウンテン(ジェットコースターに毛が生えたようなもの)では、ギャーとかワーとかみんな叫んでいたが、私は魂が抜ける思いで、あらん限りの力で手すりにしがみついていた。勾配を上り詰めたトロッコの中では神に祈った。トロッコから降りたら、全校朝会でも倒れたことのない私が、倒れる寸前のようにふらついた。もうこんなの二度とゴメンだよ。

 いい加減疲れて休んでいると、スズメがやたら多いのに気がついた。警戒心が強いはずのスズメがチョコチョコ近づいてきて、パン屑やポップコーンの食べこぼしを啄ばみにくる。ディズニーランドでは、ハトではなくスズメなのだ。 

 手を伸ばせば届くキョリまで近づいてくる。どれも丸々と太っている。かわいらしいことこの上ない。黙っていると、頭や肩に止まりそうな様子である。白雪姫の窓辺にやってくるスズメを髣髴(ほうふつ)とさせた。私はディズニーランドのスズメが気に入った。調子に乗って、ミッキーマウスのカステラのようなもの(妻と娘はそれを食べるのを楽しみにしていた)の大半を、ちぎって与えてしまった。ディズニーランドはスズメも大したものだと感動した。今回、最も印象に残る出来事であった。

 翌日、疲れを引きずって出社した。机の上の郵便物の中に、電気料金の検針票がまじっていた。その東京電力のロゴマークに、おやっ、と思った。ロゴがミッキーマウスに見えたのだ。

 今度またディズニーランドをせがまれたら、ポケットにコメを入れて行こうと思う。果たして奴らは米を食うだろうか。

                      平成十四年五月  小 山 次 男

 追伸

 平成十九年六月 加筆