Coffee Break Essay


  『食の無頼派』



「ねえねえ、これ合成着色料使用って書いてあるけど、身体に悪いンだよね着色料って。そのままの色で売ればいいのに」と中学の娘。

「北海道から送って来るタラコはさ、売っているのと違って色が悪いじゃない。着色してないからなのよ。ちょっと気持ち悪いけど、美味しいよね、あれって。でもあれが本当のタラコの色なンだよ」と妻が呼応する。

「――じゃ、化粧をしている女は着色料使用ってことか」、私。

「……」

普段口うるさく言われているので、一矢報いたつもりでいる。

私は、食べ物に関してまったく頓着がない。
合成着色料が入っていようが、保存料が使用されていようがおかまいなし。
多少腐っていたって気にも留めず何でも食べる。

「オッ、これバカ安だったぞ」

俺にだってこんな安くて凄いものが買えるンだ、と妻の喜ぶ顔を目に浮かべ胸を張って持ち帰ったスーパーでの戦利品をひけらかす。

「ちゃんとよく見て買ってきてよ。ほとんど腐ってるンじゃない、これ」

良く見ると黒ずんでいる。思い出すとスーパーのレジ前のワゴンにあった。

妻にもガミガミ言われるし、家庭科の授業で余計な知識を齧(かじ)ってからは、娘も煩(うるさ)い。

食べ物に好き嫌いがないことと、何でも食べてしまうことは、意味が違う。
うちの女性軍には好き嫌いが多い。特に娘は偏食がひどい。
しかも二人とも食べ物を用心深く吟味する性癖がある。
私はその対極にいる。彼女らにいわせれば、私は食の無頼派なのである。

先日、自己流水炊き(水炊きに自己流もヘッタクレもない)を作ったのだが、面倒だったので野菜など洗わずにそのまま鍋に入れて澄ましていた。
「冬はやっぱり鍋に限る」と二人とも上機嫌。
ベラベラ喋りながら食べている最中、鍋の中に芋虫が一匹二匹と浮いているのを発見。
こりゃイカン! さりげなく箸でつまんで、白菜と一緒に自分の取り皿の底に沈めて隠しておいた。
見つかったらそれこそ大騒動。もう食べないとも言い出しかねない。

早食いの私は、誰よりも先に食べ終わる。一心不乱に食べるのだ。
お茶をのんで寛(くつろ)いでいたのだが、気づくといつもの癖で取り皿のポン酢まで飲み干していた。
隠しておいた芋虫のことなどすっかり忘れて、白菜と一緒に食べてしまったのだ。
食事を続けている二人を横目で見ながら、ニヤリとしてそれで終わった。

会社の昼休み、長崎チャンポンを食べに行こうと誘われた。美味い店があるという。
混んでいる店は嫌なンだよなと思いながら渋々ついて行った。
狭い店内はすでにサラリーマンで満席状態。
油と汗でギトギトした顔のオヤジが、恐ろしく無愛想な顔で黙々とやっている。

同僚が「チャンポン四つ」と頼んだが、ジロリと我々の方に一瞥をくれただけで、ろくに返事もしない。
気の弱い私は、同僚の後に「ください」と付け加えた。
腕に自信があるのだろうが、不愉快極まりない。
食わせてやるという態度が漂って来る。
ひどく待たされながら、こういうオヤジに限って、残すと怒り出すタイプに違いないと密かに観察していた。

待ちわびたチャンポンが来た。なるほど味は申し分ない。
感心しながらスープまで無事全部飲み終えたら、
ドンブリの底から一センチ足らずの薄茶色のゴキブリが出てきた。
歩いている最中に足を滑らせて、煮え湯の中に落ちたに違いない。
ビックリさせるなよと思いながら、美味さの秘密はこれじゃないの、
と隣にいる同僚に目で合図したら、ほかの三人が騒然となった。

厨房の中で忙しそうにしていたオヤジが、我々の気配をいち早く察知し、
気づくとテーブルの前に立ちはだかっている。
野ネズミを発見したトンビが、急降下して来たような俊敏な動作であった。
それまでと打って変わって、えらい愛想のいい顔でペコペコしながら送り出された。
他の客にバレないように、体よく追い出されたのだ。もちろん四人ともタダである。

してやったり、と気分よく店を出たのだが、ほかの三人はまるで浮かぬ顔。

「ゴキブリっていったってまだ子供だよ。熱湯消毒されてるンだから、気にするなよ。
入っていたのは俺のドンブリだぜ」と励ましたが、誘った本人がカンカンに怒っている。
「ゴキブリのダシ、俺たちが飲んだスープにも入っていたンだぞ」と雨蛙を踏み潰したような情けない声。
食べている途中、どうだ美味いだろう、とでも言いたげに得意満面であったくせに。
何だ! 情けない。何でも入っているからチャンポンなンだろうが。
彼らはつまらないことでいつまでもウダウダとしていた。

どだい私みたいな北海道のドイナカで育った者からすると、
人糞を撒き散らした畑に入ってドロのついているダイコンやニンジンを生のまま齧(かじ)ったり、
野イチゴや桑の実など多少虫が入っていても平気で食べていた。
汚いという感覚に対する許容範囲が極めて寛大のだ。
今だってマヨネーズさえあれば、その辺に生えている草を片っ端から食べて見せるくらいのことはお安い御用だ。
(こういうのもある意味では「道草を食う」というのだろうか。ただ悲しいかな、東京の道路脇には草も生えていない)

東京のカラスを見よ! ハンガーで巣作りをし、美味そうに何でも食っている。
カラスが食中毒で死んだなどという話なぞ聞いたことがない。
彼らの逞しさを見習い、ひいては自分を正当化したくなる。
ただ、東京のカラスは真夜中なのにしばしばカアー、カアーと鳴きながらその辺を飛びまわっている。
こちらもおかしなことになって来ている。

こうなったらアフリカにでも行って、牛のウンコで出来た家にホームステイさせてもらい、
貴重な芋虫のご馳走でもてなされると、少しは精気を取り戻せるのではないか。
時間とお金があったら、こんな夢のようなツアーを一度体験してみたいものだ。


                     平成十六年二月  小 山 次 男