Coffee Break Essay
この作品の掲載履歴は次のとおりです。
・同人誌「随筆春秋」第36号(2011年9月発行)
・「室蘭文藝」46号(2013年3月発行)
『ぺヤング』 日清食品がカップヌードルを発売して四十年になるという。それまでの即席麺の主流は、インスタントラーメンであったが、お湯を注ぐだけでできるカップヌードルの登場は画期的なことで、魔法のラーメンだった。 今でこそカップ麺は豊富な種類があり、その消長も目まぐるしい。だが、素朴で飽きない味といえば、ラーメンなら昔からの日清の「カップヌードル」、うどんやそばなら同じく日清の「どん兵衛」シリーズであり、焼きそばといえば、まるか食品の「ペヤングソースやきそば」ではないだろうか。 私は学生時代を京都のアパートで過ごした。もう三十年以上も前のことである。当然、これらカップ麺には、大変お世話になった。とりわけ「ペヤング」には、特別な思い出がある。 親からの仕送り日が近づくころになると、いつもお金がなく汲々(きゅうきゅう)としていた(今でも給料日前は汲々としているが)。ある仕送り日の前夜のこと。財布を確かめると、十円玉が一枚と一円玉が二、三枚しかなかった。どうにもならぬ金額である。部屋にある食べられそうなものは、すべて食べ尽くしていた。 夜になり、やむなく隣室の中谷に「何か食い物はないか」と声をかけた。というのも、その前日、午前二時を過ぎたころ、この中谷がカギのかかっていない私の部屋にドカドカと入って来て、 「おい、お好み$Hいに行かへんか」 と誘いに来たからだ。近所に朝の五時までやっているお好み焼き屋があった。その日は眠かったのと、すでにお金が乏しくなっていたので断ったら、 「つれないなー、おごったるでぇ」 と景気のいいことをいっていたのを思い出したのである。 だが、中谷の所持金も百円をわずかに上回る程度だった。パチンコで負けたというのだ。中谷はパチンコなどやる男ではなかったが、先輩に誘われ、断れなかったという。それでも二人のお金を合わせると、カップ麺が買えるということになり、近所のコンビニに出かけた。 その時、カップヌードルにしておけばよかったのに……という悔恨の思いがあった。中谷がペヤングがいいというので、それを二人で分けて食べることにした。お金の大半を中谷に出してもらっていた手前、逆らえなかった。カップ焼きそばが、まだ目新しい時代だった。 お湯を注いでじっと待つ。その三分がじれるほど長い。中谷がマヨネーズを手に、 「焼きそばはな、やっぱりマヨネーズやでぇ。はよぅでけへんかなー」 と待ち構えている。二人で交互に容器に顔を近づける。お湯の熱気と麺の香ばしい匂いが漂ってくる。それが何ともいえない、いい香りなのである。 いよいよお湯を切る段になった。炊事場まで行くのが億劫で、二階の窓を開け容器のお湯を流した。当時の学生アパートの部屋にはトイレも炊事場もなく、すべて共同だった。 お湯が途切れたところで、中谷がよけいなことをいった。 「ええか、湯ぅはしっかり切らなあかん。いち、にいーのさんやでぇ」 大げさに容器をふり下ろす身振りをした。そこで私は、麺の入った容器を勢いよく上下に一、二と振った。悲劇は三で起こった。三回目を力強く振り下ろした瞬間、しっかり握っていたはずの容器の口から麺が飛び出し、真ッ逆さまに階下に落ちたのだ。その瞬間、私たちは人生で何度も出したことのない大声を発した。 しばらく声もなく、二人で窓の下の暗がりを眺めていた。コオロギの弱々しい鳴き声が聞こえた。一縷(いちる)の望みをもって階下に駆け下りたのだが、やはりダメだった。窓の下には蓋(ふた)のない小さなドブがあり、麺はそのヘドロの上でかすかにそよいでいた。 「……すまん」 よくお湯を切れと命じたのは中谷だが、麺を落としたのは私だ。私は素直に中谷に詫び、うな垂れた。 「……メン、一本、とられたなァ」 中谷が苦し紛れのダジャレをいったが、目は笑っていなかった。 部屋に戻り、仕方なく残ったソースと薬味とを茶碗に入れ、お湯に溶いた。マヨネーズを嘗(な)めながら、二人でかわるがわるそれを啜(すす)った。 「俺のジイちゃんな、昔、軍隊にいたころ革靴を茹でて食うたことあるぅ、いうとったんやけど……その気持ち分かるわ」 中谷がポツリと呟(つぶや)いた。中谷の視線の先に、擦り切れた私の革靴があった。 翌日、親からの仕送りが銀行の口座に振り込まれていた。そのお金を引き出した私は、中谷をお好み焼き屋に誘った。私がご馳走した。上機嫌になった中谷曰く、 「次もまた湯切り、お前にたのむわ。……親のありがたみぃ、身にしみるなぁ。カンパーイ!」 今、私たちは、その親の年齢になっている。 平成十七年三月 春分 小 山 次 男 まるか食品の「ペヤングソースやきそば」は、北海道では販売されていない。その代わり、東洋水産のマルちゃんシリーズ「やきそば弁当」が北海道限定の販売となっている。一昨年、三十二年ぶりに北海道に戻って来て、初めてそれを知った次第である。 |