Coffee Break Essay
「おっさんの恋」 (二)
初めて彼女に会った日の翌日から、私たちはメールのやり取りを始めた。携帯電話の操作が苦手だというと、彼女は自分の電話番号とメールアドレスを私の携帯に登録してくれた。仕事から帰って、真っ先に彼女にメールをする。彼女から先にメールが届く日もあった。彼女に出会ってから、生きることが楽しくなっていた。私の中に小さな灯りがともり、私はその灯火を大切に育もうと決心していた。決して逃してはいけない幸せだ、と思っていた。
だが、毎日、何度もメールするのは彼女の苦痛の種になりはしないか、そんな危惧も心の片隅にあった。でも、彼女と繋がりたい。繋がっていたい。二度目に会う前夜、
「毎日メールして、しつこいと嫌われたら困るので、今日はメールしませんから」
とメールすると。「(笑)してるし☆」と即座に返ってきた。それだけで私は、ほんのりとした心地よい温もりに包まれていた。
二度目に会った翌日、一緒に撮った写真を送ろうと、彼女にメールをした。
「ユリさん、昨日の写真、とてもよく撮れていたのでプリントしました。ボクの机の前で、ユリさんが笑っています。住所、教えてもらえるとありがたいです。ストーカーのようなことは決してしません。大丈夫です。って、みんな言うよね。無理しなくていいけど。明日から一泊で釧路へいきます。出張です」
このメールに、返信がなかった。どうしたのだろうか。どうして何とも言ってこないのだろう。何かあったか、と心配になり始めた。数日前に一度だけ、彼女に電話していた。だが、今回電話することは、ルール違反のような気がした。彼女の中で何かがあったはずだ。一体、何が……。逡巡(しゅんじゅん)した末、思い切ってメールをした。これで反応がなかったら、ダメだということだ。そんなことを考えながらメールをした。彼女からのメールが途切れて三日経っていた。
「おーい、元気かい。夕方、釧路から戻って来ました。帰り、快調に飛ばしていた電車が、トマムを過ぎていきなり急停車しました。ものすごく高い鉄橋の上で。眼下は深い谷底です。何が起こった? 一瞬、TVでよく目にする、乗客が線路をトボトボ歩く光景が頭をよぎりました。ここ数カ月、JR北海道、何かとトラブルが多いよね。車内がざわめき始めました。するとアナウンスがあり、『ただいまこの電車がシカと接触したために急停車をいたしました。これからシカの撤去作業を行いますので、しばらくお待ち下さい』と。ほどなく軍手を手にした車掌が、足早に通り過ぎていきました。電車は三十分遅れで札幌に着きました。てな感じです」
だが、反応はなかった。「(ムリです)ゴメンなさい」のひとことでいい、何かサインが欲しかった。ダメならダメでいい。すぐには諦めがつかないだろう。けれど、それが区切りになる。私は、悶々とした日を過ごした。何度も「ウソだろ」、とつぶやいている自分がいる。何かの間違いであって欲しい。「連絡くれよ、ユリ……」、机の前に置いた彼女の写真に語りかける。
音信が途絶えて五日目。私は意を決し、再びメールを打った。「さよならメール」である。潔(いさぎよ)く身を退こうと考えた。彼女の方からさよならが言えないのだから、私から言えば彼女の気持ちも楽になるだろう。おそらく彼女は、私に対して申し訳ないという思いを抱きながら、やりきれない日々を過ごしているはずだ。彼女はそういう不器用な女性に違いない。いろいろ考え、たどり着いた私の結論である。
もしかしたら、私からの最後のメールで、彼女の気持ちが動いてくれるかも知れない、そんな一縷(いちる)の望みをメールに託した。
「どうやら、ダメみたいですね。
ユリさんとは、たった二度会っただけ。でも、楽しかった……時間を忘れるほど。この人となら、きっと上手くやっていける、そんな予感を勝手に覚え、少年のように夢中になってしまいました。
ユリさん、あなたに会ってから、色を失っていたボクの日常がにわかに色付き、バラ色に変わりました。こんなウキウキした気持ち、独身時代以来のことです。人を好きになるっていいことだなと思いました。だから、とても名残惜しく、残念です。夢中になりすぎちゃって、ゴメンなさい。
ユリさん、あなたとの出会いは夢のような出来事でした。幸せな大事件でした。だから、気持ちの整理に少し時間がかかるかも知れません。机に飾った写真、片付けなきゃね。
ああ、あなたを失いたくない。もし、またボクのことを思い出してメールしたくなったら、お願いします。……そんなの、ないか。
楽しかった。ありがとう。近藤健」 (つづく)
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