Coffee Break Essay




 
「三枚で書くということ」


 平成二十三年三月からの二年間を、室蘭で過ごした。

 最初の年、偶然にも拙作が収録された『ベスト・エッセイ集』(文藝春秋)が相次いで発刊された。八月に単行本が、十月には三年前の単行本が文庫になった。

 ありがたいことに、いずれも地元紙の室蘭民報で紹介された。というか、自らたれ込んだのだ。その後、室蘭民報のはからいで、エッセイを何度か掲載させてもらった。身に余る光栄である。

 そんなこともあってか、今度は室蘭文芸協会から入会の誘いがあった。私は東京の同人誌、随筆春秋に加入していて、たいしたことはしていないのだが、一応は事務局に籍がある。だが、それはもう断ることのできない断固たる勧誘であった。

 室蘭文芸協会に加入すると、年に一度発刊される雑誌『室蘭文藝』への投稿ができる。今年(平成二十八年)で四十九号の予定だから、半世紀も続いていることになる。また、希望すると室蘭民報にエッセイを掲載させてもらえる。

 新聞掲載のエッセイは、年に二度の執筆で、毎年三月に「執筆分担表」が届く。原稿の締め切り日と掲載日が一覧になっている。これまでに五作を掲載させてもらった。

 室蘭民報社は、その名のとおり室蘭に本拠地を置き、北海道の胆振・日高地方に販売エリアを持つ。エッセイは、毎週土曜日の夕刊の一面に掲載される。発行部数は、五万二〇〇〇部だという。地方紙とはいえ、公器には変わりない。五万人の目に晒されるわけで、おろそかには書けない。

 エッセイの分量は、四百字詰原稿の換算で三枚である。新聞枠であるから、それよりも多くても少なくてもダメだ。きっちり三枚に仕上げなければならない。だが、これが不思議なもので、三枚とか五枚と指定されると、一行の過不足もなくなぜかピタリと収まるのだ。三枚だと六〇行になる。これまでの五作もすべて六〇行で仕上げることができた。それで内容もいいのかとなると別問題である。

 その三枚のエッセイが、回を追うごとに書けなくなってきた。原稿用紙三枚なんて、あっという間だろう。十枚で書く方が三倍も大変なんじゃないのといわれるが、実際は逆である。三枚の方が十倍も労力を要するのだ。

 たった三枚で読者の心をつかまなければならない。一語の無駄も許されないのだ。最初から、緊張感を強いられる。

 私は通常、四〇字×四〇行で文章を書く。その後、二〇×二〇にパソコンの設定を変え、最終仕上げを行う。だが、三枚で書く場合は、いきなり二〇×二〇で書き出す。文章は書くより、書き上げたものを削る方がはるかに難しい。だから、最初から原稿用紙仕様で字数を気にしながら書き始める。

 原稿の締め切りが近づいてくると、来る日も来る日も題材を考える。私の場合は、三カ月も前からそわそわしだす。気が小さいのだ。書けなかったらどうしようという強迫観念に駆られる。今回、六作目に臨み、何を書いたらいいか、まったく思い浮かばなくなってしまった。

 四六時中題材を考える。糸口さえ見つかれば何とかなる。だが、その糸口が見えてこない。考えるのに飽きて、ジョギングに出かけ、スーパー銭湯へ行く。図書館にこもる。いつもより多く酒を飲む。友達とバカ騒ぎをする。何をどうひっくり返しても、断固として何も出てこない。許されるならギブアップしたい、そんな弱音が頭をもたげ出す。だが、新聞に穴をあけるわけにはいかない。久々の七転八倒を味わった。

 プロの作家の力量を思い知らされる。今回は二カ月に及ぶ苦悩の末、なんとか作品を仕上げることができた。ホッとする反面、出来は今一つだ。回を重ねるごとに出来が悪くなっている。

 果たしてこの苦しみが、ものを書く上での血肉になっているのか、という疑問がわく。もう少し自分が若ければ、この苦悩が肥やしになるだろう。だが、五十六歳の現在、それが更なる原動力になるかというと、はなはだ疑問である。

 自分が書いたものが活字になるのは嬉しいものである。それが新聞であれば、格別な思いがある。このまま引き下がるのも口惜しい。とりあえず、次の募集までに事前に二作品を作ってみようと思う。もしできなければ、それでおしまいにしようと考えている。

 なんとも情けない話である。


               平成二十八年一月  小 山 次 男