Coffee Break Essay


  『京の寺』




 大学受験で京都にある従兄のアパートに一ヶ月居候したことがある。二月の初旬のことであった。厳寒の北海道から出て来て仰天した。京都はすでに梅香の季節であった。

 アパートの近くに北野天満宮があり、従兄が気を利かせて真っ先に連れて行ってくれた。北野天満宮は菅原道真をまつる学問の神である。

 その夜、銭湯へ行った帰り道、東山にかかる月を見た。言葉にならない感銘を受けた。平安の昔、紫式部、清少納言、菅原孝標(たかすえ)の女(むすめ)などが愛(め)で、詠んでいた月だと思ったからだ。冴え冴えとした月だった。それが京都に住む決心をしたきっかけである。

 四畳半のアパートにいる間、試験のない日は終日、従兄の通う立命館大学の図書館で過ごした。食事は学食で摂り、勉強に飽きると大学の講義に潜り込んだ。気分転換に近所を気ままに散策した。すっかり学生気分でいた。

 あるとき、アパートの裏にこぢんまりとした寺を見つけた。衣笠山を借景とした庭園を持っていた。寺の奥の離れにお堂があった。渡り廊下を歩いて恐る恐る入ってみると、中は真っ暗である。目が慣れるに従い、異様な光景が浮かび上がった。通路の両側に黒い木像が整然と並んでいた。尊氏から始まる足利十五代の木像が向き合っていた。足が竦むような圧倒的な光景だった。等持院は、足利将軍家の菩提寺であった。作家水上勉氏の『雁の寺』の舞台となった寺である。

 京都に住むようになってからも、ぶらりと立ち寄った寺で思わぬ発見をすることがたびたびあった。ひっそりと建つ小さな寺に、教科書に載っている仏像や襖絵、掛け軸を見た。国宝や重要文化財が手の届くところにあった。

 都大路とはいうものの、京都の道路は車社会を想定していない。メインストリートはまだしも、牛車も入らぬ狭い路に、車と観光客がひしめき合う。一般のオッサン、オバハンを中心とした観光客はもとより、恋に破れた一人旅の女もいれば、恋愛真っ盛りのアベックもいる。近畿一円からは小学生の遠足の一団も来る。圧巻は地方から大挙して押し寄せる中高生の黒服軍団(修学旅行)である。加えて、オーストラリアを主流とする海外からの観光客。さらに国際会議に集う世界各国の研究者たち。百四十万人の街に、毎年四千万人前後のお客様が押し寄せるのだから、たまったものではない。京都は、喧騒の街である。

 そんな喧騒も、寺域に一歩踏み込むと、嘘のように静まり返る。異境に踏み込んだような錯覚に陥る。

 日常から離れ、ほっとしたいとき、よく寺へ行った。観光客や修学旅行生が立ち寄る寺は、限られた僅かな寺や地域に過ぎない。京都には訪ねきれないほど数多くの寺がある。

 観光客が遠ざかる冬、寺々は凛とした清らかさに包まれる。寺本来の姿を取り戻す。

 底冷えの嵯峨野あたりを歩いていると、よく時雨に出会う。冬の白い光を受けながら、細い雨がさっと過ぎる。嫌味のない清々しい雨である。

 にわかな時雨に、行き当たりばったりの寺によく駆け込んだ。急な石段を登ってゆくと静まり返った境内がある。庭を眺めながら、火鉢に手を翳す。埋火の優しいぬくもりが、体の芯にじわりと染み入ってくる。杉苔の濃緑にマンリョウの朱が鮮やかに映えている。苔むした石に、過ぎていった時間を思う。庭の風景が、心像風景となって溶け込んでくる。二十代前半の私にとって京都の寺は、将来に対する漠然とした不安を慰撫してくれる空間だった。

 あるとき嵐山の渡月橋近くを歩いていて、そろそろ引き返そうかと思っていると、山に続く崩れかけた石段を見つけた。何があるのだろうと上ってみると、寺とも民家ともつかない朽ちた建物があった。農家の軒先といった佇まいの寺だった。門柱に小さな木札がかかっていた。滝口寺とかろうじて読める。

 縁側のように開け放たれた十二畳ほどの本堂と思しき部屋の奥に、雛人形ほどの小さな木像が二体安置されているのが見える。像の黒くすすけた様子から、経てきた年月が思われる。いったいこの寺は何だろう、と思っていたとき、

「上がっておくれやす」

 というしわがれた声がした。不意なことにギョッとした。八十をとうに越しているだろうと思しき着物姿の老女が、部屋の隅に端座していた。夕闇迫る時間であった。

 いわれるままに縁側から上がると、老婆が低い声でなにやら口ずさみ始めた。よく聴くと、平家物語らしい。いつ終わるのだろうと不安になるほどの長い時間、老女は目をつぶったまま朗じていた。話を聞いていて、瀧口入道であることがわかった。

 滝口入道とは、斎藤瀧口時頼と建礼門院の女官横笛との悲恋の物語である。さしずめ日本版ロミオとジュリエットとでもいおうか。明治の文壇家高山樗牛(ちょぎゅう)の小説、『瀧口入道』(明治二十七年作)の舞台となった寺であった。老女の抑揚のある低い声が、次第に暗さを増して行く景色の中に、溶け込んでいった。幽玄の世界にいるような錯覚に陥った。

 就職し、東京で生活するようになってからも、思い立つようにしてよく京都へ出かけた。行くたびに京都は新鮮で、思わぬ出会いをもたらしてくれた。

 

                    平成十二年十一月  小 山 次 男

 追記

 平成十八年十月加筆