Coffee Break Essay




 
「せめぎ合う心」


 妻と別れて五年が過ぎた。当時五十歳だった私も、まもなく五十六歳になる。

 精神疾患を得た妻との闘病生活は、十二年半に及んだ。結婚二十一年目を目前にしての離婚だった。それは何ともあっけない幕切れであった。

 私に女がいる、妻はそれを信じて疑わなかった。なんとかその事実を引き出そうと、様々な手段で私に迫ってきた。箒の柄を使っての長時間にわたる打擲(ちょうちゃく)。幼い娘が布団に入った後、それは午前二時、三時と続いた。

 体中を抓(つ)ねられ、ひどい痣(あざ)がいつまでも取れなかったこともあった。最も怖かったのが、台所から包丁を持ち出すことだった。白状しろといって包丁を畳に突き刺す。その包丁を振りかざし、私の目の前で勢いよく止める。さらにその刃を自分自身に向けるのだ。妻の形相は、もはや人間の顔ではなかった。

 そんな妻の症状が薬で抑え込まれた。副次的に出ている重いうつ症状をコントロールし損ない、疲れを忘れたかのように飛びまわった時期もあった。百万円もするエステのコースを申し込んできてみたり、バッハの全一六〇枚に及ぶCD全集が届いたこともあった。入院仲間の男と出歩いて、帰ってこない日も。呼び出され、幾度ホテルまで迎えに行ったことか。薬の調節が何年も続いた。その間、十四回に及ぶ自傷行為と十二回の入退院を繰り返した。あまりに長い年月に、私はすっかり疲弊し、挫(くじ)けていた。

 最後の最後に、妻自身が男を作って出て行った。相手は、同じ病を患う入院仲間の男性だった。真面目一徹な男である。このように羅列すると、妻が極悪非道の人間のように見えるが、そんなことはなかった。彼女自身が、自分の行為に最も苛(さいな)まれ、もがき苦しんでいた。生を断ち切ろうと試みるのもそのせいだった。

「こんな私なんか消えた方がいい。そう思うでしょ。もう十分生きたわ」

 そういいながら、処方されている向精神薬と睡眠導入剤を一度に飲む。その量は百錠を超えた。私は死の淵に入り込もうとする妻の腕をつかみ、ことごとく引き上げてきた。救急搬送された病院の廊下で、どれほどの時間を過ごしたことだろう。すべては病気のせいだ。憎むのは妻ではない、病気だと自分に言い聞かせながら。

 妻の病名は、境界例のパーソナリティー障害(人格障害)で、うつ症状が色濃く出ていた。同じ病気でも、その症状の出方は人によって千差万別である。妻の場合は、重症だと主治医から言われていた。そんな妻が出て行った。私は心底、ホッとした。八歳のひとり娘は、二十一歳になっていた。娘が幼い間、娘から母親を奪うことは何とか避けたい、そんな思いがあった。

 妻と別れる二年前、北海道の田舎で一人暮らす母が脳梗塞を患い、札幌にいる妹と共に暮らし始めていた。二年後、その妹も病を得た。私はやむなく転勤希望を出し、二十八年間住み慣れた東京を離れ、北海道に戻った。

 東京に一人おいてきた娘も今年(平成二十七年)結婚し、今は長野にいる。田んぼに囲まれた街で、この六月に子を産んだ。

「ドトールもスタバもないんだよ、笑っちゃうよね」

 電話口の言葉に無言でうなずく。東京しか知らない娘が、知る人のいない土地で子を産んだ。頼る母親もなしに。

 ときどき弱音を吐いてくる娘に、強く生きろと叱咤(しった)したいが、グッと思いとどまる。娘は両親のメンタル的に弱い部分をしっかりと受け継いでいる。だから「ガンバレ!」とは安易にいえない。頑張りすぎるな、というのが精一杯である。

 私は期せずしていわゆる「人生の荒波」に翻弄(ほんろう)された。完膚(かんぷ)なきまでに打ちのめされた。そんな中、ケガの巧妙ではないが、身につけたこともある。それは「諦め切る」という処世術だった。

 自分の人生に何が降りかかってこようと、その中に居座る覚悟を身につけた。こう言えば格好いいが、逃げようにも逃げられず、そこにいるしかなかったのだ。自分を翻弄してくる抗しがたい力に、恨みつらみは一切ない。言っても仕方がないから、愚痴を言わない。泣き言も言わない。すべては「仕方ない」と諦める。キッパリと諦め切る。

 どんなに高級で美味なものを食べても、美味いと感じるのは舌の上を通過する一瞬だけ。数時間後にはすべてがクソになる。クソに優劣はない。それと同じで、どんな生き方をしてもどうせみんないずれは死ぬんだという、いわばヤケクソの達観、いや、諦念という方が正しいかもしれない。妻と共に歩んでそんなことを会得した。

「お前は強いな」「その強さはどこからくるんだ」などと言われるが、現実の私はその真逆だ。弱さを幾重にも鎧(よろ)っているだけだった。

 東京を発つ直前、一人残る娘から言われた。

「チチには、再婚しないで欲しい。私のふるさとはチチなんだ。私が帰るところを残しておいてほしい」

 結婚なんて金輪際ゴメンだ。これからは、自由気ままに生きようと思っていた。だから、

「だいじょうぶ。結婚なんてもう二度としないよ。ありえないから」

 と唾棄(だき)してみせた。それが本音だった。だが、最近、その思いが揺らいでいる。

 一人は寂びしいという思いが、知らぬ間に強い勢力となって北上し始めているのだ。結婚しても束縛があるだけだぞ。自分の活動が制約され、今の自由を失う。それでもいいのか。私の中でせめぎ合いが始まっている。これから春を迎えるのか、それとも長い冬への突入か、寒冷前線を挟んでのにらみ合いが続いている。

 え? 相手がいるのかって?

 いたら、こんなのんきなことは考えていないでしょう。

                  
                平成二十七年十一月  小 山 次 男