Coffee Break Essay

この作品は、室蘭民報(2019928日)夕刊「四季風彩」欄に掲載されました。


 ソメスサドルの小銭入れ


 三十年も前の話だが、母が千歳空港の駐車場でマフラーを拾ってきたことがあった。入れ違いで出て行ったベンツが落としていったもので、気づいて追いかけたのだが、そのまま行ってしまったという。

 妹が調べたところ、それはエルメスのマフラーで、定価が十五万円だというのだ。そのマフラーは私がもらい受け、いまだに愛用している。とはいえ、私はブランド物には、まったくといっていいほど頓着がない。

 昨年の十一月下旬、母と妹を車に乗せて、ドラッグストアに立ち寄った。札幌に大雪が降った日のことである。

 買い物を終えて車に戻ると、妹が雪の中から小銭入れを拾い上げ、

「拾っちゃった。ここに落ちてた」

 といいながら雪を払っていた。お店に届けてくるから待ってて、という妹を押し留めた。ドラッグストアで買ったものを一旦自宅に持って行き、今度はスーパーで買い物をしなければならない。いきなり積もった三十センチの雪と近づく夕暮れに私の気が急いていた。しかも、小銭入れは古びており、中には一二〇円ほどの小銭しか入っていなかった。そんなわけで、いいだろうと判断したのだ。

「これソメスサドルだよ。落とした人、ショックだろうな、高いから」

(何だ? その自転車の椅子みたいな名前は)と思いながら小銭入れを見ると「SOMES」という小さな刻印があった。後ろめたい、という妹の言葉を振り払うようにして、私は車を出した。

 スーパーでの買い物を終え、三人で夕食を摂った。会計をしようとレジで財布を出したのだが、小銭入れが手に触れない。改めてリュックの中を確かめながら探したのだが、どこにもない。背中に会計待ちのお客の視線を感じ、あせり始めたときだった。アッ! と思った。「あの小銭入れは、オレのか?」という思いがよぎった。

 そばにいた妹に小銭入れを見せろと言って手に取ると、小銭入れの小さなポケットに古びた十円玉が一枚入っていた。

「これ、オレのだ!」

 そう言ったときの妹の顔は、これ以上はムリと言わんばかりの最大級のあきれ顔だった。私は自分の財布がわからなかったのだ。あのとき、ドラッグストアに届けなかったのは、結果として正解だった。もう少しで自分の小銭入れを拾って、それを落し物だといって届けるところだった。

 この小銭入れ、どこで買ったのかも覚えていない。ただ、小銭入れのくせに生意気な値段だなと思ったのだった。飛び抜けて高かったわけでもなく、ほかの小銭入れとたいして変わらない値段だった。

 ちなみに古びた十円玉は、私が生まれた昭和三十五年の十円玉である。たまたま目にし、別にしておいたのだ。それがなかったら、最後まで気づかなかったかもしれない。

                       平成三十年三月 小 山 次 男