Coffee Break Essay



 
 「おっさんの恋」

 (三)

 私は長年のサラリーマン生活の中で、数多くのオッサンに接してきた。そんな中で、こういうオッサンにだけはなりたくない、という「なりたくないオッサン像」をもっている。それは「理想像」とは真逆なものである。

 私が考える最悪なオッサンは、「チビ、デブ、ハゲ、スケベ、ケチ」の五つの要素をフル装備したオッサンだ。これに、歯周病の口臭とタバコの臭い、酒臭さと飲みながら食べた餃子のニンニク臭が加われば、もはや天下無敵、怖いものなしである。だが、そんな「像」に少しずつ近づきつつある自分を感じている。

 私はチビだが太ってはいない。にぶってきた代謝をジョギングで解消している、といえば聞こえはいいが、酔っ払いの食い逃げのようなヨレヨレの走りである。頭は病気の犬のような中途半端な汚いハゲだが、それを隠そうとはせず、正々堂々とハゲている。だが、その頭蓋骨の中で考えていることは、かなりスケベなことである。金もないのに大盤振る舞いをすることがあり、ケチではないが、お金の使い方が上手とは言えない。これが自身の評価である。自分には、けっこう甘い方だ。

 私の渾身(こんしん)のさよならメールに、彼女は沈黙を守りとおした。

 結果、私の心に穴が開いた。それは取り返しのつかないような大きな穴で、じっとしていると、その闇の中へ引き込まれてゆく。二十代の前半、大きな失恋をした時に味わった、あの感覚が蘇る。まさかこの歳で、失恋の痛手を経験するとは……。そんな自分が滑稽(こっけい)で、苦笑する。

 何とか気持ちを紛らわそうと、思いつきで映画を観にいった。映画なんて何年ぶりのことか。特に観たいものもなく、たまたま「おしん」が上映されていた。何でもよかった。真夏の汗を拭ったように、ハンカチが涙でびしょ濡れになった。おしんが健気だった。

 だが、映画館を出ると、ふたたび暗闇に引き込まれる感覚に襲われた。仕方なくその足でサウナへいった。垢(あか)すりで、リフレッシュをと考えた。床屋へもいった。一人で飲むことのない私が、近所のスナックへ足を運んだ。だが、何をやってもダメだった。ひとりになると、真っ暗な深みに引き込まれてゆく。それは耐え難い苦痛で、じっとしてはいられなかった。

 風邪をひいた場合なら、それなりの対処療法をいくつか心得ている。毒には毒をもって制する式に、恋愛には恋愛を、とはいかない。迎え酒とは訳が違う。そんな気分には、到底なれない。最も失いたくないものを、なくしてしまった。その喪失感は、見た目以上に大きかった。

 そんな私の失恋の顛末(てんまつ)を、後日、さとみへ伝えた。いつまでもだまっている訳にはいかなかった。もう一人の友達にも伝わった。二人とも予想以上に驚いた。

「二人はお似合いだと思い、楽しく過ごしてくれているものとばかり、勝手に想像していました」

 手を握ったのがいけなかったか。調子に乗って彼女の肩に手を回したのがダメだったのか。彼女の理想像は、もっと若くてカッコいい男だったか。私のどこがいけなかったのだろう……。彼女のことはキッパリと諦めようと自分に言い聞かせるのだが、ついついそんなことを考えてしまう。

 私はこの二人を通じて、彼女の本心を訊いてくれ、ということもできた。だが、それはしなかった。二人は彼女と出会うきっかけを作ってくれ、楽しい場を提供してくれた。それ以降のことは、私と彼女の問題だと思った。というとカッコいいが、本当は訊くのが怖い、それが私の本音だったかも知れない。

 彼女が沈黙しているのは、私を傷つけまいとする彼女の優しさにほかならない。彼女のそんな優しさに、私は感謝しなければならない。

(それにしても、ひどいよ、ユリ……。ボクは、失くしたくなかった。あなたのことを)

 私の中で二つの気持ちがせめぎあう。

 そんな私の胸のうちを察するかのように、二人からメールが来る。

「でも、人を好きになる心の素晴らしさ、ケンちゃん素敵だよ。片想いもいんでないかい」

「どこがいけなかったのだろう、そんなことを考えちゃダメ。出逢えたことで忘れていた恋心を持てたでしょ。これが恋愛だと実感できたことに感謝です」

 マーノ・エ・マーノのカウンターに座って、ポツンと飲んでいる私に、

「シェフ、お店、お願い。ケンちゃん、カラオケいくよ」

 さとみに連れ出され、近所のカラオケ店へいった。二人で歌うこと四時間。まるで居残りのグランドで、千本ノックのシゴキを受けた後のようにフラフラになって店を出た。

「しっかりしろ、コンドウ・ケン! 人類の半分は女だぞ! 次だ、次。くよくよするな、ファイト!」

 マネージャーは健在だった。

(でも、ボクに適合するドナー〈女性〉は、そう簡単には現れないよ……)

 失ったものは大きかった。だからもう少しの間、往生際の悪い男でいさせてください。そしたら……。  (了)                           


                平成二十五年十二月  小 山 次 男