Coffee Break Essay


 『沖縄の陽ざし』




「こんなに海が明るけりゃ、啄木は似合わないな」

 北海道育ちの私が、初めて沖縄の海を見たとき、真っ先に思ったことだった。それまで南国の海は、テレビや写真でしか知らなかった。

 五年前、社内旅行で沖縄へ行った。宿は名護市から十キロほど南に下ったビーチホテルである。私は旅行の幹事ではあったが、自由行動の日、社員をビーチに追いたて、ひとり密かにレンタサイクルで名護市内に出かけた。観光客があまり足を運ばない、素顔の沖縄に触れてみたかった。

 名護市は、ホテルから一番近い街だった。だが、レンタサイクルが決めた行動範囲の外にあった。遠かったのである。

 六月、梅雨が明けた沖縄の陽ざしは、すでに真夏だった。道の左に、息を呑むほどの青い海が広がっている。目を細めるたくなるほど眩しい白い砂浜がどこまでも続く。水平線の彼方、サンゴ礁の途切れるあたりに、光に輝く白波が見える。反対側は、熱帯樹林の鬱蒼とした山である。異国の地に来た開放感を全身で味わっていた。海岸沿いの長い道程、道路のアップダウンもさほど気にならず、東シナ海の順風を背中に受けて、快適なサイクリングを楽しんだ。一時間ほどで街が見えてきた。

 街に入ってすぐに小さな本屋を見つけた。入って驚いた。どの本も無残に日焼けしている。新刊書店ではあるが、本が完全に死んでいた。南国の陽ざしの強さを垣間見た思いがした。日焼けしていない本が全くないのは、本が動いていないことを語っていた。ほかに三軒ほど小さな書店を見て回ったが、どこも似たようなものだった。

 どの書店も、入口近くに沖縄関連の書籍を並べている。最初に入った店でポケットサイズの『沖縄の植物図鑑』と、中高生向けの『沖縄の歴史』という二冊の本を購入した。いかにも沖縄的な婆さんが、店の奥にいたからだ。手ぶらで店を出るに忍びなく、購入してしまった。深いしわに埋まった顔から、笑顔と共に覗いた白い歯が印象的だった。

 どの家も軒が異様に低い。屋根にはずっしりとした重量感がある。台風から家を護るための構造なのだろうが、穏やかな海からは想像がつかなかった。路地を入ると、どの家も家の中は暗く、人の気配が感じられない。街を歩く人もほとんど見かけなかった。平日の昼間だったが、時間が止まっているような光景だった。

 南国の陽ざしは、キラキラとして躍動感に満ちている。反面、その光はあらゆるものから色を奪い風化させる。恐ろしい速度で色褪せてゆく看板やポスター。沖縄の過去まで褪色させて行くような凄まじさだ。

 私は、名護市の図書館を訪ね歩きたいと思っていた。その地域を知るのに手っ取り早いのが図書館である。沖縄の図書館では、琉球王国の歴史もさることながら、やはりその中心は、太平洋戦争での沖縄上陸戦である。明るい外の陽ざしの中では、凄惨を極めた過去を感じさせる気配はみじんもないのだが、一歩図書館の中に入り込むと、冷気の中でひっそりと息づく過去の真実がある。沖縄は、日本で唯一、戦場となった地である。

 沖縄戦の古い写真を眺めながら、「さとうきび畑」のフレーズが頭をよぎった。寺島尚彦作詞・作曲になる「さとうきび畑」は、三十年以上も前から歌い継がれている歌である。幾人もの歌い手を経、現在、森山良子の歌が静かな反響を呼んでいる。反戦歌ではあるが穏やかな曲想で、恨みを感じさせない。

「ざわわ ざわわ ざわさ/広いさとうきび畑は/ざわわ ざわわ ざわわ/風が通りぬけるだけ/あの日鉄の雨にうたれ/父は死んでいった/夏の陽ざしのなかで」

「ざわわ ざわわ ざわさ/風に涙はかわいても/ざわわ ざわわ ざわさ/この悲しみは消えない」

 「ざわわ ざわわ ざわわ」というフレーズの繰り返しと、「夏の陽ざしのなかで」の反復が、深い悲しみの内包を想起させる。魂が揺さぶられ、深い感銘の余韻がいつまでも心に残る。陽ざしが明るければ明るいほど、胸に悲しみが迫ってくる。「さとうきび畑」はそんな沖縄の鎮魂の歌である。

 抜けるような青い空と白い雲。陽ざしに映える色鮮やかなハイビスカスやブーゲンビリア。海原のように風に波打つさとうきび畑の緑。そして何より、生きていることが楽しくなるような明るい海、その全てが降り注ぐ光に輝いている、それが沖縄である。原色の光の下で、開放感に浸っている若者に、悲しみの理解を強いるのは無謀である。ビーチで戯れる男女の歓声が、現実なのだから。

 人が集まると泡盛を飲み、サンシンにあわせて男も女も老いも若きも踊り歌う。そこには、躍動する生と同時に、沖縄の逞しい再生力を感じる。旅行会社のパンフレットからは読み取ることのできない沖縄の姿がある。ここ数年、仕事で何度か沖縄を訪れている。訪れるたびに、いろいろなことを考えさせられる。

 沖縄には、様々な顔がある。時にオキナワであり、あるときはOKINAWAでる。そんな沖縄が私を引きつける。

 私のレンタサイクルの旅、帰りは予想外の展開が待っていた。背中を押した順風が、帰りはまともな向かい風になった。何度も自転車を降りて押して歩かなければならなかった。レンタサイクル店が行動圏外としている理由を理解した。自転車の返却時間との競争のような帰路となった。

                      平成十四年六月  小 山 次 男

 追記

 平成十九年六月 加筆