Coffee Break Essay



   『今年の夏は熱かった』




 すべては太平洋高気圧のせいである。

「何でこんなに暑いのかなぁ」

「そりゃおめぇ、夏だってぇんで、お天道様も一生懸命、石炭くべるからだろうよ」

 熊さん、八さんの会話ではないが、今年(平成十六年)の夏は暑かった。身の危険を感じるような日もあった。三二度や三三度を涼しいと思ったくらいなのだから。

 「観測史最高」というフレーズを、今年は何度耳にしたことか。東京の真夏日(気温が三〇度を超える日)の日数が七〇日となり、それまで最高だった平成十二年の六七日を抜いた。真夏日の連続日数も四〇日を記録。

 極めつけは七月二十日。都心の最高気温が三九・五度となった。これも過去最高である。これはもう「暑い」という限度を通り越し、「熱い」一日だった。炎暑、猛暑、酷暑、大暑、そういう言葉の渦が火の玉と化し、襲いかかって来たような暑さだった。あえて造語するならば、「激暑」とでも言おうか。

 この日、私は都心を自転車で走っていた。走り出してすぐにブレーキの握りの部分が、熱をおびてくるのを感じた。ほどなくメガネのフレームが熱くなりだし、そこで初めてただならぬ気温を察したのだ。百日紅の花が燃えて見えた。

 エアコンの室外機の前を通ると不快な熱風を感じるが、三五度を超えた日は、常にそんな風が吹いていた。熱風とはいえ、風があるだけまだ救われた。

 こんな状況では、犬も猫も日中は散歩が出来なかっただろう。動物とはいえ、熱せられたアスファルトを素足で歩くのは無理。アリはどうだったか。残念ながら都心でアリを見たことがない。カラスは……。

 いくら暑くても、日中の気温は冷房設備の中で何とか凌げる。問題は夜だ。一日の最低気温が二五度を下回らない日を熱帯夜というのだが、これが堪える。三九・五度の日の翌明け方、つまり七月二十一日の最低気温は、三〇・一度だった。生きた心地がしなかった。確認はしていないが、この気温も最低気温の最高記録ではなかったかと思う。

 夜の十時を過ぎても三〇度を下回らない日が、幾日あったことだろう。窓を開け放ち、エアコンをタイマーにして寝るのだが、タイマーが切れると同時に目が覚める。もう一度タイマーをセットし、切れるとまた起きる。そんなことを二、三時間ごとに繰り返し、朝を迎える。

 エアコンの風は、身体を芯から疲れさせる。起きた時点でひどく疲労し、朝の七時台ですでに三〇度を超す気温の中、超満員の電車に揺られ会社に向かう。体力のある者でも疲弊するのだから、年寄りにはかなり酷な夏だったに違いない。

 私がここで掲げた気温は、全て都心の気温である。観測点は、広々とした皇居のお堀に面した気象庁である。どう考えても、標準的な東京の気温ではない。現に私の住んでいる練馬は、都心の気温プラス一・三、四度以上が常態である。ただ、これらの気温は百葉箱に入れ、地上一メートルの高さに設置された寒暖計の気温である。直射日光に炙られたアスファルトの温度とは比べものにならない。路上に止まっている車のボンネットに生卵を落としたら、目玉焼きが出来たはずである。

 だがこの夏、暑かったのは東京だけではない。日本中が暑かった。毎年、日本列島に夏をもたらすのが、太平洋高気圧である。今年は、その勢力がひときわ強く、梅雨前線を早々に北に押し上げた。昨年、記録的な冷夏をもたらしたオホーツク海高気圧は影もなかった。この太平洋高気圧こそが、今年の熱暑の元凶である。

 太平洋高気圧の勢力が強かった原因は、赤道付近で海面温度が上昇したことにある。それに伴いフィリピン沖の対流活動が活発化し、そこで積乱雲が次々と発生。暖かい空気を上昇させ、それが日本付近で下降することで、太平洋高気圧の勢力が強まった、という。しかも、この太平洋高気圧のさらに上空にチベット高気圧なるものが存在し、日本列島の上には高気圧の二重層があったという。それが珍しいことなのかどうかは知らぬが、新聞にそう書いてあったのだからそういうことなのだろう。風が吹けば桶屋が儲かるではないが、素人の私にはそんな風にしか聞こえない。

 台風の到来も観測史上最多であった。熱い夏の火消し役かと思われた今年の台風、これも太平洋高気圧が原因しているらしい。次々と北上してくる台風は、各地に甚大な被害をもたらした。多くの人々が死に、田畑もろとも家まで流された。

 悲鳴を上げたのは人間ばかりではない。度重なる台風の襲来は、森の中にも異変をもたらした。木の実が落下するなどし、食糧に欠乏を来たした冬眠前のクマたちが、こぞって人里に下りて来たのだ。クマに襲われた人は気の毒である。だが、人間はクマに怯え、クマはそれ以上に人間に怯える。それゆえ、人間に遭遇し驚いた弾みでクマが人を襲う。クマたちも追い詰められていた。

 なかでも仔熊には胸が痛む。「かあさん、どこまで行くの」と腹が減って泣きながら母熊について来た仔熊たち。人間に遭遇し、驚いた母熊が逃げる。仔熊が取り残される。追い詰められた仔熊の目が、「かあちゃん助けて」と叫んでいる。その目は、凝視に耐えない。人間に確保された仔熊は保護され、動物園に送られる。その瞬間から二度と母熊には巡り会えない。

 すべては人間のせいである。

 熱暑も台風も、地球温暖化という人間がもたらした功罪にほかならない。だから、「温室効果ガスの排出量の規制を謳った京都議定書にアメリカが批准しないばかりに、二酸化炭素の排出量規制が遅々として進まない。ために台風が来た。とんだ迷惑をかけ、済まない」とひとこと山の神を代表するクマに謝るべきなのだ。そして彼らにしっかりとメシを食わせ、ドングリの入った風呂敷包みを背中に括りつけて、丁重に山に戻すべきなのだ。

 アテネオリンピックのゴールドラッシュで日本中が沸騰し、夏の甲子園で北海道の高校が優勝するという快挙を見た。イチローが打ち松井が活躍した。それこそ日本中が熱くなった。熱く燃えた夏を締めくくるかのように、浅間山が祝砲を撃った。振り返れば、これが平成十六年の夏である。

 だが、そんな騒ぎとは無縁に、この夏の惨禍を恨み、悲しみに暮れている人がどれほどいることか。この暑さと台風、どう考えても人災である。

                                   平成十六年十月霜降  小 山 次 男