Coffee Break Essay



  『好中球と表彰式』



 「好中球」というものを、ご存知だろうか。血液の話になるのだが。

 我々の体内を駆け巡る血液は、細胞成分と液体成分である血漿から成っている。よく聞く赤血球、白血球、血小板というのは、この細胞成分のことである。

 血液には、身体維持にかかせぬ酸素や栄養を「運ぶ」という働きと、外部からの攻撃から身体を「守る」という二つの基本的な働きがある。この守る働き、つまり免疫機能の主役をなすのが白血球である。いわば体内の専守防衛を担った、平たく言えば自衛隊のようなものだ。ときに免疫異常から、自身をも攻撃することがあるが、それはおいて置く。

 自衛隊に、陸、海、空と領域分担があるように白血球も顆粒球、単球、リンパ球という三つの血球細胞に大別できる(まるで適切な比喩ではないが)。そしてこの顆粒球は、さらに好酸球、好中球、好塩基球に分かれる。ここまで来るとミクロ中のミクロの話、あまりに専門的過ぎて、聞いているだけで滅入ってくる。好中球の話しをしたいばっかりに、ひどい遠回りになってしまった。

 先ごろ、とある文学賞の表彰式に参加する機会があった。地方自治体が主催するエッセイの文学賞で、中学生、高校生、一般の部と併せて十三名の受賞者が一同に会し、盛大な表彰式が長野県で行われた。市長から市議会議長、商工会議所会頭、教育長、市議会議員に校長先生と小さな地方都市の要職者を総動員しての表彰式、という感があった。おまけに地方のテレビ局や新聞などのマスコミ関係も来ており、その厳粛な雰囲気をいっそう盛り立てていた。

 そんな大それた表彰式とはつゆ知らず、私は、気軽な気持ちで新幹線に乗り込み、束の間の小旅行気分を味わっていたのだ。指定された会場は、JA(農協)のホールである。何でまた、よりによってJAなのと思いながら、市民会館でないことに多少の落胆を覚えていた。そのことが私を油断させる大きな原因であった。

 だが、表彰式会場に足を踏み入れたとたん、そこに居並ぶ面々と、一斉に焚かれたカメラのフラッシュに仰天し、度肝を抜かれたのである。なかでも「チョー、うざい」、「かったりー、やってらんねー」などと、普段ためぐちをきいている中高生諸子が、強張った面持ちでカチンコチンに固まっている姿は、見ていて滑稽だった。そういう彼らを見ながら「普段はいきがっているくせに、ザマー見ろ!」と、鬼の首でも獲ったような気分で、内心ほくそ笑んでいたのである。

 私はここ数年、寝る間際の僅かな時間に、食卓テーブルにノート型パソコンを据えて、エッセイを書くのを日課にしている。妻や娘からの話しかけに応え、テレビのお笑いタレントのバカ騒ぎを横目に、日本酒を嘗めながらの緩やかな作業である。心地よい酩酊の中で浮かんできた故郷北海道の情景から、昆布干しを題材にしたものを書き、それが運よく入賞の運びとなった。棚から牡丹餅である。

 表彰式と懇親パーティー併せて三時間に及ぶセレモニーの大半は、名士の大演説である。会場にて配られた入選作品集の冊子が手元にあったのだが、まさか雛壇にいる私が話をそっちのけにして読むわけにはいかない。だから、誰がどんな作品を書いているのか、その場では分らずじまいであった。

 最後のお話は、懇親会場に移ってからご馳走を前にしての、二度目の選評である。表彰式で言及できなかった佳作作品への選評が行なわれた。こんなに長けりゃ、ビールがダメになるじゃないか、と私は情けない顔で、ビール瓶の底からひっきりなしに上っている小さな泡を眺めていた。そのとき、六十代後半と思しき女性選考委員の声のトーンが変わった。

「私は、恥ずかしながら、この年になりこの作品に触れるまで『好中球がない』という病気の存在を知りませんでした……」

 コウチュウキュウ? 何だそれはと思いながら、どの作品なのかと冊子をめくり、入選者を席次表で確認しようとしているさなか、女史はその作品の一節を読み上げた。

「この『好中球がない』という病を持つ人は悲しいながら私以外にもいる。だが日本でこの病の最年長は私だ、と医師から告げられた……」

 私は最前列のテーブルで、女史に背を向ける格好で話を聞いていたのだが、思わず向き直ってしまった。

「どうか皆さん、《最年長》という言葉の意味するものを汲み取って頂きたい」

 と締めくくられた。

 高校三年生、十八歳の女の子の作品だった。遠くのテーブルにいるその女の子を見やると、薄ピンクのワンピースを着て恥ずかしそうに微笑んでいる。あの子だったのか、という驚きがあった。

 その日、表彰式会場に到着した私は入り口で受付を済ませ、真っ先に案内されたのが「受賞者控室」と貼り紙された部屋だった。すでに半数以上の受賞者がいた。私が入ると「こんにちは」という明るい声が降ってきた。その声の方に顔を向けると、微笑む少女がそこにいた。それが彼女だった。

