Coffee Break Essay


 『財布』

 平成二十年二月二十七日午後六時ころ、私は財布を紛失した。最後に財布を見たのは、神田神保町の古書店である。気がついたのは、自宅の最寄り駅である西武池袋線富士見台駅のひとつ手前を電車が出発して間もなくであった。

 電車の中で庄司薫の芥川賞受賞作『赤頭巾ちゃん気をつけて』を夢中になって読んでいて、ふと財布のことが気になり、目で文字を追いながらいつも財布を入れているコートの右胸に手を添えた。だが、それらしい感触は伝わってこなかった。本を右手に持ち替えて、左胸を。そのままの体勢でズボンの正面の左右のポケット、それから後ろのポケットへ。それでも目は本の文字を追っていた。この動作を二度繰り返し、初めて本を閉じた。

 通勤に持ち歩いているリュックの中をくまなく探す。ない。もう一度、ポケットというポケットを両手で触り始めた。隣で携帯電話を眺めていた若い女性が、私の不審な行動に気がつき、怪訝そうな顔を私に向け、

「スクイズのサインですか」

 といってニコリと笑った。

「……スクイズ? スクイズは、最後に帽子のつばに触ることで確定するから、これは違う」

 私はムッとしてそう返した。ウソである。こんな空想で、悪夢を振り払いたかったのだ。

 改札を出る前に、通路の端でリュックの中身を全部外に出してもう一度調べ直し、体中を猛烈な勢いでさわりまくって、財布がないことが確定した。午後七時を回っていた。

 落とした場所は古書店に違いない。NTTの番号案内で店の電話番号を聞き出したが、いくら呼んでも出なかった。七時で閉店していたのだ。

 やむなく、駅の高架下にある交番に向かって歩き出した。三月が近いというのに、冷たい風が首を伝って背筋を震わせた。いくら入っていたか……一万円札が七枚、五千円札が一枚……。改めて愕然とした。その日に限って大金が入っていた。どうせ落とすなら、給料日前の二十三日か二十四日あたりがよかった、と都合のいいことを考えてみたが、後の祭りである。

 交番には若い警察官がいた。ドアを開けると、椅子に座っていたその警官がスッと立ち上がって、

「どうなさいました」

 的外れとも思えるような爽やかな笑顔を投げかけてきた。通夜の会場に駆けつけて、受付から明るく元気に応対された気分だった。

 事情を説明し、遺失物の書類に記入する。財布の特徴と金額、何が入っていたかをこと細かに書かなければならない。七万六〇〇〇円という金額に目を留めた警官が、

「ワァー、入ってましたねぇー。お気の毒に……」

 相変わらず、声は明るい。出てこないのを確信している口ぶりに、腹立ちを覚えた。駅にも届け出ろというので、仕方なく改札口に戻ると、六十歳定年後の再雇用といった風貌の駅員が出てきた。

「財布を落としたのですが……」

 というと、ああそうですか、といっただけで黙っている。遺失物の書類を求めると、

「出てきませんよォ、財布は」

 昔の国鉄のような対応である。落としたのは財布だけかと、とぼけたことを訊いてきた。バカヤロー! それで十分じゃないか、と思いながら、

「財布ですからね、お金が入っているんですッ! カードもッ!」

 少し口調を強めた。これが若い駅員だったら、言葉を荒げてハッタリをかましてやるところだが、駅員の風采があまりにも老いぼれており疲れているようなので、怒気を削がれた。アンタ、家族に虐げられているだろ。娘からは総スカン、嫁さんからは安月給と罵られ……そんな同情の念が頭をかすめたのだ。

 奈落の底に落とされたような失意と、重い気分でその夜を過ごした。幸いその日、妻がいなかった。バレたら大変だ。牛に向かって赤い布を振るようなものである。

 翌朝、祈るような気持ちで会社から古本屋へ電話をすると、私を対応した男性が出て、

「財布はありませんでしたよ」

 と太い楔(くさび)を刺された。一巻の終わりだと思った。

 実は、財布を落としたのはこれで二度目であった。四年前、妻の伯母の通夜の帰り、したたかに酔って、JR大宮駅で財布を落としていた。そのときは十万円であった。何かあったら困ると思い、大金を持っていたのである。駅や鉄道警察に電話を入れたが、徒労に終わった。警察、銀行、カード会社、ウンザリするほど電話をして、何枚もの書類を書いた。そんな悪夢が頭をかすめた。

 気を取り直し、西武鉄道の遺失物センターに電話を入れたが、ダメだった。次は東京メトロ……。日時と乗車区間を訊かれ、長い時間待たされた。電話の保留音を聴きながら、「探し物は何ですか/見つけにくいものですか/まだまだ探す気ですか……」というあの井上陽水の曲にすればいいのに、と考えていたとき、唐突に保留音が切れ、

「ありますねー」

 という元気な声が返ってきた。

「えッ! あったンですかッ!」

 冬の日本海に垂れ込めていた鉛色の雲が、〇・五秒でタスマニアの抜けるような青空に変わった。タスマニアがどこにあるのかは知らないが、とにかくそんな気分が一瞬にして私の中に充満したのである。

 落とした場所は、半蔵門線神田神保町駅のホームであった。さっそく上野の遺失物センターへ取りに行ったのだが、拾い主は不明であった。

 財布が見つかった報告の電話を古本屋に入れると、電話に出た若い女性が、

「よかったですねぇー」

 と爽やかに応対してくれた。老舗の大きな古本屋なのだが、店員全員に私の情報が伝わっていたようであった。東京も捨てたモンじゃないな、と嬉しさが倍増した。

 ただ、今回の一件、不可解なことがひとつだけあった。古本屋で私は間違いなく五千円札を受け取ったのだが、財布の中の現金を数えると、八万一〇〇〇円であり、五千円札がなかったのである。お金が増えていることになる。

 古本屋での現金の受け渡しの際、レジには二人の店員がおり、そのやりとりをしっかり確認していた。五千円札と一万円札を取り違えて私に渡したということは考えられない。そのとき私は本を処分していたので、財布からはお金が出ていない。もらったのは一枚の紙幣だった。それを無造作に受け取りながら、樋口一葉の顔を見ていたのである。

 この話、誰も信じてはくれなかった。さて、これをどう説明する……。

 強いていえば、財布に入っていた私の自動車運転免許証の顔写真である。免許証の写真というものは、どういうわけか「これがオレか」と疑うほど冴えない顔に写っている。今回の私の写真は、その典型であった。しかも、財布に入っていたのは、キャッシュカードやクレジットカードをはるかに凌ぐ勢いで、スーパーやクリーニング店などのポイントカード、割引券などが入っていた。それを見た拾い主が哀れに思い、五千円札を抜き取り一万円札と交換した……ありえない。この推理の方が不自然である。だが、それ以外に考えようがないのである。

 もう一度古本屋に電話して、昨夜、レジの帳尻が五千円合わなくなかったか、と訊いてみようとも思った。それも変な電話であると思い、やめにした。

 今回の一件、不幸中の幸いとはいえ、素直に喜べない不思議な気分で終わった。

 もちろん妻には一切話していない。

                 平成二十年四月 穀雨 小 山 次 男