Coffee Break Essay


 『清流の宝石』




 渓流$エ々しい響きである。渓流、清流といった言葉を目にすると、迸る水の流れ、木々の深緑、川底の小石、アユやヤマメのはっとするような銀色の閃光が思い浮かぶ。もうしばらくそんなものを見ていない気がする。

 音は聞こえるが、川が見えない。瀬音を頼りに、雑木林の中を歩く。むせ返るような木々や土の芳香。汗が首筋を伝う。

 突然目の前が開け、清涼な空気にハッとする。ギラギラとした光が川面に踊り、瀬音とともに流れてゆく。川面を伝ってくる涼風に、汗がスーッと引く。

 夏の暑い時季、山を歩き渓流を発見すると人心地ついた思いがする。

 靴を脱ぎ捨て、流れに足を浸す。思いのほかの冷たさに、疲れが足から脳天へと抜けてゆく。清冽な水に手ぬぐいを浸し、顔を洗い、首筋を拭う。手にすくった水を喉に流しこむ。山の雫だ。

 人が来ないことを幸に、服を脱ぎ捨て素っ裸で瀬に仰向けになる。空をゆく雲を眺めながら、せせらぎを聴く。吸い込まれそうな鮮やかな濃緑色の淵に泳ぐ。幼いころ、川で遊んだ記憶がそんなことをさせる。珍しい石やきれいな石を河原に並べ、何にも縛られない自由なひとときを過ごす。

 これが私流の川遊びである。

 私は、現在、東京の練馬に住んでいる。秩父まで西武池袋線一本で行ける地の利である。数年前までは、夏になると頻繁に川へ行った。高麗(こま)川や荒川上流で遊ぶのだ。子供のころから石が好きで、川に入ってはきれいな石を探す。河原には色とりどりの小石がある。

 そもそも石は、その生成の方法により、火成岩、堆積岩、変成岩の三種に大別される。火成岩は、マグマの冷える速度や地下の深度によって玄武岩、流紋岩、安産岩などの火山岩と、花崗岩、斑糲(はんれい)岩などの深成岩に分かれる。堆積岩は、粒の大きさで礫(れき)岩、砂岩、泥岩に区別され、石灰岩やチャートなどの生物岩もある。また、変成岩は、火成岩や堆積岩が地殻活動に伴う高圧下で変成作用を受け、それまでとは異なった性質の岩石になったものである。

 これらのほとんどが、二億年から一億三千万年前につくられたものである。しかも石灰岩というのは珊瑚の死骸であり、河原でよく見るチョコレートのような茶色の石はチャートと呼ばれ、プランクトンである放散虫などの死骸が深海底に降り積もってできたものだ。赤道付近の海底堆積物が、海洋プレートに乗り何千万年かけて移動し、海溝から数千メートルの地底に沈み込み、高圧下で岩石となった。それが火山活動などの地殻変動で再び隆起し、ここでいえば秩父の山系をつくったことになる。

 そこらにゴロゴロしている石ころ全てが、はてしなく長い距離を移動し、数千メートルの地底から出てきたものである。しかも一億年以上の歳月を経ていると考えただけで、私にはロマンなのである。

 千年前、一万年前といわれると、何とか尺度としては想像できる。しかし、それ以上になると人間の想像の域を超える。一億年前など考えもおよばない。無限としかいいようがない。

 昨年は千年紀ということで、ミレニアムなどと騒がれていたが、私たちが何気なく踏みつけている石ころの経てきた歳月からすれば、ほんの一瞬のことに過ぎない。

 私の家には、何の変哲もない石ころがごろごろしている。妻にはいい迷惑なのだが、私にとっては宝石なのである。ときおり手にとって重みを確かめたり、手触りや色合いを楽しんでいる。

 昨年夏に秩父へ行った際、荒川村を流れる荒川の河原で貝殻の化石の入った砂岩を見つけた。前から探し求めていたものなので、嬉しかった。五、六キロはあろうという大石をリュックに詰めて持ち帰った。たまにそれを眺めては、悦に入っている。

 河原の石は、水底にあるのをながめる分にはきれいだが、家に持ち帰ると途端に色あせてしまう。表面に無数の傷があり、乾くといずれも白っぽくなってしまう。水をかければきれいに見えるのだが、河原で見るのとはどこか違う。見る側の気持ちの問題だろうが、石が本来の場所から持ち去られたために、精気を失ってしまったのではないか、と考えたりする。そんなときは、悪いことをしたような気分になる。

 話はとぶが、帰省のたびに墓参りをする。故人の足跡を永遠に残すべく、墓石に名を刻む。墓石のほとんどが御影石である。御影石に代表される花崗岩は深成岩で、マグマが地下でゆっくりと冷えて固まったものだ。大陸地殻の大部分をなし、いわば日本列島の基盤を形成している岩石である。石はすでに数億年という歳月を生きている。人間の営みからすれば、永遠である。

 父の墓石を感慨深げになでまわしながら、それは久しぶりに対面する父への懐旧の思いではなく、地球創造のころの造山活動に思いを巡らせている自分に、ハッ、とさせられることがある。

                    平成十三年五月  小 山 次 男

 付記

 平成十八年十月 加筆