Coffee Break Essay

この作品は、
アポイ岳ファンクラブ会報「アポイマイマイ」№56 2009年3月発行)
に掲載されております。

 『草の庭』

 

 練馬区の社宅に十二年住んだ。古い建物だったが、一戸建てなのが気に入っていた。車を持っていないのをいいことに、四坪ほどのカースペースを掘り起こし、一隅に小さな畑を作った。残りの三分の二には川砂を入れ、芝生を植えた。夏には芝生の上でバーベキューをしよう。芝に寝転んで本を読むのもいい。芝生のある家が憧れだった。

 畑にはキュウリ、ナス、カボチャなどを植えたが、いずれも不作に終わった。ブロック塀に囲まれ、日当たりが悪かったのだ。

 芝生の方は、手入れを怠るとあっという間に雑草が生えた。こまめに草むしりを行うのだが、後から後から生えてきて、手に負えない。

 この草ヤロウ! と思いながらむしっているうちに、訳もなく雑草のことが気になりだした。こいつらにも名前があるはず、調べてやろう。雑草の図鑑を手に庭に出た。

 雑草といわれるだけあって、虐げられた名前が多い。庭埃(ニワホコリ)、悪茄子(ワルナスビ)、豚草(ブタクサ)、野襤褸菊(ノボロギク)、掃溜菊(ハキダメギク)、屁糞葛(ヘクソカズラ)……これでもかと続く。大犬の陰嚢(オオイヌノフグリ)などは、その露骨な名とは裏腹に、薄紫の可憐な花をつける。小花が春風にそよぐ様子は、何とも可憐である。

 中年のご婦人。

「私、シクラメンが大好きなの。あなたはどんな花がお好き?」

 若くてきれいなお嬢さん。

「私、オオイヌノフグリが大好きなんです」

「まあ、あなた、フグリだなんて……」

 大犬の陰嚢は、種の形状からつけられた名前である。そんな空想にニヤニヤしながら、雑草と格闘する。

 草の花は、白や黄、薄緑色など、小さくて目立たないものが多い。健気に咲く黄色い小花の酢漿草(カタバミ)は、花が終わるまで咲かせてやろうと情けをかけた。母子草(ハハコグサ)もしかり。いつしか私は、雑草への愛着を深めていった。

 我が家の狭い庭にも、様々な雑草がある。常磐櫨(トキワハゼ)(胡麻の葉草科)、爪草(ツメクサ)(撫子(ナデシコ)科)、小錦草(コニシキソウ)(灯台草科)、犬蕨(イヌワラビ)(雄羊歯(オシダ)科)、血止め草(チドメグサ)(芹(セリ)科)、薺(ナズナ)(油菜科)などなど、確認できただけで二十科、三十八種類。ほかに不明なものが五種あった。

 捩花(ネジバナ)(蘭科)は、毎年七夕のころ、多くの花をつける。ピンク色の小花が茎の捩れにそって一列に並ぶ。造化の妙である。繁縷(ハコベ)は金平糖をさらに小さくしたような可憐な花だ。それまで、平気で踏みつけてきたものばかり。

 通勤の道すがら、目にする草の名前を挙げながら駅に向かう。細瓜苔(ホソウリゴケ)、蓬(ヨモギ)、雀の帷子(スズメノカタビラ)、車前草(オオバコ)……。小繁縷(コハコベ)だろうと思って後で図鑑を見ると、阿蘭陀耳菜草(オランダミミナグサ)だったり。母子草だろうか父子草擬(チチコグサモドキ)だろうかと調べたら裏白父子草(ウラジロチチコグサ)だった、といった具合である。雑草には類似品が多く、種類の特定が難しい。

 動植物の名前は、カタカナで表記しなければならない。だが、シャリンバイ、ハルジョオン(ハルシオン)、セイタカアワダチソウ、カモジグザと書いても、イメージが湧かない。車輪梅、春女苑(春紫苑)、背高泡立草、髪文字草と書けば、その植物の雰囲気や形状までもが連想できる。

 また、普段見慣れた植物に、外来種が多いことに気づく。白詰草(シロツメクサ)はヨーロッパ原産、大荒地野菊(オオアレチノギク)は南米、姫昔蓬(ヒメムカシヨモギ)や大待宵草(オオマツヨイグサ)は北米である。日本的な草花だなと感じるのは、歳月を経て風土に溶け込んだからか。幼いころから見慣れているせいかも知れない。

 北海道の実家の母は、早朝、剪定鋏を持って野原に出かける。仏壇に供える花をとりに行くのだ。大反魂草(オオハンゴンソウ)や薊(アザミ)、烏の豌豆(カラスノエンドウ)、鬼百合(オニユリ)、竜胆(リンドウ)など多種多様である。いわゆる仏花のように日持ちせず、虫がついていてギョッとすることもあるのだが、仏壇に季節があるのもいいものである。

 早朝の柔らかい光の中で花を摘むのは、とても清々しいと母はいう。家族で実家に帰省した折、色とりどりの花を手に戻ってきた母を見て、妻は目をみはった。都会育ちの妻には、花は買うものだった。

 そんな母も、墓に供える花だけは、山野草を嫌う。貧乏くさいと思われるのが嫌なのだ。別にいいじゃないかと、墓所への野道を歩きながら、花を摘む。幼い娘は、嬉々として綺麗な花を探しながら、草むらの中を飛び回っていた。

 

 私が描いた芝生の夢は、あえなく潰えた。夏になるとヤブカがひどく、夕暮れ時など、五分といられない。加えて、花が終わるまでと情けをかけた草たちが、もの凄い勢いで繁茂し始めた。芝生を植えて八年目、とうとう芝生は雑草に駆逐された。

 雑草は踏みつけることで、大きくならずに花をつける。そんなことに気づいてから、せっせと踏みつけることにした。その結果、雑草の盆栽のような庭が出来上がった。

 数年後、老朽化した社宅の取り壊しが決まった。他人から見れば雑草だらけの庭であるが、長年手をかけてきただけに愛着があった。

 今の家にも小さな庭がある。不動産屋と下見に訪れたとき、茫々と生える雑草が目に留まった。

「イヤー、しばらく借り手がなくて……」

 年配の不動産屋が頭をかいた。以前にも劣らぬ古い物件である。その雑草の中に蚊帳吊草(カヤツリグサ)と女日芝(メヒシバ)を見つけ、私はそれだけで嬉しくなっていた。

 

                    平成十三年一月  小 山 次 男

 追記

 平成二十年四月 加筆