 挨拶をくれたのはその女の子だけで、慌ててこんにちはと返したのだが、そのときの輝くような笑顔が印象的だった。だが一方、ああ、この子から見ると俺は相当のオッサンなんだろうな、と私はどこかでひねくれたことを考えていた。彼女は私服だったので、たいそう大人びて見え、その時は高校生とは思わなかった。ほとんどの中高生が制服姿だったせいもある。彼女との接点はそれだけだった。

 「伝えたい、この想い」と題した彼女のエッセイは、「『人の役に立ちたい、人のために何かをしたい』なんてセリフ、きれいごとのように聞こえてしまうだろうか。」という問いかけで始まる。

「(好中球は)いわば正義のヒーローだ。(略)しかし、私にヒーローはいない。細菌が進入してきても防げない。無防備及び無抵抗。これが私の生まれながらの運命なのだ」と続く。

 文章自体は拙い。段落の区切りもいいかげん。だが、この作品には、ほかの作品にはない特別な輝きがあった。随所に「生」が躍動している。そのきらめきが力強い光芒を放っていた。

 彼女が、病気を通して得た「生きる強さ、人の優しさ、温かさ」を、「辛い境遇にある人たちに伝えたい」という強い思いが文章全体に漲っている。それは、想像を絶する闘病の末に彼女自身が到達した「域」である。だから「自分が病気と共に生きていることを誇りに思う」と素直に吐露する彼女の心情が、ストレートに読み手に受け入れられるのだ。これが、六十や七十歳の達観なら頷ける。だが、十八歳の女の子であるところが、ひどく切なく、やり切れない。

 繰り返す。好中球とは、血液中の細胞成分である白血球の構成要素のひとつ、顆粒球の、さらに細分化された細胞のひとつに過ぎない。腕が一本ないとか、下半身が麻痺しているとか、目が見えない、耳が聞こえないなどというものに比べ、取るに足らぬことに思えるのだ。だが、このひどく些少にも思える細胞がないだけで、人間は常に死の危機にさらされることになる。

 好中球は、主に細菌などを殺し、捕食する役割を担っている。外傷ができると即座に好中球が傷口に集まり、病原体を破壊し、その後は膿となって体外へ排出する。好中球がないということは、それだけで悲劇なのである。

 食事をしていて、思わず口内を噛んでしまうことはしばしばあること。そんなことが、命取りになる。ましてや転んで膝を擦りむくなどはもってのほか。この人の経てきた十八年という歳月を思うとき、我々はあらゆる言葉を失ってしまう。ただ沈黙し、頷くしか術がない。「最年長」という言葉の重みが、ずっしりと胸にのしかかってくる。何と残酷な言葉なのだろう。

 彼女のはるか後ろの末席に、ハンカチで目頭を押さえるひと組の中年夫婦がいた。彼女の両親であることはすぐに知れた。幾多の危機を乗り越えて、それでも拭い切れぬ深い絶望を胸いっぱいに抱え、お互いに支えあい必死に生きてきた夫婦に違いない。その両親の思いが、成長した娘の心の中でみごとに結実し、今日の晴れ舞台となった。何度も涙を拭う両親の姿が、私の胸に迫って来た。

 選評後、乾杯を合図に歓談が始まった。私はこの家族のことが気になって仕方がなかった。だが、一般の部でただひとりの男だった私は、格好の標的となり身動きが取れずにいた。ビールと名刺を持ったお偉いさんが、次々とビールを注ぎに来る。その後には次の人が待っているという具合だ。

 事務局の人や選考に携わった人以外は、会場に来て初めて作品を目にしている。にもかかわらず、「イヤー、素晴らしい」、「爽やかないい作品です」などと口から出まかせを言ってくる。半ば閉口し、ウンザリしていたところに、「昆布はどのへんが一番美味いのですかね」と赤ら顔のオヤジがトンチンカンなことを訊いてきた。俺は漁師でもなければ料理人でもない、と思いながらも「やっぱり根元です」とデタラメを言ってやったら、ひどく感心して逃げて行った。

 こんな調子で、懇親会は終始し、私はほうほうの態で会場を後にした。すでに、あの家族の姿はどこにもなかった。

 ひどく酔った頭で、私は新幹線の窓の外を流れる真っ暗な景色をぼんやりと眺めていた。足元には、その日の夕飯にと頼まれ、限られた販売の中から必死で求めた「峠の釜飯」があった。長時間の緊張からの開放感と、表彰式の余韻とが入り混じり、ひどい疲れを覚えていた。

 その女の子の作品を読んだのは、翌日のことであった。涙が溢れた。自分の作品が精彩を失い、干からびたものに見えた。その子のためならば、自分の賞を返上してもかまわない、と本気で思った。

                  平成十六年九月  小 山 次 男