Coffee Break Essay



  『想い出のひとコマ』




 小学校の五年の頃、父がカメラを新調した際に、それまで使っていたものが払い下げられた。以来、写真のとりこになった。カメラを首からさげて、自転車で山へ海へと出かけた。プロの写真家になりたい、と淡い夢を抱いていた。

 社寺仏閣が好きで、京都の大学に進学した。休みのたびにカメラを手に出かけた。雨の竜安寺。夕日に映える鹿苑寺金閣。舞子を狙って夕暮れ時の祇園花見小路や先斗町をうろついた。夢中で写真を撮っていた。なかなか思うようなショットが撮れない。インスタントカメラでは、無理もない。

 一年ほどしたある日、渡月橋の写真を撮りに出かけた嵐山で、足を滑らせ河原で転倒した。その拍子にカメラを壊した。痛恨事であった。カメラを買う金はない。仕方なく、手ぶらで歩くようになった。

 葵祭り、鴨川べりの納涼床、祇園祭り、南座の招(まねき)、ぶらぶらしているだけで、時々の風物に行き当たった。写真を撮らないというだけで気持ちが楽になっていた。古い街には、建物や風景に時間が蓄積されている。それが折々の季節の中で味わいを醸し出している。今までファインダーを通してしか京都を見ていなかったことに、改めて気づかされた。風景写真が欲しければ絵葉書を買えばいい。もはやカメラへの興味は失せていた。

 以前にも似たような経験がある。中学生のころ天体に興味があった。親に頼み込んで天体望遠鏡を買ってもらった。北海道の厳冬期、氷点下十度を下回る戸外で、毎夜、空をながめた。月のクレーターに驚き、金星の満ち欠けに驚喜し、土星の輪に神秘を覚えた。星座や星雲を調べ、何枚もスケッチをとった。

 三ヶ月ほどそんなことをしていたある日、疲れた目をファインダーから離し、雪の上に大の字に寝そべった。深夜である。街灯などの邪魔な光がない澄んだ空には、満点の星空が広がっていた。射るような星のきらめき。天の川の乳白色が天空を渡り、ときおり目の覚めるような流星が夜空を横切る。どうして今までこの美しさに気づかなかったのだろう。ファインダーという狭い視野にすっかり慣れていた私は、さえぎる物のない天球の大パノラマに圧倒されていた。

 空を見ていると色々なことに思いがめぐる。暗黒の宇宙の先はどうなっているのか。私が今見ている星のきらめきは、一〇〇億年前の光である。想像すらできない距離に人生の儚さを思った。天国というのはどの辺にあるのか……想像が果てしなくふくらむ。やっとの思いで買ってもらった望遠鏡が、色あせていた。

 結婚して子供ができ、再びカメラを手にする機会が訪れた。運動会や学芸会などの学校行事には欠かせない。親たちのファインダーが、一斉にわが子を追う。ほとんどがビデオとカメラの両刀づかいである。忙しいことはなはだしい。

 想い出のひとコマを残してやることは、親としても、子供にとっても大切なことだ。遠くにいて見に来られない祖父母も、孫の成長した映像を見るのを楽しみにしているだろう。

 だが、どうも釈然としない。なぜなら私は、運動会の徒競走で、自分の娘がゴールする瞬間を、一度も肉眼で見たことがないのだ。大声で声援したことがない。そんなことでいいのか。特に運動会などは、自分の子もさることながら、大勢の子供達の中でわが子の成長を確認し、子供達の頑張りに一緒になって応援するのが本来の親の姿だろう。一生懸命応援していた自分の親の姿が目に浮かんだ。そんなことを妻にいうと、

「そんなこといったって、どうしようもないでしょ。思い出を残してあげないとかわいそうよ」

 といわれあっさり折れる。

 なぜ学校側が、写真とビデオを業者に撮らせない。あとで大枚をはたいてでも買おうじゃないか。教育委員会は、文部科学省はそんなことも思いつかないのか。昨今声高にいわれる親子の断絶の一助にもなるだろう。憤懣やるかたない矛先を、そちらに向ける。

 娘が幼稚園のころ、幼稚園から頼まれて運動会の印象を書いて会報に載せたことがある。後でそれを読んで、映像・画像とはまた違った味わいがあっていいものだと思った。

 私は総務という仕事柄もあって、同僚の結婚式の司会を何組かやったことがある。披露宴が終わった後に、司会の台本を新郎新婦にプレゼントすることにしている。新婦来館から始まり、披露宴お開き・送賓まで、その日のできごとをあらかじめ克明に記してある。その日のニュースは、朝のうちに駅の売店に行き、朝日、毎日、讀賣、日経の各新聞から、あらかじめ台本に書き出しておく。読み終わった新聞も一緒に贈呈する。タンスの抽斗や下駄箱にでも敷いて、忘れたころに、これはあのときの……と思い出してもらえれば、という期待がある。結婚式の様子は文章では残さないものだけに、みんなから大いに感謝された。

 想い出のひとコマを画で残すのもいいが、かけがえのない時間だからこそ存分に共有し、心に焼きつけたいものだ。できればそのときの思いを文章につづれれば、それに越したことはい。なかなか難しいことだが。

 私がエッセイを書く理由のひとつは、そのへんにもある。

 

                  平成十二年十月   小 山 次 男

 追記

 平成十八年十月加筆