Coffee Break Essay


 「武者の勇猛ぶり ―米良左源次―」


(米良左源次)

 先の話から、さらに百年ほど時代を遡(さかのぼ)る。

 四代米良勘兵衛の弟に左源次がいる。左源次は、元文五年(一七四〇)に生まれ、文化十年(一八一三)に没している。当時としては、七十四歳と長命であったが、分家して一家をなさず、終身兄勘兵衛のもとで暮らしたと記されている。この左源次が奇天烈な男であった。

 熊本県立図書館に寄託されている上妻(こうづま)文庫に、「風説秘記」という逸話集がある。その中に左源次の話が収録されている。「風説秘記」は、熊本の史家上妻博之(まさゆき)氏が、昭和十一年に「宮村氏雑撰録巻四十二」に所収されていた話を筆写したものである。大意は次のとおり(赤穂義士研究家佐藤誠氏のご教示による)。

 米良左源次は、性格が極めて勇猛である。あるとき、上野(熊本)の七瀧で猟師がイノシシを仕留めたが、あいにく滝の中ほどにある一つ目の滝壺に落ちてしまった。イノシシは滝に打たれ車のように回転し、猟師たちは取る術もなく呆然と眺めていた。そこへ左源次が通りがかり、

「あの猪を俺にくれるのなら、行って取ってくる」と言った。猟師たちは驚き、止めようとしたが左源次は聞き入れず、走って岩角を伝って滝に登った。左源次はイノシシに飛びつき引き上げようとするが、水の勢いが激しく左源次自信も水に打たれて打ち回されている。左源次は手を離さじと死に物狂いの様相で、とうとうイノシシを引き揚げて下の滝壺へ投げ落とした、という話である。

 またあるとき、左源次は砥用(ともち)というところにある酒屋にて酒を飲んでいたところ、ひとりの山伏が来て左源次に無礼な言葉を吐きかけた。さらにその山伏が、

「あなたの手相をみましょう」と左源次の手をみて、

「あなたの手には剣難の相がある」

 と嘲(あざけ)った。左源次は怒りを抑えることができず、

「拙者も手相をみるのには心得がある。お前の手も見せろ」

 と言った。山伏が手を見せたところ、左源次は、

「お前の手こそ剣難の相がある」と言うと、

「私にどうして剣難の相がありましょう」と山伏が再び嘲った。左源次は、

「これでどうだ」と刀を抜き打ちに、その山伏を斬り捨ててしまった。

 この山伏は胡乱(うろん)な者で、生国も詳(つまび)らかではないので、酒屋の前の道端に埋め、「米良左源次殿が討ち取った者ひとり、どこの者か知らないので、ここに埋めた」という札を立てて置いた。

 その後、左源次はここを通るたびに手向(たむ)けの水と称し、小便をかけていたという。

 同じく上妻文庫の「手討達之扣(てうちたっしのひかえ)」にも、左源次が別の無礼をはたらいた者を討ち果たした逸話が収録されている。明和三年(一七六六)、左源次二十七歳の話である。このときは兄の勘兵衛が御奉行所に届け出、結局、お咎(とが)めなしの沙汰を得ている。

 四代勘兵衛は、乱暴者の弟がしでかす事件の始末に手を焼いていたようである。終身家にあったのも、そんな左源次の性質が原因したことなのかも知れない。いずれにせよ、現在の尺度では測れない人物である。当時としても、逸話になるほどの人物であったことには変わりない。(完)


【参考文献】

・「米良家文書」(「米良家先祖附写」、「米良家法名抜書」) 米良周策氏所蔵

・「風説秘記」 熊本県立図書館寄託「上妻文庫」

・「手討達之扣」 熊本県立図書館寄託「上妻文庫」


    平成二十四年十一月   小 山 次 男