Coffee Break Essay



  『見かけの年齢』




 私には、若い頃から五、六歳ふけて見られる傾向がある。そのうち年相応になるだろうと思っていたが、四十五歳になった今もその距離は縮まっていない。

 妻は私と正反対で、実際の年齢よりかなり若く見られる向きがある。だが、妻は必ずしもそのことを快く思っていない。

 私と妻の年齢差は九歳である。加えてお互いの見かけ年齢の相乗効果により、二十歳も年齢が離れて見られることがある。その結果、一緒にいて夫婦に見られないばかりか、妻を私の娘と勘違いする人さえいる。

 かなり前の話だが、久しぶりに私の実家に帰ったとき、年配の知り合いの方にばったり出会った。その人はTシャツに短パン姿の妻を見て、

「あれ、お嬢さん?……」

 と言ってしまった途端、慌てた。幼い娘が、妻の後ろからひょっこり顔を出したのだ。その人は、恐縮して妻に何度も頭を下げ、逃げるように去って行った。妻が娘と間違えられたのは初めてで、そのときは笑い飛ばして終わった。

 ところが数年後、二度目の間違えが起こった。これも故郷の遊園地に行ったときのこと。娘をゴーカートに乗せようとして、切符売り場の年寄り(私の田舎には年寄りしかいない)に、

「大人二枚、子供一枚下さい」

 と言うと、我々を一瞥したジイさんが、

「大人一枚、子供二枚ね」

 私の間違いを正すかのように言い直した。

「いや、いや、オトナ二枚とコドモ一枚だよ」

 私が指で人数を示しながら、ゆっくり大きな声で言い直すと、ジイさんは怪訝そうに切符売り場の小窓から顔を出し、ひとわたり我々を眺めた。

「……子供二枚ダベさ」

 平然と言ってのけたのだ。面倒くさくなったので、ジイさんの言う通り切符を買ってやった。するとジイさんは笑顔で、

「今日、誰もいねがら、なんぼでも乗っていいどぅ」

 と大盤振る舞いに出た。広い町営の公園には、我々家族しかいなかった。ジイさんは小さな小屋の中で、日がなラジオを聴いて過ごしているのだ。

 妻は、ゴーカートの中で、ブツブツ文句を言っていたが、田舎のジイさんだからと諦めた。

 しばらくして、そこへ母がやって来た。小屋から出てきたジイさんと親しげに話をしている。母は、ゴーカートから降りてきた我々をジイさんに紹介した。

「これ、息子なんだわ。それと嫁、こっちが孫だぁ」

 笑顔で頭を下げる妻に、

「ええッ!……」

 と言ったきりジイさんは声をなくした。

「ねえ、ねえ、あっち、あっち」

 娘が私の手を引くので、ジイさんの混乱が治まる間もなく、我々は滑り台へと向かった。途中で振り返ると、ジイさんは「ええッ!」と言ったときのままの顔で立っていた。

 妻は若い頃から化粧気がない。しかも華奢な体つきであるため、服装によっては二十代のころでも高校生に見られることがあった。

「えッ! 結婚してるんですか」

 と、常々言われていたし、小学生の娘がいると言うと、ほとんどの人が大仰に驚いた。それは、妻にとっても嬉しいことなのだが、私の娘に間違われることだけは、承服できない様子だった。

 そんな妻も三十代になってからは、さすがに間違われることはなくなった。何より妻は太り出していたし、それなりの年齢の顔になった。と言いたいところだが、毎日ウンザリするほど妻の顔を見ているので、妻が若く見えるかどうか、すっかり麻痺して分らないのである。

 この春、娘が中学を卒業したのを機に、妻の母を誘って四人で秩父の旅館に出かけた。出かけぎわ、ひと悶着あった。会社の取引先からもらったジャンパーを着て行こうとする私に、妻と娘から物言いがついた。

「やめてよ。それって、よく酒屋の前でさ、オネエさんが配ってるじゃない、小さなコップに入った試飲用のワインみたいなの。そんなジャンパー着てない?」

 と娘が言うと、妻も輪をかけて、

「ガソリンスタンドのオニイさんっていうか、小さな自動車整備工場のお腹の出た社長なんかがさ、よく着ているよ。はっきり言って似合わないよ」

 そのジャンパーは、サテンの白地に、黒い大きなロゴが入ったブランド物である。ジャンパーをもらったときには、私が持っているどの背広よりも高い値札がついていた。好きな人にとっては、垂涎の一品に違いない。正直いうと私も、商店街の電器屋のオッサンが着ていそうなジャンパーだなと思っていた。だが、軽くて暖かい。着心地が抜群によかった。実用性を尊重して、そのジャンパーを選んだのだ。

