Coffee Break Essay


この作品は、20153月発行の同人誌「随筆春秋」第43号に掲載されております。


  『大笑いの結末』




 大学病院ほど人を待たせるところはない。水虫も治せないくせに、高度先進医療もないだろう、とつい愚痴のひとつも言いたくなる。

 娘が幼稚園のころ、風邪をひいて高熱を出したことがある。性質の悪い風邪だろうと思っていたら、最終的に軽微な川崎病と診断された。川崎病は、風邪と勘違いしたまま治ってしまうことのある、原因不明の乳幼児の病気である。川崎病にかかった患者は、将来、心臓疾患の発症率が高いといわれ、以来、年に一度の定期検診を受けていた。

 それまで毎年、妻が娘に付き添っていたのだが、妻が体調を崩してからの数年間は、娘の夏休みにあわせて、私が会社を休んでこの年中行事に参加していた。

 今からちょうど十年前のことになる。いつものように病院へ向かった。途中、電車の遅延があり、予約時間を若干超過して病院に到着した。すぐに心電図とエコー検査は終了したのだが、それから二時間あまり、待合室で先生の診察を待った。

 そのころ、私は数学者でエッセイストの藤原正彦氏の著書を立て続けに読んでいた。その日も、待ち時間を利用して、私は藤原氏のエッセイを読み耽っていた。

 いいかげん二時間も読んで疲労を覚えたころ、『にわかの雨』と題した短いエッセイに出会った。藤原氏にしては異色の作品である。それが笑いの火種となった。

 待ちくたびれて隣でぐったりしている娘に、読んでみろと本を渡すと、めずらしく素直に読み始めた。私の笑いに興味を持ったようだ。数分後、その笑いが娘に移った。

 藤原氏が高校生の夏に、友人と海水浴に行ったときのこと。岩場に面した白い灯台によじ登った際、尿意を催した。放尿した尿が風に巻き上げられ、下で待っていた友人の頭上にふりかかる。だが、それを雨と勘違いした友人が、

「おーい、大変だ、雨が降って来たぞ。早く降りて来い」

 慌てた様子で叫んでいた、という話だ。

 待合室の周りの患者を気にし、二人で声を殺して笑いながら、今、先生に呼ばれたら笑いが止まらなくて困ったことになると心配になった。呼ばれないように祈っていると、呼ばれてしまった。

 主治医の先生とは、かれこれ十年来のつき合いになる。だが、年に一度の外来なので、そう親しい間柄ではない。若い先生なのだが、川崎病の権威という評判の医者で、それゆえに近づき難さを感じていた。

 診察室に入り娘と並んで座った私に、検査結果を見ながら、先生の説明が始まった。

「――心電図も全く問題ありませんね。冠状動脈も正常です。弁の逆流も見られませんし……」

 と先生が言ったとたん、私と娘はついに吹き出してしまった。藤原氏のエッセイのくすぐりが笑いを誘引したことは事実だ。だが、主因は、先生の説明にあった。

 突然、吹き出した我々に、驚いたのは先生の方である。笑いを堪えながら事情を説明した。

 先生の検診結果の説明は、前回と全く同じ内容だった。前年の検診の帰り道、娘が真面目な顔でつぶやいた。

「ねえ、どうして心臓のエコー検査でベンの逆流がわかるのかな……」

 質問の意図が呑み込めぬ私に、

「だって、お腹にエコーを当てたわけじゃないし……」

 と娘が言って、合点がいった。娘の言う「ベンの逆流」は、「便の逆流」だった。

「バカだねー。弁だよ、弁。心臓の。どこの世界に便が逆流し、心臓までくる人間がいるか」

 私の言葉に、娘は真っ赤になって恥じ入った。

 先生の説明を聞きながら、私と娘は全く忘れていた一年前のやりとりを、一瞬にして思い出してしまったのだ。それが吹き出した原因である。

 我々の不謹慎な行動に、先生が気分を害したのではないか、という不安があった。だが、私の話に、今度は先生が笑い出した。看護師が何事かと覗きに来た。

「早いなー、もう中学三年生か。検診は今回でおしまいです。もう大丈夫でしょう。よく頑張ったね」

 満面の笑みをたたえながら娘に言った先生の言葉は、長かった検診の終結宣言だった。ことある毎に案じてきた娘の心臓疾患である。その懸念が、思いもかけぬ先生の一言で払拭された。笑いに耐えていた私の目に、思わぬ涙が込み上げた。

 笑いの余韻が消えぬ先生に十年間の謝辞を述べ、私たちは診察室を後にした。

   
                  平成十七年四月 穀雨  小 山 次 男

                          平成二十六年十一月 加筆