Coffee Break Essay



  『フランス料理の待ち時間』




この夏、箱根へ行って来た。二泊三日でのささやかな家族旅行である。

食事は、朝も夜もホテル内のレストランでの洋食、しかもフランス料理ときている。
妻も娘も大喜びだ。
確かに、仲居さんがこれでもかと運んでくる旅館の料理よりも気楽でいい。
何よりも値段が安かった。
価格破壊を売り物に、老舗旅館が始めた小さなホテルである。

朝食は簡単なバイキングだったので、言うことなしだった。
問題は夕食だった。

前菜、スープ、メインディシュ、デザート・・・それを一時間もかけてダラダラと食べなければならない。
勿論、ご飯ではなく、パンときている。
前菜は精々二十秒、スープは冷スープだったので、本気を出せば十秒とかからない。
それを、意識してゆっくりと食べるのだが、自ずと限度がある。
次の料理が来るまで、ただひたすら待つしかない。
わけても私は、父が早食いであったせいか、食事のスピードは極めて早い。
いつも家族から叱責をかうのだが、夕食など十分とかからない。
ゆっくり食べても、せいぜい二十分が限度である。

そんな私は当然のことだが、家族もだんだんとじれてきた。
「おそいねえ」とボヤキが出始める。
「フランスだか何だか知らないが、いっぺんに持って来られないものなのか」。
そんな思いが皆の顔に出てきている。

さて、イライラする時間待ちの間、主たる私は家族サービスにと、あれこれお喋りをした。
そのひとつが、かつての同僚で、同じ独身寮にいた岩手出身のMのことだった。

Mは稀に見る純朴な男で、それゆえに人気者であった。
私とはことさら馬が合った。
Mは出不精で、休日はいつも寮でゴロゴロしていた。
東京へ来て数年になるのに、名の通った所へ行ったことがない。
ある休日、「オラ、ヤッダよ、そんなどご行ぐの」と渋るMを無理やり原宿へ連れ出した。
原宿や表参道にはおしゃれな店がたくさんある。
歩くひとびとも華やいで、どこか垢抜けしている。

夏の暑い日で、かなり歩き回り、のどが渇いたので喫茶店に入った。
そこは、客の半分が欧米人というオープンカフェ。
コーヒーを飲みながら読書するひと、サングラスが似合うタンクトップのカップル、
バドワイザーのラッパ飲みがさまになる筋肉質の若者、映画で見るような光景であった。

私は、そこでしばらく涼みながら休憩したいと思った。
Mの度肝を抜いてやろうという魂胆も多分にあった。
果たして・・・四方から英語が飛び交い、日本とは思えない雰囲気に、Mは、

「この店、アッツイなァー」

と言いながら、何度も額の汗をごしごしと拭い始めた。
オープンカフェだから冷房はないが、どうもそれだけではなさそう。
半分は緊張の汗と見えた。どうやらクスリが効き過ぎたようだ。

アイスコーヒーがテーブルに置かれたとたん、Mはグラスを鷲づかみにして一息に飲み干してしまう。
この間、わずか数秒。あっけにとられている私に向って、

「うめぇなぁー、近藤クン。グェ〜」

と大きなゲップ。Mにしてみれば居酒屋でビールをグイッとイッキ飲みするのと同じ感覚なのだろう。
「バッキャロー、何てことするンだ。この後どうする気だ!」と言いたいところをグッとこらえて、立ち去りかけた店員を呼び止め、お代りを頼んだ。
店員の驚いた顔が傑作だった。

Mにはもうひとつ、素晴らしい話がある。
給料日直後の休日、Mを含めた若手三人がファミリーレストランに勇んで出かけたことがある。
豪勢にステーキでも食べようという算段だった。
十五年ほど前のことで、ファミレスがまだ珍しい時代であった。
岩手県生れのMのほか、あとの二人も青森の出身で、まだ東京生活の浅い者同士だ。

通常、レストランでステーキを注文すると、焼き方を訊かれる。
たいていのひとが「ミディアム」という。
なかには、「ウェルダン」とか「ミディアム・レア」などと気取るひともいる。
たかだかファミレスのステーキで、ウェルダンもヘッタクレもないだろうといつも思う。

さて、若いウエートレスに標準語でオーダーをしたまでは順調だったが
「焼き方は・・・」と訊かれて、三人に緊張が走った。
そんな筋書きなど誰も予想もしていなかったのだ。
青森のひとりが、ひと呼吸おいてミディアムだと気づいたが、時すでに遅し。
沈黙に耐え切れなくなったMが、勢いよく立ち上がり「テッパンで焼いで下さい!」。
気負いもあって、その声は異常に大きかった。
一瞬の沈黙のあと、まわりの客からどっとあがる笑いの渦。
その後もチラチラと皆の注視を浴びて、三人はせっかくのステーキの味もどこへやら、汗びっしょりでひたすら口に押し込み、逃げるように帰ってきたという。

フランス料理を待つ間、私たちのテーブルではこんな話題で花が咲いた。

長い待ち時間に、腹が減っているのか満腹になったのかさえ分からない。
騙(だま)されたような気分で二日間を終えた。

帰途、ロマンスカーの座席に身を任せながら、私は目の前の妻と娘に一抹の申し訳なさを覚えていた。
私が発案した小さな旅であり、私が選んだフランス料理だった。
なのに、なにやら、後味の悪い気分。イマイチ楽しめなかったことだろう・・・ 

そのときである。顔じゅうを笑顔にして娘が言った。

「チチ、ありがとう! 素敵な旅行だったよ」

思わず私は反問していた。

「え? え? どうして? 食事もひと口ひと口だったのに・・・」

「ノー! おかげで、滅多に聞けないチチのお喋り、聞けたんだもん。それも、おかしなおかしなお話」

「ありがとう」と答えながら、私の胸中複雑だった。
この私、日ごろ家族といったい、どれほどの会話を交わしているのだろう・・・一抹の慙愧(ざんき)が込み上げていた。


                    平成十五年十一月  小 山 次 男