Coffee Break Essay





 
「おまた」


 最近、めったなことでは恥ずかしいと思わなくなった。五十歳を目前にして、鈍感力がますます充溢してきたのだ。ただ、知識がないために恥ずかしい思いをすることは、頻出している。

 先日、久々に「恥じらい」の方の恥ずかしい思いをした。

 風呂で身体を洗っていたとき、あそこに赤い点がポツンとあるのに気がついた。「あそこ」とは、マツタケの笠の付け根部分である。マツタケというほどのものではないが、男というのは、とかく見栄を張りたがるものである。

 特に痛くも痒くもないので、気にせずにいた。だが、その赤い点は、日増しに大きくなってくる。そのうち、つゆが出てグジュグジュしだし、むず痒さと痛みが入り混じってきた。これはマズイと思った。一瞬、性病を疑ったが、身は潔白である。

 とりあえずアロエ軟膏をたっぷりと塗り込んで、折りたたんだティッシュで付け根を縛り付けた。木枝に結び付けられたおみくじ、蝶ネクタイといった方がまとを得ている。

 男が小便をする場合、しっかりと小便器に近づかなければ、相手の先っちょが見えるものである。会社の同僚に蝶ネクタイを見られぬよう、ずいぶんと気を遣った。清潔を保つために、一日に何度も蝶ネクタイを取り替える。だが、症状は改善するどころか、赤味の範囲が増大するばかりである。それを見た妻が、

「そんなバカなことしてないで、早く病院へ行った方がいいわよ。腐って取れたらどうするの」

 のっぴきならないことをズバリといった。私も、これ以上の悪化はマズイと思っていた。

 会社近くに女子医大系列の病院がある。週に一度、皮膚科外来があり、若い女医が大学病院からやってくる。私は、三カ月に一度、足の裏にできた汗疹(あせも)の薬をもらいに通院していた。

 二十年以上も前に、尿道炎になったことがある。そのときは別の病院だったが、自身を曝け出さずに治療を終え、ホッと胸を撫で下ろしたのである。そのときの医者も女医だった。今回も大丈夫だろうと高を括って、しぶしぶ病院へ出向いた。

 医者に何と切り出したらいいものか、お姉さん先生の顔がチラつく。女医は、三十歳そこそこの美人先生である。いかにも頭がよさそうで、冷たい雰囲気をもっており、とっつきにくいタイプである。「あそこ」を何と表現したらいいものか思いあぐねたのである。

「先生、あそこの付け根に赤いできものができて……」

「あそこってどこですの」

 などといわれかねない。「亀頭」では、あまりにも露骨過ぎる。「ペニス」も恥ずかしい。この歳になって「オチンチン」はないだろう。かといって「チンポ」はダメである。困ったことになったと思った。

 万が一、先生に見せることになったら……医者とはいえ、若い女性に執拗に触られたら、変化しないとも限らない。あそこは、自分の意思とは関係なしに変貌する場合があるのだ。私は年甲斐もなく、面接を待つ学生さながらに落ち着きを失っていた。

 週に一度の外来は、結構混んでいる。この病院の皮膚科は、半年に一度くらいの割合で、予告もなしに医者が替わる。これまでに何度か替わった医者は、みな若いお姉さん先生であった。この外来の人気の秘密は、そんなところにあるのではないかと、くだらないことを考え始めていた。

 この日はとりわけ混んでおり、私は妄想に飽きて、持っていた小説を読み始めた。しばらく読み進むうちに、ストーリーが濃厚な濡れ場に差しかかってきた。いつもなら、目を瞠(みは)って読み進む場面なのだが、私はそこで本を閉じた。「変化」を恐れたのだ。先生に呼ばれでもしたら、一巻の終りである。変質者と疑われても、弁解の余地がない。

 気持ちを落ち着かせるため、しばらく目をつぶって瞑想していたとき、ついに私の名前が呼ばれた。その声は、いつものお姉さん先生の声であった。

 気合を入れて診察室に入ると、先生は私のカルテに目を落としていた。こういう場面、男は堂々としていなければならないと自分にいい聞かせ、椅子に座った。先生がカルテから目を上げ、口を開こうとしたとき、

「先生……今日は、違う場所なんです」

 我ながらキッパリといった。だが、緊張のためか、その声がいささか大きかった。先生は、意外な顔で私を見つめ、次の言葉を待っている。

「あの……ですね。実は、ここにですね、赤いできものができたんです」

 私は下腹部を指差した。声が上ずっていた。だが、お姉さん先生は、そんな私の説明で全てを了解したのだ。

「ハイ、ハイ、うーん……それで、どの部分でしょうか」

 作ったような真面目くさった顔で、冷静沈着を装っているように見えた。「部分」を訊かれ、動転した私は、やはりその部分を言葉にできず、

「この辺なんですが……」

 と自分の左アゴの下の部分を手でさすって見せた。すると、お姉さん先生は頷きながら、「じゃあ、ベッドに横になって、おまたを診せてください」

 と傍らの診察用ベッドを指差した。

「おまた?……」

 おまた……そうか、医者はおまたというのかと、最悪の事態の出来(しゅったい)にもかかわらず、私はひどく感心していた。お姉さん先生は、すでに立ち上がって手をパチパチいわせながらゴム手袋をはめている。私はズボンのベルトをはずし、立て膝になってベッドに仰向けになった。心臓が高鳴り、最高血圧の新記録を更新している。お姉さん先生が立ち現れたところで、意を決して腰を浮かし、エイッ! とばかりにズボンとパンツを一緒にずり下げた。

「あッ! そんなに下げなくでも大丈夫です!」

 お姉さん先生の声が、頭上でした。勢いあまって膝まで下げてしまったのだ。

「失礼します」

 といってゴム手袋が、うなだれた私のおまたをつまみ上げた。そしてすぐに、

「あッ、ヘルペスですね。ハイ、もういいですよ」

 ほんの数秒である。ヘルペスは、ストレスや疲れからくるものだという説明を受けた。あっけない診察に、もの足りなさを感じながら、私は診察室を後にした。だが、安心感も手伝ってか、大仕事を終えたようなひどい疲労感を覚えていた。

 薬局で渡された薬の袋には、手書きで「お股」と書かれていた。医療従事者は、「お股」というのか、と改めて感心した。

 後に広辞苑で「股」を引くと、「胴から脚が分かれていくところ。またぐら」とあった。お姉さん先生は、「またぐら」を見せてくださいといったのである。だが、よく考えると、あそこは「またぐら」ではない。女性の場合は、おおよそそれでいいかも知れないが、男の場合、だいぶんニュアンスが違う。いろいろ考えたが、やはりあそこを呼称する妙案は浮かばなかった。

 お姉さん先生が処方した薬は、抜群に効いた。三日ほどで、赤味が跡形もなく消え失せたのだ。

 これまでの人生で、異性に対する様々な場面に遭遇して来たが、若い女性から、ベッドに横たわってあそこを見せろと命じられたのは、後にも先にもこのときが初めてである。不思議と誇らしい気分になったのであった。

 

                平成二十一年十月 寒露  小 山 次 男