Coffee Break Essay


 『米良亀雄と神風連』



 (九)

 私はつい最近まで、この神風連の乱を単なる不平士族の反乱のひとつと片づけていた。もっと正直に話すなら、神風連という言葉すら目にしてこなかった。自分とは無関係なものと受け流していたのである。神風連の乱は、私の記憶の深いところに沈殿する受験時代の残滓(ざんし)に過ぎなかった。

 私は以前に、米良家と赤穂浪士事件のかかわりをエッセイに書いていた。それが近世史家のS誠氏の目に留まったのが、私たちの交流の始まりである。熊本藩士を研究するK氏とS氏の執念が私を探し出した。このS氏とK氏の力強い後ろ盾を得た私は、母方の祖、米良家の探訪を開始したのである。

 「米良家法名書抜」に、「大雄院守節義光居士 明治九子十月廿五日 戦死 勘助長男」との記述があり、さらに米良家の除籍簿に「前戸主 米良亀雄」という記載があった。S氏はかつて読んだ神風連の乱に関する書籍に、米良の名前があったのを記憶に留めていた。米良という特異な苗字が幸いしたのである。これにより、神風連が私の前に再び立ち現れた。

 神風連の乱が熱烈な至誠、鉄火の信仰に裏打ちされたものであったことを始めて知る。暴徒逆賊となることを知りながら、信仰と主義、国のために殉じた彼らの赤誠、純真無垢な思いに強い感銘を受けたのである。必負、必死と知りながら、一身一家を顧みず、死を賭して決起しなければならなかった彼らの心情に思いを寄せるとき、この反乱を単に非合理に貫かれた歴史的小事件と片づけられないものを感じる。

「この鎮台と、この県庁ありて、これを未然に制圧することを怠りたるは如何にも怠慢とは云はんか、油断とは云はんか。実に言語道断の沙汰ではあるが、しかも彼らをして斯く油断せしめたる所以は、神風連が、沈黙実行の為めと云はねばならぬ。佐賀に見よ、萩に見よ、秋月に見よ、其他の地方に見よ。彼等はいずれも官軍に機先を制せられ、然らざれば事(こと)志と違(たが)ひ、江藤と云ひ、前原と云ひ、その末路は、如何にも陰鬱であり、悲惨であった。これに比し神風連の首領、太田黒・加屋の徒の最期は――我等は決してその優劣を判ぜんとするではないが――如何にも痛快であり且つ光明である。これは何故であるか。彼等神風連は、ただひたすら神意を奉体して、一点の私心・私情を加えず、悉く皆な神意によりて行動したるが為めだ。これを称して「うけひ」の戦と云ふ」(『近世日本国民史』

 徳富蘇峰の言葉が、彼らの行動、真情を端的に語っている。

 荒木精之氏が本妙寺常題目の墓地に亀雄の墓を探し出してから、すでに七十年近い歳月が流れている。その後亀雄の墓は、ふたたび時間の中に埋もれている。

 熊本のK氏の協力により、荒木氏のいう本妙寺常題目が、本妙寺からやや離れたところにある日蓮宗の別寺で、聲音梵寺であることがわかった。さらに、『平成肥後国誌』(高田泰史編)に亀雄と叔父の左七郎の墓が並んで写っており、兄弟として紹介されているという情報がもたらされた。

 米良家の菩提寺は曹洞宗の宗岳寺で、屋敷は島崎にあった。逆賊の汚名を受けた二人を菩提寺に葬ることができず、やむなく島崎に隣接する常題目に葬ったものと思われる。残された家族が、人目を忍んでひっそりと香華を手向けていたのだろう。

 この文章を書いているさなか、S氏から更なる一報が舞い込んできた。

「『戦袍日記』、本日到来。早速に拝見したところ、〈高隈山ニテ戦死ス 伍長 米良左七郎〉とありました。左七郎は熊本隊では一番中隊伍長だったことが判明いたしました。それも一番中隊隊長は岩間小十郎、あの米良亀雄が自刃した屋敷の主だったのです」

 この熊本隊とは、西郷隆盛が西南戦争で挙兵した際、不平士族たちにより組織されたもので、彼らは西郷軍に合流し、鹿児島で戦ったのである。

 S氏とK氏は米良家の恩人といわねばなるまい。私の歴史探索、縁≠めぐる旅は、まだまだ終わりそうにない。 (了)


                     平成十九年八月 小 山 次 男


 追記 

 平成二十年九月六日、拙作を読んでくださった熊本のT氏の厚志により、岳林寺墓地にて米良亀雄、左七郎を含む米良家の五墓碑が発見されました。これを受け、平成二十年十月三十日、岳林寺住職により永代供養が執り行われました。岳林寺墓域は、本妙寺常題目墓地に隣接しております。

 なお、本文は、平成十九年十二月三十一日に加筆し、以降、筆を加えておりません。

 末筆になりましたが、亀雄の墓の探索にかかわってくださったみな様に、心から感謝申し上げます。



参考文献 

『誠忠神風連』荒木精之著(昭和十八年 第一藝文社)

『神風連烈士遺文集』荒木精之著(昭和十九年 第一出版協会)

『神風連実記』荒木精之著(昭和四十六年 人物往来社)

神風連とその時代』渡辺京二著(平成十八年 洋泉社MC新書)

『蘇峰自伝』徳富猪一郎著(昭和十年 中央公論社)

『近世日本国民史』九四巻―神風連の事変篇― 徳富猪一郎著(昭和三十七年 時事通信社)

『奔馬(豊饒の海・第二巻)』三島由紀夫著(昭和五十二年 新潮文庫)

『丁丑感舊録』宇野東風著(昭和五十二年 文献出版〔復刻版〕)

『戦袍日記』古閑俊雄著(昭和六十一年 青潮社〔復刻版〕)

『屯田兵』札幌市教育委員会編(昭和六十年 北海道新聞社)

平成肥後国誌』高田泰史編(平成十年 平成肥後国誌刊行会)

有禄士族基本帳」(明治七年 熊本県立図書館所蔵)

「米良家先祖附写」(明治七年 米良周策家所蔵)

「米良家法名書抜」(明治二十二年〈推定〉 米良周策家所蔵)