Coffee Break Essay



 『米良繁実とシベリア抑留』

 

(二)

  繁実の発見

 繁実の弟米良周策は、戦後しばらくして繁実と同じ収容施設にいたという布施秀一(ひでいち)氏を様似(さまに)町冬島に訪ね、施設での繁実の様子を訊いた経緯がある。布施氏は施設内で二、三度繁実を見かけたことがあるだけで、それ以上の情報はなかった。今回、私は虻田郡豊浦町に転居していた布施氏に連絡を試みたが、すでに平成十四年に亡くなっており、抑留に関する情報は布施氏の家族には伝えられていなかった。

 私は、平成二十年三月に厚生労働省社会援護局に抑留死亡者の問い合わせを行っている。厚生労働省がホームページで公開している抑留死亡者名簿に、繁実らしき人物を偶然に見つけたことが発端であった。

 厚生労働省には、ロシア側から提供を受けた抑留死亡者名簿があり、平成十九年三月よりインターネットで公開している。平成三年にゴルバチョフ大統領が来日した際に提供を受けた「ソ連邦抑留中死亡者名簿(平成三年名簿)」(三万七〇〇〇人所収)と、平成七年に外相会談が行われた際、ロシアのコズィレフ外相から提供を受けた「平成七年提供ソ連邦抑留中死亡者名簿(平成七年名簿)」(二九七九人所収)である。さらに平成十七年にもロシア側から「個人別の資料の原本を撮影したマイクロフィルム(平成十七年個人資料)」(三万八〇〇〇人所収)の提供を受けているが、こちらはいまだ公開までには至っていない。いずれの資料も重複記載者があるため、厚生労働省は死亡者登録数を四万一〇〇〇名と発表している。うち身元が判明している者は、三万二〇〇〇名である(平成二十一年三月一日現在)。

 私が繁実らしき人物を見つけたのは、平成七年名簿である。名簿には「メイラ・シネミ」とあり、生年「明治四十三年」、階級「兵」、死亡年月日「昭和二十一年二月二十一日」、埋葬場所「第三四七五特別病院」、連番、通番が付与されている。

 ロシア側から提供を受けた名簿は、ロシア語による聞き取りによって作成されているため、氏名の誤記がはなはだしい。厚生労働省側では、平成三年名簿と平成十七年個人資料にも、この「メイラ・シネミ」と同一ではないかと推定している人物がいた。平成三年名簿には、「マイロ・ギエ(ヨ)ネマ」という名があり、生年、階級、死亡年月日ともに同じで、収容所名・埋葬地名欄に「第二収容所・ソフガワニ(名簿にはサブガバーニスキーとあるが、正しくはソフガワニである)地区チシキノ居住区」、地方欄は「ハバロフスク」となっている。地域の隣接とロシア語表記の読み方の類似性が、同一人物と推定した根拠である。

 通常、抑留者が死亡すると、翌々日に埋葬するのが一般的である。厚生労働省の担当者が同時期のこの地域での死亡者を再調査した結果、死亡から埋葬までに十数日の期間があることが判明した。冬期のため地表が凍結していたことが原因とされる。除籍謄本とロシア側資料との死亡日の違いについては、ロシア側の資料に記されている二月二十一日が死亡日で、除籍謄本の三月七日が埋葬日だった可能性があるとの教示を受けた。

 私が初めて厚生労働省に問い合わせを行ったのが平成二十年三月六日で、翌三月七日には繁実にほぼ間違いないだろうとの中間報告をもらっている。その夜、改めて繁実の除籍謄本を眺めていると、三月七日と記された繁実の死亡日に目が留まった。カレンダーに目を移すと、今日が三月七日である。六十二年前の同月日に当たる。そのあまりにもでき過ぎた偶然に、驚きを隠せなかった。

 

 平成二十一年一月二十八日、厚生労働省から抑留死亡者名簿の「メイラ・シネミ」等が、繁実と同一人物である旨を記した正式な通知を受け取った。厚生労働省が繁実であると推定した根拠は、次のとおりである。

「当局(厚生労働省 社会・援護局)では、平成三年以降ロシア政府からソ連抑留中に亡くなられた方々の名簿を受領しており、当局が保管する日本側資料と照合することにより、名簿登録者の身元特定に努めておりますが、近藤様から〈米良繁實の記録ではないか〉と申し出のあった平成七年提供名簿の登録者〈メイラ・シネミ、明治四十三年生、昭和二十一年二月二十一日死亡〉については、生年月日等の決め手となる情報が記載されていないために、これまで身元が判明しておりませんでした。

 現在、身元が判明していない登録者については、平成十七年に提供された個人別の資料を精査中ですが、前記の〈メイラ・シネミ〉に該当する個人資料を精査したところ、名簿と同様に出生地等の決め手となる情報はないものの、氏名・生年・死亡年月日が類似するのと、死亡場所・死因が一致すること、他に同姓同名者、または類似する記録の方がおられないことから、〈メイラ・シネミ〉は米良繁實様の記録であると判断するに至りました」

 とあり、さらにロシア側から提供を受けている三点の資料を比較記載している。

 

@ 平成三年提供の「ソ連邦抑留中死亡者名簿」の記載内容

〔整理番号 二〇一四―〇〇二三〕

1 埋葬地    ハバロフスク地方第二収容所ソフガワニ地区チシキノ居住区

2 氏 名    マイロ・ギエ(ヨ)ネマ

         資料原文のロシア語表記が二種類に発音可能であるため、( )内に併記

3 生年及び階級 明治四十三年生、兵

4 死亡年月日  昭和二十一年二月二十一日

 

A 平成七年提供の「ソ連邦抑留中死亡者名簿」の記載内容

1 埋葬地    第三四七五特別病院

2 氏 名    メイラ・シネミ

3 生年及び階級 明治四十三年生、兵

4 死亡年月日  昭和二十一年二月二十一日

 

B 平成十七年提供のソ連邦抑留中死亡者「個人資料」の記載内容

1 氏 名    マイラ・シネミ (メイラ・シネミの記載もあり)

2 生年月日   一九一〇年(明治四十三年)

3 出生地    ―

4 住 所    ―

5 家族の名前  ―

6 職 業    ―

7 階 級    兵

8 所属部隊   ―

9 捕虜となった場所 ―

10捕虜年月日  ―

11死亡年月日  一九四六(昭和二十一)年二月二十一日

12死 因    栄養失調、クループ性両肺炎

13死亡場所   第三四七五病院分院「マスタヴァーヤ」

14埋葬場所   ソフガワニ地区チシキノ居住区第三四七五病院分院の墓地

 

 以上三点がロシア側の資料であるが、私が入手した繁実の除籍謄本および軍歴を左記に倣って挙げると次のようになる。

 

C 除籍謄本及び軍歴の記載内容

1 氏 名    米良繁實(メラ・シゲミ)

2 生年及び階級 明治四十四年三月十三日、兵(死亡時上等兵、後二階級特進にて伍長)

3 死亡年月日  昭和二十一年三月七日 午前十時

4 死 因    栄養失調兼急性肺炎による戦病死

5 死亡場場所  ソ連ムリー第一地区 ポートワニ病院(北海道札幌地方世話所長報告)

 

  (つづく)