Coffee Break Essay


この作品は、20113月発行の同人誌「随筆春秋」第35号に掲載されております。


 「落とし穴の中で」

 

 平成九年の冬、妻が闇の中に転落した。手を差し伸べた私も一緒に転げ落ちた。それは出口の見えない、真っ暗な深い穴であった。どこにも光は見えなかった。

 しだいに気分の落ち込むことが多くなっていた妻が、とうとううつ病に陥ったのだ。結婚八年目、妻、二十九歳のことである。頼れる身内も近くにいなかった。

 当時三十八歳だった私は、情熱をもって仕事に打ち込んでいた。それに応えるように会社も私の進むべき道を示してくれていた。前途に輝く光が見えており、私はそれに向かってただまっしぐらに走っていた。

 それまで娘の学校のことは、妻が全てを担っていた。まずは、娘が持ち帰っていた学校のプリント類を片っ端から読んだ。いつ、どんな授業があるか。何曜日になにを持たせなければならないか。体操着のほかに汗拭きタオルが必要で、給食袋の中には、大きいハンカチを入れておかなければならない。音楽のある日はリコーダーが必要で、ほかにも習字や絵の具のセットを持たせなければならない日がある。細々したことがたくさんあった。

 妻が入院して一カ月が過ぎたころ、とうとう娘の忍耐の糸が切れた。

「ママに会いたいよ……」

「ママのご飯が食べたいよ……」

 娘が布団の中で毎晩のように泣き出した。妻は、四十日ほどで入院を切り上げて退院した。妻の姿を見た娘が、私の耳元で囁いた。

「ねえ、ママ……なんかへん。本当のママじゃないみたい……」

 私は、背筋が凍りついた。八歳の娘に、妻の病気を理解させるのは無理だった。

 やがて妻に妄想が現われ始めた。

「みんなが私を監視している」

 妻は外に出られなくなった。薬で症状を調整してゆく。だが、そう簡単には妄想は治まらなかった。

「女がいるんだろう。白状しろ」

 台所へ向って戻ってきた妻の手には、包丁が握り締められていた。勢いよく突き出された刃先が、私の目の前で止まる。身体が固まり、全身が痙攣するように震えた。緊張のあまり口の中が乾き、咳き込んで嘔吐を覚えた。その刃先を発作的に自分自身に向けるのではないか。それが怖かった。

 会社に電話があり、呼び出されて何度も帰宅した。長時間におよぶ暴力が待っていた。娘が帰宅すると暴力がやみ、娘が眠りにつくとまた殴る蹴るが始まる。私は拳を強く握りしめ、身体を固くしてそれに耐えた。「妻がやっているのではない。病気がやらせているのだ」。何度も何度も自分に言い聞かせた。暴力は午前二時、三時と続く。幸いに、嵐のような嫉妬妄想は、薬の調整によって抑えられた。それでも時おり思い出したように殴られた。

 やがて妻は深い絶望に苛まれ始める。処方されている抗精神薬や睡眠薬を一度に全部飲んでしまうのだ。その量は百錠にも及ぶ。私が眠っている間に飲んだこともある。気づかぬふりをして朝まで放置したら、妻は間違いなく死ぬだろう。そんなことを何度も考えた。そのたびに思い返し、私は救急車を呼んだ。過量服薬はこれまでに七回におよんだ。

 妻と別れるのは簡単だ。だが、離婚は逃避に過ぎない。なんとか家族を護らなければ、という一念が、私を支えていた。離婚したら、妻は間違いなく自ら命を絶つ。いつの間にか妻には、境界性人格障害という病名がつけられていた。

 この十二月で、発病から十二年目を迎える。これまでに妻は十二回の入退院を繰り返した。大学生になった娘は、この十月に二十歳になった。長い闘病生活だが、いまだにひと区切りついたという安堵感はない。深い落とし穴の生活の中で、その暗さに目が慣れただけのことである。

 妻を背負い、仕事と家事をこなしながら、娘の手を引いて歩んできた年月だった。ストレスから身体の不調に悩まされていた私は、自分を護る手段として、エッセイを書き始めた。今年で十年目になる。誰にも打ち明けられない三十八歳の悲しみ、と悲劇の主人公気取りだった私も、間もなく五十歳になる。

 私の後方を走っていた会社の同僚は、いつの間にか私を追い越し、遙か前方を走っている。

 定時で会社を引けて帰る道、住宅街に差しかかると、いい匂いが漂ってくる。夕食の支度をしている主婦の姿が小窓に映っている。ずっしりと食い込むレジ袋の痛みを手に感じながら、待っている妻の顔を思い浮かべる。人を羨むな、泣き言をいうな、そう自分に言い聞かせながら家路を急ぐ。

 人並みの幸福を求めることは、とうの昔に諦めている。年末年始も、大型連休も、行楽の混雑とは全く無縁の生活を送ってきた。旅行らしい旅行にも出かけていない。大学生になった娘は、旅行サークルに入り、自由に出かけるようになった。妻も障害者手帳を取得し、自分の境遇を受け入れ始めている。それぞれが自分たちの幸せの形を探そうとしている。

 私は落とし穴の中でエッセイをつかみ、それに支えられてここまで来た。そういう意味では妻との人生に感謝している。こんな文章を綴りながら、今夜の夕飯を気にかけ、冷蔵庫の中の食材を思い浮かべている。

 

               平成二十一年十二月 大 雪  小 山 次 男