Coffee Break Essay





 「幼なじみ」
 〜マーノ・エ・マーノ


 幼なじみのアツホとさとみが、札幌で小さなイタリアンレストランを開いている。店の名は「マーノ・エ・マーノ」、「手と手」という意味のイタリア語だという。

 私たちのふるさとは、北海道の太平洋に面した小さな漁村、様似(さまに)である。人口四六〇〇人の街だが、我々が様似にいたころは、まだその倍ほどの人がいた。今では消滅可能性自治体の、全国の上位にランキングされている。

 中学時代、私は野球部で、さとみはマネージャだった。アツホは、ほんの少しだけ野球部に在籍していたが、その後は柔道部に移った。

 幼稚園から高校までが一貫教育のような小さな街ゆえ、それぞれの住んでいる地域から親兄弟のおおよそのことまで知っている。全員が遠い親戚のようなものだ。現にさとみとは、私の大叔父、つまり祖母(母方)の弟の妻と、さとみの母親が従妹同士である。あみだくじよりも複雑な家系図になるが、それでも田舎では「親戚」だ。

 平成二十三年三月、私は転勤で東京から北海道に戻った。三十二年ぶりである。平成二十年に母が脳梗塞を患い、それまで一人暮らしをしてきた様似を離れ、現在は、妹と共に札幌にいる。偶然にもその近所に「マーノ・エ・マーノ」があった。

 北海道に戻った私が母のもとを訪ねたおり、さっそく二人の店に顔を出してみた。ちょうどランチの終わった時間帯で、店にはお客さんがいなかった。アツホとは三十六年ぶり、さとみとも三十年ほど顔を合わせていない。マンションの一階にある店に入ると、真っ白なコックコートを身につけ、鼻の下にヒゲをたくわえたオッサンと目が合った。アツホ(淳穂)だった。カウンターの向こうで何か作業をしていたようだ。

「おお、久しぶりだなアツホ」

 と駆け寄ると、キョトンとした顔をしている。

「オレだ、オレ! オレだってば……」

「……」

 そんな私の声を聞きつけたさとみが、カウンターの向こうからヒョッコリと顔を出した。

「おお、さとみ! 久しぶりだな。オレだ、オレ、オレ」

 すると二人が口をそろえたように、

「あの……失礼ですが、どちら様でしょうか」

 とマヌケなことを訊いてきた。二人とも頭の回路をフル回転させているが、三十年以上オフになっていた私との連絡回線はつながらないようだ。二人にはそれなりに面影はあるが、私の外見がそれだけ変貌を遂げたということである。そのことに少なからぬショックを覚えた。

「コン・ドウ・ケン!」

 というと、二人は「オー」とも「ワー」ともつかない叫び声をあげ、カウンターを乗り越えんばかりの勢いで飛び出してきた。一瞬にして時間の壁を越えた。

 幼なじみとは不思議なものだ。当時はそれほど親しくなかった者同士でも、一瞬のうちに昔に戻る。他人としての距離感が圧倒的に違うのだ。幼いころ同じ場所で、同じ時間を共有していた者同士であるがゆえに、通じ合うものがある。それが幼なじみだ。

 アツホは、様似高校を卒業した後、東京での下積みを経てイタリアに渡った。そこで本格的な修行を積んで、札幌で店を構えている。本来ならば敬意を表し、シェフと呼ばねばならないのだろうが、ついつい「おい、アツホ」と言ってしまう。

 あの再会から四年が過ぎた。マーノ・エ・マーノには、しばしば顔を出す。夜遅い時間に出かけて行って、お客さんがいなくなると早めに店じまいをし、三人で飲む。

 まだお客さんがいたりなんかすると、

「ゴルゴンゾーラとモッツアレチーズの盛り合わせでございます」

 さとみが気取って持ってくる。

「なんだか防虫剤みてぇな名前だな。雪印チーズでいいんだよ、オレは」

「アンタ、ホント、バカなんじゃないの」

 と耳元でささやく。

「お客様、本日のお勧め、タリアテッレのフンギポルチーニと白トリュフのクリームソースのパスタはいかがでしょうか」

「うるせぇ!」

花ズッキーニのフリットなども、あっさりしていて美味しいですよ。当店自慢のペスカトーレは……」

「なに訳の分からねぇこと言ってんだよ、オメエは。ナポリタンないのか、ナポリタン!」

 カウンターの向こうでアツホが笑っている。

 私はこの一月で五十五歳になった。五十五歳という年齢を見て、愕然(がくぜん)とした。どえらい年寄である。そんなことを言ったら、七十代、八十代の大先輩に怒鳴られるだろうが。

 この四年の間に、アツホもさとみもそれぞれ一度ずつ入院している。長年の立ち仕事でひざを痛めたアツホは、先ごろ退院したばかりだ。五十日近く休業していたが、あまり長くは店を閉められない。満身創痍(まんしんそうい)で営業を再開した。

 再開初日の夜、店に顔を出した。私はいつものカウンター席に。目の前の厨房から、ときおり「ううッ……」「ああッ」という痛みに耐えるアツホのうめき声が聞こえる。そんなアツホの姿を、さとみが遠巻きに見つめている。いつも喧嘩ばかりしているくせに、やはりいざとなったら夫婦だ。

 この日、テーブル席には二組、七人のお客さんがいた。そこにさとみが料理を運ぶと、背中越しにお客さんの歓声が上がる。お店の再開を心待ちにしていた人たちである。以前、この店で知り合ったお客さんから、

「シェフは、お客の期待を裏切らないんですよ。それどころか、期待以上の料理を出してくれる。これは天性のものだと思います。こんなシェフ、いないですよ」

 と言うのを聞いたことがある。二十年来の常連だという。そんな評判もあってか、雑誌や地元のテレビでもときおり紹介される。テレビでは朴訥(ぼくとつ)なアツホに代わって、さとみが応対する。そんな場面を何度か見てきた。

 あるとき、私の友人が東京から家族連れで遊びに来たときのこと。札幌にいる奥さんのご両親を伴ってお店に来てくれた。ご両親は、八十代である。慣れないイタリア料理のメニューを前に、お父さんがナポリタンと口にした。その言葉を厨房で耳にしたアツホが、近所のコンビニに走った。さとみがいなかったので、自らケチャップを買いに行ったのだ。その後、私は友人家族と合流したのだが、初対面の父親が、私はこれほど美味いナポリタンを今までに食べたことがありません。今日はよかった、と目を細めた。カウンターの向こうにいるアツホに、

「おい、アツホ、ナポリタン美味かったってよ。良かったな。今度はオレにも作ってくれよ」

 というと、聞こえないふりをしながら、笑っていた。

 営業再開初日、お客さんが引けたのを見計らって、私は密かに持ってきたカンカイ(寒海。氷下魚(コマイ)ともいう)の干物を取り出した。三人でそれをつまみに、日付が変わる時間まで祝杯を挙げた。

「イタリアンに干物ってのもいいもんだな」

 とワインを口にすると、

「なにバカ言ってんだよ」

 と言いながら、二人も美味そうにカンカイを食べている。小さいころ、カンカイやボウダラ(棒鱈)などをよく毟(むし)って食べたものだ。そんな二人の姿を眺めながら、

(オレたち、これからもずっと一緒にいられるかな。……マーノ・エ・マーノか。手、離すなよお前ら)

 そんな思いが頭をかすめた。まあ、死なないように気をつければ、まだしばらくは大丈夫だろう。

 今度行ったら、ナポリタンを注文してみよう。おそらく、作ってくれないだろうが。


                 平成二十七年四月  小 山 次 男