Coffee Break Essay


 『妄想文学賞』


 エッセイを書き始めて七年になる。この七年間、暇さえあれば何を書こうかと考えている。これまで長短合わせ、160本近いエッセイを書いてきた。

 最近になって、きちんとしたものが書けていない。会社だけでは仕事が終わらず、持ち帰る日が何日か続いたこともあった。そんな生活をしていると、何も頭に浮かんでこなくなる。なにをどう書いていいか、そんなことさえ見失ってしまう。

 さらに二年ほど前から、自分のルーツ調べを始めている。近世史家と知り合って、自分の家系に関係する様々な資料がもたらされた。それに勢いを得、祖父母の除籍簿から遡って片っ端から入手し、パソコンに入力している。除籍簿、戸籍謄本あわせて十八通ある。そこから系譜を作り、さらに年譜を作成しと、際限がない。好きだから、ついついやってしまう。

 そんなことをしながらエッセイを書いているのだが、そのペースは格段に落ちた。ものを書くにも筋肉が必要で、常に一定のペースで書き続けていないと途端に書けなくなってしまう。それでも自分に鞭打って、パソコンの前に座る。

 パソコンに向かい眉間に力を入れて目を細める。発想の糸口を探そうと頭をフル回転させるが、そのとっかかりがどこにもない。引っかかりがつかめると、そこから入り込める。やむなくアルコールの力を借りる。心地よい酩酊の中で日常が遠ざかる。興に乗ると、言葉が次々と溢れ出し、時間を忘れる。

 だが最近は、アルコールが廻り過ぎて何も書けずに終わってしまう日が多い。自分はこのまま何も書けなくなってしまうのか、という焦りが覆いかぶさってくる。悪循環の始まりである。どこか旅行にでも出かけて、気分転換をすればいいのだろうが、そんな余裕はない。

 エッセイが100本を越えたあたりから、書くべき話題が尽きている。思い浮かぶことは、すでに書いたことばかり。ネタが尽きたのだ。そんなことをいうと、プロの作家から張り倒されるだろう。書くべきことは、そこら中にころがっている、と常々いわれているが、どこを見渡しても見えてこない。見ているつもりで、私の目には何も映っていないのである。

 常に話しの種を捜す目で生活をしている。好きでやっているのだからしょうがないが、なかなか窮屈な生活である。こうなっては、いよいよ小説を書かねばならぬ。

 毎回芥川賞・直木賞が発表されるたびに、『文藝春秋』や『オール讀物』を購入し読んでいる。直木賞は手も足も出ないが、芥川賞作品を読むと、「何だ、こんなんでいいなら俺にも書ける」と思う。その作品の何がいいのか、理解できないからそう思うのだ。

 いざ、書こうと思っても、小説の着想が何も浮かんでこない。小説ばかり読んでいるわりに、何をどう書けばいいのかわからないのだ。自分の無能さが、悲しくなる。

 いつかは小説を書きたい。そして、世間を「あっ」といわせたい。まずは新人賞である。文学界新人賞、小説すばる新人賞、新潮新人賞、群像新人文学賞と、世間には新人賞があまたある。それのどれかに引っかかって、そのまま芥川賞の最終選考に残り、選考委員の石原慎太郎氏の強い後押しを受け受賞に至る、というのが目下の私の筋書きである。

「最年長新人賞。サラリーマン作家出現!」

 という新聞の見出しに続いて、

「第○○○回芥川賞・直木賞(日本文学振興会主催)の選考会が東京築地の料亭『新喜楽』で開かれ、芥川賞に近藤健さんの『○○』、直木賞には……」

 という書き出しが頭に浮かぶ。丸の内の東京會舘での記者会見後、直木賞受賞者と握手を交わす笑顔の私の写真が、頭の中でちらついている。

 かなり酔いが回ってきたようである。

「授賞式がノーベルの命日である1210日、スウェーデンのストックホルムのコンサートホールで行われ……」

 ついにノーベル文学賞をもらっている自分の姿が……。どうにも哀愁を帯び過ぎてやってられなくなってきた。

 今日のところはここまでとする。

                  平成二十年一月 小寒  小 山 次 男