Coffee Break Essay


 『米良四郎次と屯田兵』

 
 (六)

 もうひとつ付記しておかなければならないことがある。筆者は、平成二十年五月に米良周策家の過去帳の調査を行っている。この過去帳は、様似町の等澍院(とうじゅいん)先代住職智行によって作成されたもので、周策の母チナの代に書かれたものである。書かれた年代は、過去帳冒頭の「北海道日高國様似郡様似町字様似四一八番地」という表記から、様似町に町制が布かれた昭和二十七年以降チナが死亡する昭和三十三年までの間と推定される。

 この過去帳は、「米良家法名書抜」を直接写し取ったものではない。米良家には「女は神棚に触れてはならない」という家訓があり、四郎次死亡以降数十年間、引き戸形式の神棚は、開けられていなかった。「米良家法名書抜」は、この神棚の中に保管されていたものと推測している。

 米良家の過去帳は、仏壇にあった柾目の板に書かれてあった戒名を写し取ったものだと周策は記憶している。この柾目の板というのは、位牌の代わりになるもので、四郎次存命中に「米良家法名書抜」から写し取られたものだろうと思われる。過去帳完成後、柾目の板は処分されている。

 この過去帳は、智行の筆による者が最初の三十四名で、次の四名、すなわち大正七年夭折の佐山スエから、米良繁輔、米良四郎次と続き、昭和二十一年の米良繁実までが別の筆跡である。最後の二人は、周策によって書き込まれたチナと妻ツキで、四十名が名を連ねている。

 智行の筆跡による過去帳と「米良家法名書抜」とを比較すると、過去帳には一名の欠落(五代勘兵衛・本清院)と、一部順番の相違が見られるが、「米良家法名書抜」とほぼ合致する。ただ、智行の筆による最後の三十四番目の者が、明治二十三年一月八日死亡の「春道院自性妙心大姉」とある。この春道院は、「米良家法名書抜」には存在しない。その後の米良家にも該当する人物がいないのである。

 智行が誤って他家の人物を書き加えてしまったとも考えられるが、この推測はやや強引である。四郎次(満二十三歳)とツル(満二十五歳)は、明治二十二年七月に三歳の長男義陽と生後五カ月に満たない長女榮女を伴って熊本を発って北海道に渡っている。乗船者同士での助け合いはあっただろうが、はたしてツルひとりの女手で、そんな幼子に長い船旅をさせることができただろうか、という疑問がかねてから筆者にはあった。

 これはあくまで筆者の推論であるが、この春道院が四郎次の兄亀雄の妻、もしくは、叔父左七郎の妻ではないかと考えている。両者の妻帯の有無は不明である。だが、亀雄は二十一歳という若さで自刃している。妻帯の可能性は否定できないが、左七郎の妻と考えた方がより自然なのである。

 つまり、亀雄自刃後、十四歳で母親を亡くした四郎次の面倒を見たのが、左七郎の妻で、左七郎夫婦には子(男子)がなかった。四郎次にとって、左七郎夫婦は育ての親のような存在だった。だから、左七郎亡き後、四郎次の渡道に際して春道院を伴ったのだろう、と筆者は考えている。

 春道院の明治二十三年一月の死亡日は、北海道に渡った最初の冬に死亡したことを意味している。初めての苛酷な冬を越せなかったという意味でも、左七郎の妻ではなかったかという思いを強くするのである。また、四郎次が榮女を篠路兵村の二軒隣の山田尋源に養女として出しているのも、春道院の死との関係性をうかがわせるものである。

 春道院の墓は、当時の篠路兵村の共同墓地であった場所に今も存在するはずである。四郎次の先妻ツルや長男義陽、次男、三男の墓も、同じ場所にある可能性も否定できない。明治二十三年の春道院の死が、ツルや義陽の墓の所在を解き明かすことになる可能性は十分にある。篠路兵村の共同墓地を探し出すことは、そう困難なことではないだろう。この調査については、今後の課題と考えている。

 以上は、筆者による全くの推論である。四郎次の札幌での除籍謄本があれば、かなりの部分が解明されたはずである。

 昭和八年六月二十八日、四郎次は本籍地浦河町において死亡。享年六十八歳。同居の四男繁実届出。法名は、頓誉良田儀忠居士。菩提寺は北海道様似郡様似町の天台宗等澍院。後妻チナは、昭和三十三年五月十三日死亡。享年七十三歳。法名は、清誉浄願善大姉。チナの死亡届は、この時点で米良家に残った唯一の男子である六男周策が行っている。

                                     了

               平成二十年十二月 大雪  小 山 次 男

参考文献

『屯田兵物語』伊藤廣著(昭和五十九年 北海道教育社刊)

『屯田兵』札幌市教育委員会編(昭和六十年 北海道新聞社)

有禄士族基本帳」(明治七年 熊本県立図書館所蔵)

「米良家先祖附写」(明治七年 米良周策家所蔵)

「米良家法名書抜」(明治二十二年〈推定〉 米良周策家所蔵)

「米良四郎次除籍謄本」(北海道浦河郡浦河町)

「佐山チナ除籍謄本」(北海道幌泉郡えりも町)

「米良繁実除籍謄本」(北海道浦河郡浦河町)

「米良周策除籍謄本」(北海道浦河郡浦河町)

「米良周策戸籍謄本」(北海道様似郡様似町)