Coffee Break Essay



 『想い出の値段』



 いよいよ書棚から本が溢れ出した。古い社宅ゆえ、これ以上本が増えると床が抜け落ちる。やむなく一部を処分することにした。

 小説を読み始めた高校時代からの本が、ほとんど欠けることなく揃っている。処分する本を選り分ける作業を始めたのはいいが、いざ手に取ってみると踏ん切りがつかない。古ぼけた文庫本一冊をとっても、熱中して読んだころの記憶が甦り、その重みがずっしりと伝わってくる。内容の大半は忘れているのだが、かすかな余韻が記憶の底にある。神田の古本屋街を何日も歩き、やっとの思いで手にした一冊もあった。そんな想い出が選別速度をにぶらせた。

 どう考えても手放すに忍びない。苦肉の策として思いついたのが、書籍目録を作ることだった。手帳ほどの小さな大学ノートを見つけてきて作家・ジャンル別に手持ちの本を片っ端から書き出した。会社から帰宅後の作業であるため、一ヶ月ほどかかった。

 目録が完成すると、思いのほか気分が軽くなった。気が変わらないうちに近所の古本屋を呼んで本を持って行ってもらった。七百冊近い本を処分したのだが、一部でも古本屋が引き取らなかったらそれは捨てるしかない。自らの手で本を捨てることはできない。

 そこで、処分する本を全てヒモで括り、古本屋が来たら有無をいわせず全て持たせる段取りをした。もちろん値踏みは店でさせる。私が会社へ行っている間に古本屋が来て、思惑通りことが運んだ。古本屋は、不満そうな顔をしていた、との妻の報告。

 長年古本屋へ足を運んでいるため、私の本がどのくらいの売値で店頭に並ぶか、おおよその見当はつく。一冊百円のもあれば、一万円は下らないものもあるはずだ。大半が文庫本であったが、初版の単行本もあったので、少なく見積もっても十万円は下らない。ただ、ひとつ気がかりだったのは、どの本にも赤線やら書き込みがあることだった。

 それから二日ほどたった夜、かの古本屋から電話があった。比較的若い男の声で、預かった本に値の付けられないものが数冊あり、もう少し待ってくれというものだった。受話器を置いた後、ひょっとして高く売れるぞ、というスケベな期待が沸々と湧いていた。古本屋が、値がつけられないといっていた本も、おおよその見当がついた。私は大いに頷いた。

 そして一週間後、やっと値踏みができた、という連絡を妻が受けた。店番がいないので代金を取りに来店してもらえないかという電話だった。古本屋を悩ますほどの本に、どんな値が付いたかワクワクしながら、会社帰りに古本屋に立ち寄った。

 四十代半ばと見受けられる店主が、丁寧な口調で時間がかかったことを侘びた。領収証にサインをお願いしますといいながら、レジから千円札を三枚取り出した。腰が低いわりに、態度は毅然としていた。予想外の結末にひどく動転しながら、消え入るように店を出た。

 意を決して処分した本の中には、私の人生に少なからぬ影響を与えたものもあった。寝食を忘れて読みふけった本も。光度こそ落ちたが、私の中では綺羅として未だに輝いているものだった。それらを手放す決意は、並々ならぬものだった。それが、三千円。一冊に換算すると、四円ちょっとになる。はかり売りにしても安すぎないか。自分の感性が古紙同然に評価されたようで、呆然と立ちすくむ思いだった。そんな馬鹿な、と思いながら、反論できなかった自分が悲しかった。

 しばらく古本屋には近づけなかった。日を経るにつれ、売った本のことが気になりだした。店の前を通りかかったのを機に、別の男が店番をしているのを確認して、店の中に入った。自分の本を丹念に探したがどこにもない。帰りぎわ、足もとに積んである雑誌の中に、一年間だけ購読した、ナショナル・ジオグラフィックスを見つけた。雑誌の裏ページをめくると、鉛筆書きで千円とある。ここに積んである雑誌だけで、一万二千円である。商売の現実≠突きつけられた思いがした。

 このとき私は重大な過ちをしていたことに気がついた。私の見積額は、古本屋の売値で、買値ではないということだった。つまり、古本屋の店頭に並んだ本の値段で考えていたのである。大間抜けである。

 作家の出久根達郎氏によると、古本屋が買い付けた本のほとんどは、そのまま古本市場に流されるという。出久根氏は中学を卒業し、東京月島の古書店の丁稚奉公に上がる。その後独立し、杉並区高円寺で古書店をかまえ、商いの傍ら書いた小説が、第一〇八回直木賞を受賞。古本屋の親爺が直木賞をとったというので、大きな話題を呼んだ人物である。

 氏曰く、文学書は初版本で、しかも出版された当時のままの姿で手垢ひとつついていないものをよしとする。しかも、保存状態が極めて良好な初版本であっても、帯が欠落していると評価されない。たとえば、昭和十年の第一回芥川賞受賞作『蒼氓』(石川達三)の古書価は五十万円だが、帯がなければ十五万円だ、と。

 つまり、買ったままの状態で読まずに何十年もしまい込んであった本が、古書価のある本というわけだ。私は、本を買うとすぐさま帯をはずし捨ててしまう。何度も読み返し、ページを折ったり、気に入った表現にはことさら力強く赤線を引いているような私の本は、古本ではなく、古紙なのである。

 出久根氏の初期の作品には、古本にまつわる秀逸なエッセイが多い。

 ある日、本を探しにきた客があぶれて帰りぎわ、店の入り口付近で悲鳴を発し、顔を波打たせながら戻ってきた。いとおしそうに本を両手で抱えている。客の持つ本は、未整理のまま店の通路に積んであったもの。話によるとその本は、彼の父親が文学に狂い、大借金をして自費出版した本で、そのために一家は土壁をかじるほどの困窮の生活を送った。父親が死んで、全く売れなかったその本の山を古本屋に処分した。哀れに思った店主が、コッペパン一個の代金をくれた、という。

 客の話を聞き終わった出久根氏が、その本をプレゼントすると申し出た。だが、客はどうしてもお金を払うという。では百円で、といったら、客が色をなした。父をバカにするなという。ムッとした氏は、それでは千円頂きますというと、客は相好をくずして五千円にしましょうといった。父親もどんなにか喜ぶに違いない。自分の著書が古本屋で五千円もするのだもの、というエッセイである。これは『おやじの値段』と題するエッセイで、『一九八七年版ベスト・エッセイ集』(文藝春秋)の表題作に選ばれた。

 本の価値とは、そのひとの思い入れで決まる。今になって、手放すべきではなかったと、悔やんでいるのである。

                    平成十三年二月  小 山 次 男

 追記 

 平成十八年十月 加筆