Coffee Break Essay



  『遅ればせの読書三昧』




 昨年の春、私はエッセイで小さな賞をもらった。そのとき作家の佐藤愛子氏より身に余る選評を頂いた。佐藤愛子の本は何年も前にエッセイを一冊読んだ切りだった。大先生からお褒めを頂いたのだから、記念に彼女のものを少しは読んでおいた方がいいだろうと、本屋の本棚からデタラメに三冊抜き取ってそれを読んだら、抜けられなくなってしまった。

 以来、今日までの一年間に、九十四冊の文庫と文庫になるのを待てなかった『血脈』を三冊読んだ。私の調べた範囲では、佐藤愛子にはあと少なくとも二十冊を超える文庫があるはず。こうなったら全部読まなければ気がすまない性質(たち)なのだ。

 現在、私の行動範囲の中に十七軒の「ブック・オフ」なる中古本屋がある。行動範囲とは、休日に自転車で巡回できる範囲であり、おおよそ練馬区、中野区、杉並区、板橋区などである。短期間にこれほどの本を入手できたのはこの店のおかげだ。しかもほとんどが一冊百円、高くても三百円という、願ってもない値段が嬉しい。

 だが、ここに来てパッタリと本が手に入らなくなってしまった。佐藤愛子のものは、ほとんどが絶版本なので、十七軒でも追いつかなくなったのだ。新規の店が近場には見当たらないので、仕方なく違う作家に手を出している。

 現在、私には最重点作家という作家群がいる。それは私が敬愛して止まぬ作家たちで、彼等が書いたものは文庫で全て読んでおり、ときおり書店の新刊本コーナーを巡回してはチェックし、新刊が出るや否や、何はさておき読む作家である。

 現在の最重点作家には佐藤愛子はもちろんのこと、車谷長吉、出久根達郎、辻仁成、青木玉(露伴の孫)、青木奈緒(青木玉の娘)、藤原正彦がいる。この作家群のほかに、準重点作家がおり、それは重松清、田口ランディ、吉本ばなな、川上弘美など。大好きな作家というわけではないが、気になって文庫を全て読んだ手前、新しいのが出るたびに読まざるを得ない人たちだ。

 さらにこれとは別に予備群というのがあり、今後準重点作家に昇格するかも知れず、いきなり最重点作家にもなりかねない人々である。今のところ、柳美里、北杜夫、田辺聖子、遠藤周作がいる。この予備群は非常に流動的で、いつ誰が入って来るか分からない。三島由紀夫や坂口安吾などが突然入って来る可能性もある。

 ちなみに過去の最重点作家には、立原正秋、壇一雄、司馬遼太郎、宮澤賢治、永井荷風、泉鏡花、寺田寅彦、内田百閨A幸田露伴、幸田文(露伴の娘)などがおり、これらも新刊が出たら買う対象となっている。ただ、司馬遼太郎だけは別格で、彼の作品はあまりに多く、以前は出版社別に読破していたが、少々疲れたために、現在休止中。立原正秋は唯一全て単行本で読んだ作家で、壇一雄は全集であった。この二人は、私の中では格別中の格別の作家。私が練馬に越す最終的な決め手となったのは、壇一雄(女優、壇ふみの父)の自宅が近所(石神井)にあったからである。

 以上が、私の三十年近い読書遍歴の一端なのだが、こうしてみると大した量ではない。ものを書くためには読まなければならないのだが、これでは絶対量が少ない。三十年といっても、後の二十年はサラリーマン生活の中でのこと。私は、読書後発者である。お気に入りに外国人(欧米人)作家がひとりもいないのも歪(いびつ)だ。

 ヘルマン・ヘッセの『車輪の下』を一ヶ月半もかけてやっと読み終えたのは十五歳の秋。高校一年の男子寮のベッドの上であった。中学時代、国語の先生がことあるごとに読書をしろ、本を読めとしつこく言っており、うるさいなと思いながらも、先生の口に上った『車輪の下』を記憶しており、「どれ、読んでみるか」となったのが手始めであった。

 『車輪の下』は私にとって生涯で三冊目の文庫であったが、その一センチ足らずの文庫の厚さを眺めながら、私は死ぬまでに自分の背丈を越すほどの本が読めるだろうか、と気が遠くなるような思いで考えていたことがあった。

 もし全ての本を散逸しないで持っていたら、六畳間の広い方の壁面を覆い尽くすほどの本を読んだ計算になる。だが、残念なことに、読んだ本の三分の二はすでに失っている。保管するスペースがなかった。だが信じ難いことに、本を散逸する前に、私は読んだ本を細大漏らさず全て小さなノートに書き留めていた。十四歳で初めて読んだ相沢忠洋『岩宿の発見』から、現在読んでいるものまでの全てである。それが私の書斎となっている。私とはそういう人なのだ。

 もし私が、小学生のころからきちんと読書をしていたら、もっとまともなものが書けるようになっていただろう、と思う。十代でどれほどの本を読んだかで、そのひとの筆力が決まると考えている。私の場合、読書に目覚めるのが遅過ぎた。今となっては後の祭り。その点が、いまだに悔やまれる。

 そういうわけで、佐藤愛子三昧のあとに、いきなり辻仁成、壇一雄、車谷長吉、出久根達郎と立て続けに文庫の新刊を読んだため、危うく私の頭蓋骨が爆発しそうになった。あまりにも作家の落差が大き過ぎたのだ。そして、このゴールデンウィークに柳美里の命四部作『命』『魂』『生』『声』を一気に読んだ。その陰には、北杜夫と田辺聖子と遠藤周作が、見え隠れしている。この三人は読み始めたら長くなりそうなので、常に後回しにされている。

 だから、私に読書の時間を提供してくれる往復二時間の通勤電車と、大学病院並に人を待たせる東京三菱銀行大伝馬町支店の待ち時間に、密かに感謝しているのである。

 それにしても読みたい本というものは、あきれるほど次から次へと噴出してくるものだ。いつの間にか読むことが好きになり、書くことまでが趣味になった。夏休みの宿題で野口英世の伝記を読まされ、始業式の前夜、泣きべそをかきながら原稿用紙に向かっていた小学生の自分が、妙に懐かしい。人生とはわからないものだ。

                       平成十六年六月  小 山 次 男