Coffee Break Essay



   『年齢』




自分の履歴書を書いてみたら、最初から最後まで昭和であった。

転職のつもりで書いたのではない。
古いビジネスノートをめくっていたら、思いがけず出て来たのだ。
十二年前、三十歳になったのを機にわざわざ履歴書を購入して、写真まで貼り付けたものである。

さらに三十歳を記念して、憲法前文を丸暗記した。
「日本国民は、正当に選挙された国会における代表者を通じて行動し・・・」というやつである。
半分まで暗誦していたのでついでに残りを全部覚えた。
会社の行き帰り、歩きながらほぼ一年近く口ずさんでいた。
前文をふた呼吸で言い切れるまでになっていたが、今ではうそみたいにすっかり忘れ、
結局はむかし覚えた半分だけになっている。

四十周年では、どうしようかと思っていたが、何となくエッセイを書き始めた。
半年も続けばいいと考えていたが、まだ続けている。これが六十七作目となる。

三年ほど前まで仕事で社員の採用に携わっていた。
採用者の履歴書を見ると、履歴書から次第に昭和がなくなって、最後には生年月日だけになってゆく。
考えてみれば、平成もじき十五年となる。

平成生まれの子供たちの最先端は、現在、中学二年生である。
この学年は、昭和六十三年と六十四年、それに平成元年早生まれの混在となっている。
六十四年は六日間しかなかったので、まぼろしの年といえるほど希少である。

私の履歴書は、昭和四十二年四月の小学校入学で始まり、五十八年の入社で終わる。
資格・免許欄も全て昭和。しいて言えば、かろうじてひとつだけ平成がある。

賞罰欄は「なし」と書いてあるのが通例だが、私の場合は平成元年一月七日、警視総監賞とある。
たまたま、向かいのマンションに住む若い女性の部屋に、いたずら目的で侵入した暴漢を捕まえた。
平成になった日の深夜、午前一時過ぎの出来事であった。
凶悪犯人現行犯逮捕という厳めしい名目の、棚から牡丹餅的な賞である。
これも一時間前にずれていれば昭和である。

こう見ると、私は昭和の人間なのかと寂しくなる。
これで平成生まれの入社が増えてきたら、どうなるのだろう。
肩身の狭い思いをするに違いない。

どうしてこんなことになってしまったのだろう。自分が四十代になるなど、想像すらしていなかった。
いまだにピンと来ていない。二十代のころは、三十歳でさえ大変な年寄りと思っていた。
だから三十になるなどとは、夢にも思っていなかったし、なるつもりもなかった。

ニ十八歳になった日、大きなショックを受けた。
ニ十八は男の結婚適齢期である、と私はいつかしら思い込んでいた。
結婚の見通しすらない独身であった。

生憎、私の誕生日は一月十五日、当時はまだ成人の日ということで祝日であった。
昼過ぎに起き出して、思い立ったように奈良へ行った。
成人式帰りのチャラチャラした若者を見るのが嫌で、
どこか遠くへ行って静かにしていたかった。
それが奈良であった。
年齢に対するプレッシャーからの逃避である。

十代や二十代の頃は、三十代、四十代というのが、とてつもない大人に見えていた。
そういう思いはいまだにあって、いざ自分がそういう年齢になってくると、
自分の不甲斐なさに情けなくなってしまう。
もっと気軽に、適当に生きて行けばいいのだろうが、
そういうことがが出来ない性分である。

年代の区分でゆくと四十は「初老」ということになっている。
ひとをバカにした区分であるが、どこかで小さくうなずいている自分がいる。

外見が徐々に朽ちてゆくのを感じる。
脳天も知らぬ間にだいぶん明るくなってきた。
野球で鍛えてきたプリンとしたケツもしなびはじめている。
下腹が出て体重もジワジワ増えてきた。
決定的なのは、小さい字が見えなくなってきたことだ。遠視である。
老眼という言葉は残酷である。
だからローガンと言うことにしている(クダラン!)。

このままじゃいかん! と思いたち、この春からジョギングを始めた。
鉄アレーも持ち上げている。ささやかな抵抗である。
無駄な抵抗かも知れない。
三ヶ月ほどで八キロも体重が落ちた。
ダイエットなんて何のことはないじゃないか、ザマー見ろ! である。
これでリバウンドが起こったら、今度はまわりからザマー見ろ、と言われかねない。
筋肉もかなりついたが、若い頃とは様相が違う。

先日、なにげなくかがんだ拍子に腰がグリッとなった。
ギックリ腰である。
愕然とした。こんなに身体を鍛えているのにどうして? 
オイ、オイ、老い、とくだらないギャグを考えて、ひとり空笑している。

まったくこんなはずではなかった。
どうしてこんなに歳をとってしまったのだろう。戸惑いは拭いきれない。
それでも気分だけは二十八歳なのである。
いや、むしろ大学四回生、二十三歳の方が強いかもしれない。
だから余計にこたえる。

私が○○周年記念をやるのは、その年齢を自分に納得させる、
無理やり受け入れさせるための儀式である。
自分を慰めるための鎮魂歌であり、ご褒美なのである、と理由づけている。

このぶんでは、五十周年は、さぞ盛大な記念事業が待っているだろう。
何せあの「人生五十」の五十なのだから。


                       平成十四年十月  小 山 次 男