Coffee Break Essay
この作品は、室蘭民報(2018年1月20日)夕刊「四季風彩」欄に掲載されました。
酒での失敗談は数多くある。想い出深いのは、島崎さんとの酒だろう。 私が東京で就職したばかりのころ、島崎さんは五十歳を少し過ぎた年齢だった。島崎さんは、江戸っ子気質でベランメー調、飲むほどに饒舌になる。彼はこよなく日本酒を愛していた。だから、昼食もソバしか食べない。 「ばかやろう! メシなんか食ったら、酒がマズくなるじゃねぇか」 と返ってくる。会社帰り、ひとりで一杯引っかけて帰るのが楽しみで、そのために会社に来ているような人だった。 島崎さんは 飲みすぎた島崎さんは、すっかり寝込んでしまい、その距離を折り返して戻って来るのだ。そんな島崎さんの姿は、何人もの社員が目撃している。飲んだ帰りに人形町駅を通る際は、みな反対方向の車窓に島崎さんを探すようになっていた。終電を失くした島崎さんは、競馬の当たり馬券でビジネスホテルに泊まったこともあった。 あるとき、珍しく島崎さんに誘われた。島崎さん、実は大の読書家で、文学談義に花が咲いた。咲き過ぎた。大ファンの太宰治がいけなかった。島崎さんの舌に火がついた。その舌が空回りし出して、何をしゃべっているのか分からなくなってきたところで、お開きとなった。 駅に着くや、
「オッ、ショーベン!」
と言う。二人でトイレへ行く。トイレには我々しかいなかった。小便をしながら、なおも熱弁を振っている。だが島崎さん、なかなか小便の音がしない。おかしいなと思い、チラリと見ると、確かに両手で握っている格好をしている。だが、肝心なものが出ていなかった。どうなっているンだと思ってよく見ると、島崎さんの足許から私の方に向かって、水が流れて来るではないか。その水は島崎さんのズボンの裾から出ていた。 「島崎さん、チンポ、出てないスよ!」 「えーっ? 何だって?」 「小便が……ズボンの裾から出てます!」 「あ、ああっ……いけねぇ。おめぇ、何でそれをもっと早く言わねぇンだッ!」 島崎さんは革靴に溜まった小便を便器に空けながら、「年取ると、ショーベンもどっから出て来るか、わかりゃしねぇな」と息巻いた。 歩きながら、何だかグチャグチャしやがるといい残し、後手を振って平然と改札の向こうに消えていった。 島崎さんが定年退職して数年後、島崎さんの訃報を受け取った。どうしても都合がつかず、葬儀には行けなかった。あの世でも豪快に酒を飲んでいることだろう。今でも人形町駅のトイレに入ることがあると、島崎さんの小便を思い出し、思わず頬がゆるんでしまう。 平成二十九年九月 小 山 次 男
平成十六年三月初出「梅崎さんの酒」を改訂し、改題した。 |