Coffee Break Essay




 まさかハゲるとは



 まさか自分がハゲるとは、思ってもいなかった。父方、母方を見回してもハゲている者は一人もいない。父はもちろん、おじもいとこも祖父たちですら。だから、私も年老いたら白髪のオジサンになるものだと思っていた。

「内面を磨くと、内側から光り輝くものだ」と常々言っていたのは中学の校長だった。校長の話は長く、朝礼ではいつも、四、五人の生徒が勢いよく倒れていた。私の場合、内面を磨く前に、外側が光り出した。

 もともと私の髪質は細く、若いころからかなりの短髪にしないと髪の毛が立たなかった。静電気で総立ちになったような友人の剛毛を見て、バカにしてよく笑ったものだった。

 ところが四十代あたりから、私の頭髪にハゲの兆候が現れ始めた。それに敏感に反応したのが、中学生の娘だった。私がハゲたら恥ずかしくて一緒に歩けない、彼女にはそんな強い危機感があった。だから、執拗に頭皮のケアについて口を挟んできた。だが、すべては徒労に終わった。というか、私は一切の努力をしなかった。それどころか、ハゲるものならハゲてみろ、白日の下に晒しながら堂々とハゲてやる! そんなトンチンカンな気概があった。要は、努力をする気が端(はな)からなかったのだ。娘には悪いことをしたと思うが、努力をしてハゲが防止できたかとなると、はなはだ疑問である。

 私のハゲの進捗(しんちょく)状況は、床屋での注文の変遷でわかる。

「全体的に短めでお願いします。周りはバリカンで刈り上げてください」というのが長年の定番だった。それが五十歳を過ぎたあたりから、変化し始めた。頭頂部のハゲが尋常ではなくなってきたのだ。少しでも髪が伸びてくると、治りかけの傷口のように周りのヘリが盛り上がってくる。馬蹄形というか、洋式トイレの便座の形が出現するのだ。さらに伸びると、敗走する落ち武者の姿が想像できた。そんな醜態(しゅうたい)は晒したくない。

 やむなく、前述のセリフに加え「ここの部分を短くしてください」と頭頂部のヘリをU字になぞって見せる。すると決まって、「はい、カド、削っておきますね」と返ってくる。どの店員からも同じことを言われた。「カド(角)?……かよ」と思いながらも、それからは「カドを削ってください」が常套句(じょうとうく)となった。

 だが、多少カドを削っても、すぐにヘリがせり上がってくる。まるで噴火口のカルデラである。たまらず、もっと短く削るようにお願いしたら、

「お客様、それではスポーツ刈りですね」と言われた。以来、よけいなことは一切言わず、「スポーツ刈りでお願いします」とひとこと言って、目をつぶった。

 ところが、スポーツ刈りだと、すぐに髪が伸びてきて病気の犬の様相を帯びてくる。そこで、もう少し全体を短くするようにと頼むと、「丸刈りですね。何ミリにしましょう」といわれた。今では「(バリカン)三ミリの丸刈りで」に落着している。以上が、この八年間の変遷である。こうなってくると、バリカンを購入して自分で処理するという構図が見えてくる。いよいよ床屋の卒業が現実味を帯びてきた。そんな「お年頃」になってきたのだ。

「ケンさんは偉いよね、ハゲのこと言われても平気なんだもの。逆に笑いに変えちゃうんだからね」

 と、親しいお友達は褒めてくれる。「ハゲマシ(励まし)」という言葉が脳裏をかすめる。それを口に出してしまうと、安っぽいギャグ野郎だなと思われるので、グッと堪える。

 隠したってハゲはバレる。不思議なもので、隠せば隠すほど目立つのがハゲなのだ。わかっていないのは、当の本人だけである。そんな滑稽な努力をしているオジサンの姿は、健気であり悲哀に満ちている。その歳でハゲを隠して、あわよくば女性を誘惑しようという魂胆なのか。モテたいと思うのは男の悲しい性である。

 髪の毛はあるに越したことはない。なにより若く見える。カッコいい。イカした男には毛がある。スキンヘッドでは、せいぜいマジックでいたずら書きをするのが関の山、揶揄嘲笑(やゆちょうしょう)の対象になるだけだ。だから笑われる前にこちらから笑いを仕掛ける。

 これまで述べてきたこととは矛盾するが、実は私もハゲを隠しているのである。髪を伸ばしてハゲを隠すのではなく、髪を短くしてハゲを隠す方を選んだのだ。逆転の発想である。つまり保護色というか、迷彩によって敵の目を欺くカモフラージュが、「丸刈り」なのだ。それが私の最後にたどり着いた到達点である。毒を以て毒を制す(?)、という戦法だ。ズラを被って澄ました顔をしているヤツは見苦しい。もっとも、病気などによりやむなく被っている人は別だ。

「かっこ悪いから、ボウズにしなよ」

 三ミリの丸刈りを促したのは、エミだった。ことあるごとに私に諦めを迫ってきた。私とつき合いだしたころ、

「その頭、死んだジッちゃんと同じだわ」

 といってカラカラと笑った。そんな彼女に背中を押され、丸刈りに臨んだのである。だが、後ろ髪を引かれる思いは否めなかった。


                  平成三十一年四月  小 山 次 男