Coffee Break Essay


 『壊れたテープレコーダー』

 二十代のころ、上司にさそわれてよく飲みに連れて行ってもらった。ご馳走になるのはありがたいのだが、ひとつ難点をあげれば、上司が毎回同じ話を繰り返すことであった。そんな上司はひとりだけではなかった。個人差はあるものの、ある一定の年齢を過ぎると、多かれ少なかれ同じ話を繰り返すようになるのだ。

 飲み始めて三十分を過ぎると、いつもの話が始まる。上司であるから、投げやりな対応はできない。初めて聞いたように大きく頷く。

「お前ら、今、電卓、叩いてるけどな、俺たちの若いころはなぁ、出納帳が縦書きで、それにソロバン入れてたんだぞ」

 唇をなめながら、ソロバンを弾く仕草をしてみせる。始まったなと思う。「俺たちの若いころはなぁ……」が合図であった。次に続く話は、クーラーのない時代に、机の下に水を入れたバケツを置き、そこに足を浸しながら仕事をしたというものである。そこでタイミングを逸することなく、

「へェーッ! そうなんですかァ……」

 目を見開いて驚いてみせる。ご満悦な表情を浮かべた上司が、

「なんだ、お前、全然、飲んでねえな。グッといけ、グッと」

 ご機嫌麗しく私の杯に酒を注ぐのである。

 話のパターンがすっかり決まっていた。同席している若い同僚に、始まったぞと目配せする口元が自然と緩む。五十歳を過ぎると、みんなこうなるのかとウンザリしながら付き合っていた。

 今年、私は四十八歳になった。五十歳目前である。まさか自分にも五十歳が到来するとは思ってもいなかった。しかも、こんなに早くやって来るとは。三十代の後半あたりから、年月の経過速度が年々加速している。そんな話を六十代の女性にしたら、

「あなた、そんなものじゃないわよ。六十を過ぎたら、その倍よ、倍!」

 鼻で笑われた。

 私も時々、若者を連れて会社の近くで飲むことがある。かつての上司の轍(てつ)は踏むまいと心して飲むのだが、どうも話が噛み合わない。共通の話題がないのである。相手の話を引き出せばいいと、聞き手に徹するが、これが疲れるのだ。話がちっとも面白くない。次第にテーブルの空気が希薄になり、酸欠状態を呈してくる。何とかこの場を盛り上げなければ、という思いが酒のピッチを進ませる。すっかりリズムが狂い出す。

 気がつくと、自分が話の中心になっている。すでに出来上がっているのだ。

「俺が入社したころはさ、まだソロバンの音がパチパチ聞こえてたんだぜ、信じられる?」

「今はパソコンだけど、俺が入社した翌年にワープロが会社に入ってさ、さっそく稟議書をワープロで作って上司に出したら、何ていったと思う? 『お前、稟議書は手で書くもんだろ!』って怒られたんだぞ」

「へーェ、そうなんですか」

 若者が目を丸くして頷いている。どこかで見たようなシーンに我に返る。「最近の若いやつは」と「俺たちの若かったころは」を使っていないかと反芻してみる。だが、酔いは容赦なく回ってくる。

「お前ら、今の話、そんなに面白いか。俺のことオヤジだと思って、そんな大袈裟なリアクションしてるんだろ」

 とわざと食ってかかり、次の話に移る。

「○○さんなんかさ、『こいつら、一日中、パソコンばかりして、ちっとも仕事しやしねえ』っていうんだぜ、参っちゃうよな」

 ドッと笑いを取って、ひと安心する。だが、昔話をしていることには変わりない。

 歳をとるとただでさえ物忘れがひどくなるのに、そこにアルコールが入ると、忘却力が倍増する。翌日になると、何を話したのかまるで覚えていない。同じ話は、こうして繰り返される。

 そこで私は、話題にタイトルをつけるということを思いついた。

「この話、したことあるかな『××課長代理、アニマル事件』」

 話を始める前にこう訊くのだ。

「聞きましたよォ。××課長代理が会議のときにマニュアルじゃなくて、アニマルの○○ページを開いて下さいっていった話でしょ」

「じゃあ、『○○支店長、壊れたテープレコーダー』はどうだ」

 限りなく平成生に近い昭和生まれの女の子曰く、

「テープレコーダー?……」

 そう訊き返されると慌ててしまう。ええ、針が跳んで同じ話を繰り返す……と頭をめぐらす。

「あッ、間違えた。テープレコーダーじゃなくて、レコードだ。レコード、レコード」

「レコードですか……」

 彼女、テープレコーダーもレコードも知らなかった。よく訊くと、父親と私が同じ歳だという。私はまじまじと女の子を見る。恐らく悲しい目だったに違いない。

 

 先日娘と街を歩いていると、電話ボックスを目にした娘が、

「ねえねえ、公衆電話って、お金、先に入れるんだったっけ……もう忘れちゃったよ」

 とマヌケなことを訊いてきた。娘は平成元年生まれである。

 そのうち、「テレホンカードって何ですか」と訊かれる時代がやってくるのかと思うと、暗雲が垂れ込めるような気分になる。

 間もなく恐怖の五十がやってくる。

 

                  平成二十年五月 立夏  小 山 次 男