Coffee Break Essay

この作品の掲載履歴は次のとおりです。
・同人誌「随筆春秋」第38号(20129月発行)
・児童文学同人誌「まゆ」第118号(20134月発行)

 「銭湯の帰り道」


 室蘭に住み始めて、一年が過ぎた。

 マンションから歩いて十分ほどのところに、古い銭湯がある。松の湯という。漁港近くの寂れた住宅街にこの銭湯を見つけてから、週に二度ほどの割合でかよっている。

 だが、冬になってその足が遠のいた。氷点下の中を重装備で歩くのが億劫なのだ。そんな話を同僚にすると、

「冬だからこそ、銭湯でしょう」

 と当たり前の顔でいわれた。かつて彼の実家は市営住宅で、そこには内風呂がなかった。凍えた身体で湯船に飛び込み、湯気を上げながら夜道を帰る。辛い思い出もたくさんあったが、その行きと帰りのギャップがよかったという。

 そういうものかと思いなおして、週に一度のペースで銭湯通いを再開している。

 がっちり着込んで目だけ出して外へ出る。張り詰めた冷気に足が竦(すく)む。氷点下十度、瞬間冷凍の寒さだ。手袋をしていても指が冷たい。正確にいうなら、指の骨が寒さで痛むのだ。

 転ばないように足もとに神経を集中し、前かがみで歩く。早く着きたい一心から、おのずと早足になる。アイスバーンの上に積もった雪を踏みしめると、ギュッ、ギュッと雪が鳴く。その音が人気のない夜の街に、甲高く響く。

 昨年三月、転勤で東京から北海道へ戻った。

二十二年連れ添った妻とは、その一年前に別れている。精神を患った妻は、十二年半の闘病生活の後、私と娘を振り切って、同じく入退院を繰り返していた病気仲間の男性のもとへ行ってしまった。

「健康な人には、わからないのよ。この病気の辛さが」

 妻は境界例のパーソナリティ障害と、重篤なうつを患っていた。

 時を同じくして、脳梗塞の母の面倒を看ていた札幌の妹が、がんに侵された。大学生のひとり娘を東京に残し、私は希望して北海道に来た。京都で過ごした学生時代を含めると、三十二年ぶりの北海道である。

「どうだい。慣れたかい」

「もともと北海道だもの、もう大丈夫だべさ」

 みな、人のよさそうな笑顔で訊いてくる。

「それが、なかなか慣れなくて……」

 最初はそんなふうに答えていたが、いつまでもそうもいってはいられない。相手に悪いような気がする。

「もうすっかり溶け込んでます」

 と調子のいい返事をしている。歳のせいか、驚くほど順応性が鈍い。毎日見ている室蘭岳や母恋の山肌の風景にすら、ときおり違和感を覚える。荒涼とした景色が、見知らぬ土地だ、という思いを増幅させる。東京という人工物の中にいた時間が長すぎた。加えて無類の寒がりなので、人一倍気温には馴染めない。それゆえ風景がよけいに荒涼と映るのだ。

 凍えた身体を湯船に溶かす。男たちは黙々と頭を洗い背中を擦(こす)っている。年寄りばかりだ。時間帯によっては、仕事を終えた漁師がドッと入ってくる。底引き網漁船の乗組員たちである。

「明日(あすた)、荒れそうだなァゃ」

「昼すぎがら、ヤマセだど」

 彼らの年齢の中心は五十代後半だろうが、誰もが筋骨たくましく、腕も脚も太い血管が浮き上がっている。レオナルド・ダヴィンチの解剖図のようだ。過酷な労働の中で彫琢された肉体である。だぶついたオノレの下腹に目を落とし、生ぬるく生きていることに恥ずかしさを覚える。

 女湯からはお湯を流す音に混じって、くぐもった話し声が幾重にも重なって聞こえてくる。いずれも年配者の声だ。だが、壁一枚隔てた向こうに裸の女がいると思うと、不思議と嬉しい気分になる。

 湯船でしっかりと身体を解きほぐし、外へ出る。頭から濛々と湯気が立ち上る。買ったばかりの焼き芋を割ったときのような湯気だ。芯から温まっているので、冷気が心地よい。空を見上げると、暗闇に巨大なオリオン座が立ちはだかっている。満点の星空だ。果てしなく澄み渡った空気は、十億光年の彼方まで見渡せる透明度だ。

 降り注ぐような星の煌(きらめ)きは、オーケストラが奏でる音響のシャワーを思わせる。音がないのに楽曲が降ってくる、そんな錯覚に陥る。だが、ここで暮らす人には、この夜空がごく当たり前の、普通の夜なのである。そんなものを珍しがっている私が、おかしいのだ。

 この地に赴任して十一日目、大きな地震に見舞われた。東日本大震災である。ここの漁港にも一メートルほどの津波が押し寄せた。「あれから○カ月」、「あの日から一年……」、そんなフレーズを頻繁に耳にしてきた。その時間の経過は、そのまま私がここで過ごした日々と重なる。死んだら星になるとは思わないが、煌く星を眺めていると、死後の世界が天上にあるような、そんな思いが自然と湧いてきて、心の中でそっと手を合わせる。

 ものの気配を感じて前を見ると、踏み締められた雪道をネコが歩いている。夜行性とはいえ、こんな凍てついた夜にどこへ行くというのだ。だいたい、ネコはコタツで丸くなっているものではないのか。急ぐでもなく、私と一定の距離を保ちながら、ゆったりと歩いている。もちろん裸足だ。

「おい、どこへ行くんだ」

 声をかけるが、振り向きもしない。脅かしてやろうと少し大きな声で、

「おい、オマエッ! こらッ! ネコオッ!」

 といって勢いよく足を踏み出した瞬間、アイスバーンに足を掬(すく)われた。手にしていた風呂の道具が雪道に散乱する。このとき初めてネコが振り向いたが、何事もなかったかのようにそのまま行ってしまった。拾い上げた手ぬぐいが、活きのいいサンマのように硬くなっていた。

 したたかに打った腰をさすっていると、東京へ帰りたいという思いが不意に頭をよぎった。イカン、イカン、邪念を振り払うように勢いよく立ち上がる。見上げた空に、シリウスが冷たく瞬(まばた)いていた。


            平成二十四年四月 清明   小 山 次 男


 付記

 平成二十五年三月加筆