 結局、いつも着ている土色の地味なジャンパーを出してきて、

「これでいいんだな」

 と、こっちの方がジジ臭いぞという言葉を呑み込んで、旅行に出かけた。

 旅館に着くと、仲居さんが我々を部屋まで案内してくれた。大きなテーブルを前に、馴れた手つきでお茶を淹れ、型通りの旅館の説明をはじめた。私はその仲居さんの説明を上の空で聞きながら、この人は私より二つ三つ年下だなと踏んでいた。説明が終わったところで、

「いいですね、お嬢さんたちとのご家族旅行ですか。男の子ばっかりだと、もうどこにも行ってくれません」

 仲居さんは、ニコニコしながら妻に目をやった。ああそうか、この人の子供は男の子ばかりで、旅行に行けないのか。私が踏んだ通りの年齢だな、とぼんやり思っていた。すると私の正面に座っていた義母が満面の笑みを湛えて、家族構成の説明を始めた。

「これは私の娘なんです。それでこっちは婿で、孫です」

 その途端、仲居さんが、

「ごめんなさい、ああーごめんなさい。間違いました、ゴメンなさい……」

 真っ赤な顔で、四回も五回もゴメンなさいを連発した。それで始めて、妻が娘に間違われていたことに気づいたのだ。「お嬢さんたち」と仲居さんが言ったのは、単なる言い違いだと聞き流していた。恐縮しながら早々に退散しようとする仲居さんに、

「まあ、嬉しいわ。私も捨てたものじゃないわね」

 おどけた仕草で義母が言ったので、ギョッとした。妻だけならまだしも、仲居さんは義母を私の妻だと見誤っていたのだ。それはひどく私を傷つけた。義母は五十七歳で、年齢よりやや老けて見える。私にとってはバアさんだ。そのバアさんと相応に見られたことになる。だが、義母と私は十二歳しか違わなかった。

 仲居さんが部屋を出た後、

「だから、俺はこのジャンパーはダメだと言ったんだ」

 とジャンパーの一件を再び持ち出すと、

「眉毛とかさ、もっとスッキリさせなきゃダメなんだよ。チチのはポヤポヤなんだから」

 今度は娘が、私の眉毛に文句をつけた。さすがの娘も、薄くなって来た私の頭への言及は避けた。

「バカヤロー、男がそんなことできるか!」

「そういう考えがダメなんだよぅ。クラスの男子、みんな手入れしてるよ」

「そりゃお前、平成生まれと俺は違うんだ」

 娘とやり合いながら、なんだかむなしくなってきた。

「男は四十歳を過ぎたら自分の顔に責任をもつべし、って言うでしょ。年とともに生き方や人格が容姿になって行くのよ。老けて見えるってことは、もう人格ができてるってことなんだから、いいことよ。……でも実際、若いわよ、ケンさん」

 自分が若く見られたと勘違いした義母が、ニコニコと講釈を述べた。

 職業がら嗅覚の鋭い仲居さんは、私たちを見た瞬間、即座に我々の位置関係を組み立てたに違いない。私を若そうな(義母の)夫と見、妻を老けた(私の)娘と判断したのだ。

 そもそも、私と義母と妻の年齢差が不自然なのである。それが仲居さんの目測を誤らせた原因である。

「俺は家庭を護るため孤軍奮闘し、いつも疲れているんだ。老けているのではない。やつれているんだッ!」

 と言いたいところを私はグッと呑み込んだ。

「私ってそんなに幼く見える? それって人間ができていないっていうこと?」

 悲しげに言う妻に対し、私も義母も娘も黙ってしまった。

「ああ、私たち一体、いくつになったら夫婦に見られるのかしら……」

 結婚十六年目、三十七歳になる妻の嘆息を聞きながら、私はジャンパーのことが気になっているのであった。


                 平成十七年七月 大暑  小 山 次 男